第23話 箱庭の少年少女(3/4)
スペースがもったいないくらい広々とした部屋に、少年はいた。
白い壁に白いベッド。白い入院服に白いギブス。人工的な白い蛍光。無色ばかりに満たされたその部屋は、そこにいるだけで思考が空っぽになりそうな部屋だ。
白衣に身を包んだドクターが、隣の男に何事かを耳打ちする。男の眉がわずかに吊り上る。
しばしの密談を交わし、ドクターが病室を出た。
二人きりになったのを見計らい、先に口を開いたのは少年のほうだった。
「早くけがを治すよ。それでまた代表に戻って活躍するんだ。
そしたらさ。また試合見に来てくれよ。俺、ゴール決めるから。格好いいところ見せるからさ」
普段は口数の多い少年ではなかった。しかしカラ元気を絞り出すように、前向きな言葉を口にした。
父親の前で弱いところは見せたくなかった。いや、見せられなかったためだ。
そういう環境で少年は育ってきた。
自分を奮い立たせるように、あるいは父親に媚びるかのように、少年は強い自分を出そうとした。
そんな少年へ、父親は視線を送った。
冷ややかな瞳だった。
ゆっくりと父親の口が開く。
——その先の言葉は、勢いよく布団をはねのける音で掻き消された。
ベッドには明るい陽射しが差し込んでいた。
いつも眠っている自分の部屋。さっきまで見ていた場所とは似ても似つかない。
荒い息を整え、酸素が脳にいきわたる。意識がゆっくりと働き始める。
また、夢。二日連続で最悪の夢を見た。ようやく俺はそれを理解した。
昨日はいろいろあった……そのせいだろうか。原因はよくわからない。
俺は頭を振って時計に目をやった。時刻は七時五十分。登校する時刻を示している。
目覚まし時計すらセットし忘れるなんて、本当にどうかしていた。
ベッドから降りると、家のチャイムが鳴った。この朝早くから来客があったらしい。
寝巻のボタンを外していると、婆さんが一階から俺を呼んだ。
同級生の女の子が迎えに来たのだそうだ。
手早く制服を身にまとい、歯磨きと整髪だけを済ませて玄関口に向かった。
なぎさと祐介先輩が待っていた。
「おはようございます先輩! なぎさ! 今日もいい天気だなッ!」
俺はとてもさわやかに挨拶をした。
「おはよう、真司くん。……爽やかすぎて逆に不自然だよ」
そして朝一番の突っ込みをいただいた。
「真司くんが寝坊なんて珍しいね」
「あー、ちょっと夜更かししたからかな。深夜番組見すぎたせいかもしれない。
先輩も見ました? 富士の樹海でツチノコ探すやつ」
「おー、ちょっと見た! あれだろ。見つけると賞金もらえるやつだろ?
三十万はでかいよなあ」
「三十万あったら何買います?」
「新しいカメラかな」
「なぎささんを撮る用ですね、わかります」
「……」
どうってことのない雑談を交わす先輩と俺。その姿をなぎさが呆気にとられた表情で見守っている。
「三十万あったらかなりいいもの食べられますよね」
「お、カニとかフグとかいいな! うちは親父が詐欺にあって以来そんなん食べてないからなぁ」
「じゃあ冬休みに行きましょうよ。北陸あたり」
「その前にツチノコ捕まえないとだな。何を持ってったら捕まるかな」
「ちょっと待って二人とも」
通学路も半分に差し掛かろうとしたとき、ようやくなぎさが口を挟んだ。
「どうしてそんないつも通りなのよ! 昨日まであんなにシリアスだったのにっ!」
俺たち二人を交互に見ながら抗議を口にする。よもや普通にしていて怒られるとは思っていなかった。
心配して損した、ということなんだろうか。
「や、なぎさ。俺ら別にケンカしてたわけじゃないし」
な? と先輩が振ってくる。俺も普通に頷いて返した。
「はい。ケンカとは違いますよね」
「え、じゃあアレなんだったの?」
「教育……かなぁ」
「教育……ですかね」
先輩と顔を見合わせて首を傾げる。
「いやあまりに梶本がネガティブなことばっかり言うから、ちょっと気合入れてやらねばと思って」
「謙虚って言ってください。日本人の美徳じゃないですか」
「お前のそれが謙虚だったら日本は恐ろしいことになるわ」
俺の深刻な体質を、なるべく深刻に聞こえないように茶化して表現をする。
俺はある出来事から、自分の力を一切信じられなくなった。
そして同時に、他人が自分を認める言葉を信じられなくなった。
それは性格というよりもなぎさの嘘アレルギーに近い。そういう体質なのだ。
初めて会ったとき。なぎさのことを他人に思えなかったのは、そういった部分が共通していたからなのかもしれない。
「まぁそういうわけだから」
え……結局よくわからないんだけど。
なぎさはそんな風にも言いたげな顔をしていたが、俺らはまたどうでもいい話題に戻してそれ以上の追及をさせなかった。
俺の過去なんか聞いて気持ちのいいものじゃない。知る必要もないことだ。
それに今はなぎさが余計なことを考えない方が重要だろう。たぶん先輩もそれを意識して、いつも以上に、いつも通りのやりとりを演じてくれたんだと思う。
なぎさの進級試験まで残るは一週間。
毎日の生活態度や勉強に打ち込む態度が認められ、受験資格は難なく得ることができた。中間テストでは担任や俺たちの予想を上回る結果を出した。
モチベーションも感じる。今のなぎさに死角はないと言っていい。
唯一の心配は当日のコンディションだ。体調と気持ちさえいつも通りならなぎさは試験に通るだろう。
だからこそ俺らもいつも通りに。打ち合わせなんかしなくても、先輩と俺の意志は通じていた。
「なぎさは余計なこと考えなくていい。試験に集中しような」
「頑張れよなぎさっ! お兄ちゃんは信じているぞ!」
「——うん」
なぎさはまだ何かを言いたげな顔をしていたが、それで表情が切り替わった。
彼女なりの真剣モード。危うさは感じられない。
羨ましいくらいに彼女は強くなっていた。
そして迎えた試験の日。
こちらから手ごたえを聞くまでもなく、テストを終えたなぎさは
「ばっちり」
一言そう答えた。
採点はその日のうちに行われた。
結果は予想をした通り。なぎさは俺や健太郎たちと一緒に、二年生へ進級できることが決まった。
「今日はなぎさちゃんの合格祝勝会にようこそお集まりいただきました。
それではわたくし、不肖、日塚健太郎が乾杯の音頭をつかまつ」
「かんぱーい!」
無意味っぽい口上が始まりそうなのを察知し、俺はグラスを掲げた。なぎさとあかりもそれに乗っかってグラスを上げる。
「っておいッ!」健太郎は文句を言いながらも慌ててグラスを握り、口を打ち付けた。四杯のジュースが跳ねるように揺れた。
「おめでとう、なぎさちゃん」
真っ先に祝いの言葉を口にしたのはあかりだった。
「一緒に進級できることになってよかった。来年も一緒のクラスになれるといいね」
「ありがとう。国語の勉強では本当にお世話になりました。あかり先生」
「せ、先生じゃないよ」
不測のからかいに慌てるあかり。なぎさ笑いながらも、ぺこりと頭を下げる。
なんだかまたこの二人は仲が良くなっていたようだ。
「なぎさちゃん、どんどん成績良くなってる。これからはライバルだね」
「ライバル……色々な意味でね?」
笑顔のまま固まる両者。
あれ、仲良くなったんじゃないのか?
不思議な沈黙が生まれかけた。が、健太郎はお構いなしに自分の話を始めた。それをきっかけに、なぎさとあかりも普段の調子に戻っていた。
「いやそれでさ。聞いてよ。実はね。なぎさちゃんが頑張ってる裏で、僕も活躍してきたわけですよ」
健太郎が張った胸をどんと叩く。
「何と僕、こないだの選考レースで県記録出しました」
県記録……って、県の高校記録を塗り替えたってことか?
健太郎はまたぶっ飛んだことをさらりと言いやがった。中学の県記録を持っているのは知ってたけど、まさか高校の県記録を1年で塗り替えるとは。
「すごい! 健太郎くん!」
「は、速いのは知っていたけれど」
「ふっふっふ。もっと褒めてくれていいよ! さあ真司も僕を褒めるといい!」
「恐れ入ったよ。お前の速さならどんな警官からも逃げ切れそうだな」
「何で手配中の設定なのさ!?」
馬鹿みたいなやりとりで笑いあう。
最近はなぎさが試験前だからと、こういう時間を過ごすことが少なかった。だからか余計に楽しく感じた。
「そういえばあかりも、生徒会の立候補が決まったんだよな」
「うん。なんとか署名が集まったから。でも選挙するまでわからないよ?」
「書記は信任投票なんだろ。そんなのあかりが落ちるはずない。むしろ得票率100%とかも目指せるんじゃない?」
「可能性はあるな」
少なくとも一年生の票は全て信任でもおかしくはない。それほどにあかりを好く人は多い。
「贔屓目なしに、あかりなら当選できるよ」
太鼓判を押すと「ありがとう」控えめながら、あかりははにかんだ笑顔を見せてくれた。
「いやぁ、なんか絶好調だね僕ら」
健太郎が誇らしげに言う。俺はそれに合わせて「だな」と言って笑った。
あかりだけがワンテンポ遅れて
「真司くんも、中間テスト凄かったもんね?」
そう付け加えた。なんだかまた気を遣わせてしまったみたいだった。
別に俺は気にしてない。
そう言おうとした。すると健太郎が「真司ももっと何かやったらいいのに」と、遠慮も何もなく口にした。
「真司は勉強できるし、スポーツもやれるじゃん。まあ僕ほどじゃないけどさ。なんか勿体ないぞ?」
「別に、どれも自慢できるほどじゃない」
「そ、そんなことないよ! テストで一桁なんてなかなか取れないよ? 体育だっていつもすごいし!」
「まぁ僕ほどじゃないけどね」
「お前はそればっかだな」
「真司くんは読書家だし、困ってると一番に助けてくれるし、他にもえーと、えーと……」
あかりは俺の長所を探して探して、次々に挙げてくれた。よくそんなに人の事を見ているなと思う。
健太郎もあかりも心から言ってくれているのはわかった。俺は本当にいい友達に恵まれた。
もしも俺が人の言葉を素直に受け取れたなら、感極まっている場面かもしれないな。
なんの感動も覚えることのできない体質が今、ほんの少しだけもどかしく思えた。
ファミレスでのささやかな打ち上げは七時くらいまで続いた。
あかりは門限があるとのことで、二次会もなく、俺となぎさは健太郎たちと駅前で別れた。
夜道をなぎさと並んで歩く。お互いの口数は少なく、夜の雑音が耳に心地よい帰り道だった。
「これから時間、あるかな」
そう聞かれたのは、工藤家の前に着いた時の事だった。
手を振って別れようとした間際になって、なぎさは急に深呼吸をした。そしてワンテンポ置いて口を開いた。
まるで何か決意をしたかのように。
「——これからうちに寄って行かない?
その、ね。お願いしたいことがあるの」
上目づかいに俺を見上げながら、なぎさは身をよじらせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます