第11話 なぎさ、学校へ行く(3/4)


 朝練を終えて昇降口へ向かうと、下駄箱の前にクラスメイトの姿を見つけた。


「おはよ、あかり」

「あ、おはよう。真司くん。今日は少し早いんだね」


 靴を履き替えながらあかりの言葉に頷く。「練習が少し早く終わったんだ」そう説明すると「お疲れ様です」とねぎらいの笑顔が返ってきた。


「そういえば真司くん。昨日……」

「うん」


「工藤さんに呼ばれてたみたいだけど、その」

「?」


「何だったのかなって」

「ああ」


 あかり達と話をしている最中に呼び出されたっけな。事情も話しそびれていた。


「先生からの呼び出しがあって、それを伝えてくれただけ。でも何で?」

「そうだったんだ。その……健太郎くんがすごく気にしてたから」


 めんどくさい事を思い出してしまった。そういえばすごい見てたな健太郎のやつ。


 顔を合わせたら追求は避けられないだろう。やましいことは何もないけれど、面倒なことに変わりはない。


 せめて朝は勘弁してほしいな。健太郎は教室に来るの遅いし、荷物だけ置いて図書館にでも潜っていればいいはずだ。


 そんな計画を練りながら教室の戸を引く。


「おはよう、しーんじ」


 開いたばかりの戸を黙って閉めた。


 疲れているのだろうか。会いたくなかった誰かさんの姿が見えた気がする。


「何故閉めるのかな? 真司くん。やましいことでもあるのかい?」


 健太郎の声が聞こえた。


 それも背後から。


「——いつの間に背中を取った?」

「今やこの地区で僕より速く動ける人はいないね」


 さすが陸上部のエース。バトル漫画みたいな動きだったぜ。


「それより真司。単刀直入に聞かせてもらうぜ。なぎさちゃんとはどういう関係かな」


 健太郎の目が鋭く光った。口こそ挟まないが、あかりもしっかりと耳を立てている。


「知り合いだよ。サッカー部の先輩の妹さんなんだ」

「ということは自己紹介の前から、真司はなぎさちゃんのことを知ってたわけだ」


 やっぱりそこに気づくか。


 昨日の賭けは俺が勝つことは最初から決まっていた。俺はなぎさの容姿を知っていたんだから。


「コーヒー奢らせたのを根に持っているのか」


 訊くと、健太郎は大きく首を横に振った。


「いいや、知ってても勝ちは勝ちでしょ。そんなのはどうでもいいんだ。

 重要なのは真司がなぎさちゃんと接点があるってこと」


 だんだんと健太郎の意図がわかってきた。要は俺を通せばなぎさに近づくきっかけができる、と。


 女子に近付くくらい自分でやれ。普段の俺ならそう言うところだろう。


 けどあえて「何が望みだ」と続けてみる。


「さすが! 話がわかるな親友ともよ!

 じゃあ今日の昼、一緒できるように誘ってくれ! なぎさちゃんのこといろいろ知りてえ!」

「断られてもへこむなよ」

「頼んだぜ真司! っと鞄持ちますよ真司さん」


 急に腰の低くなった健太郎は俺の鞄を奪うと、教室へ戻っていった。


 登場もいきなりだったが、退場もまた突飛な男だ。


「珍しいね。真司くんがこういう頼みを聞くの」


 あかりが俺を見上げて聞く。俺は「かもね」と曖昧な返事をした。


 もちろん頼みを受けたのには理由がある。なぎさの体質と健太郎のバカ正直さは相性がよさそうに思えたからだ。


 あいつは基本的に何も考えていないからな。頭はいいくせに計算して動かない。


 あかりも気遣いのできる子だから、関係を作れれば最高だろう。


 それに俺も……。


「俺も工藤さんと話したいって思ったから」


 本音とおぼしき言葉が自然と出た。言うつもりはなかったのに、自然と口にしていた。


「——そうなんだ。うん、わたしも楽しみにしているね」


 それだけ言うとあかりは俺から視線を外した。あかりも歓迎してくれてるみたいだ。


 さて約束してしまったからには早めに動こう。先約が入ったらどうしようもない。


 窓際の席を見てみる。白いシュシュの映えるポニーテール少女の後姿がそこにはあった。





 ホームルームの時間が迫っているためか、なぎさの周りには珍しく人がいなかった。


 多くの生徒が席に着きながら雑談を交わす中、なぎさはノートを広げて黙々と予習に勤しんでいる。


 なんか話しかけづらいな。集中してるし。


 なんとなく声をかけるのを躊躇っていると、なぎさのほうが俺に気づいてくれた。


「あ、おはよう。梶本くん」

「おはよ、なぎささん。少しいい?」

「うん。何?」


 なぎさがノートを閉じ、身体をこっちに向けた。


「今日の昼なんだけど、一緒にどうかな」

「いいよ。でもどうして急に?」


「なぎささんのこと色々知りたいんだ」

「——え?

 いきなり……そんな、嫌とかじゃないけど……」


「って健太郎が言ってたからさ」

「って言ってたって言われても……え?」


 何かを言いかけたなぎさの口がそのままの形で止まった。


 そっか。まだ名前で言われるとわかりづらいのかもしれない。


「ああ、健太郎ってのは日塚のことね。

 あいつと双葉さんと俺でよく昼ご飯を食べるんだ。それで今日はなぎささんもどうかなって」


「——どうしてそう期待させる言い方するかなぁ」


 なぎさはむくれていた。ほんのり赤らんだ顔で、微妙に非難を混じった視線を向けている。


 何か怒らせるようなこと言っただろうか。


「もしかして先約があった?」

「ううん。大丈夫」

「よかった。じゃあ四限終わったらまた声かけるよ」

「うん」


 一瞬変な空気になったけど、何事もなく話はまとまった。


 よし、任務完了。俺は遠目に見ている健太郎に親指を立てた。


「梶本くん」


 立ち去ろうとして、なぎさに呼び止められた。振り返ると、なぎさは囁くような声で言った。


「誘ってくれてありがと」

「いや」


 つられたのか俺の声も小さくなる。意味もなく、やりとりがたどたどしい感じになった。特別なことが起きたわけでもないのに。


「じゃあ、また後で」


 俺は軽く手を振って背を向けた。目をそらす間際に、なぎさが小さく頷いたのが見えた。





 そして(健太郎が)待ちに待った昼休みがやってきた。


 勉強道具を片してすぐになぎさのところへと向かった。なぎさもまた手早く片づけを済ませ、小さな弁当箱を机の上に乗っけて待っていた。


「行こうか」

「——うん」


 なぎさが席を立つ。


 微妙に動きが硬かった。緊張しているらしい。


「手と足が同時に出てるぞ」

「え!?」


 慌てて足元を見下ろすなぎさ。しかしはっとしたように「嘘。出てないでしょ」と指摘した。


 一瞬、嘘を見抜く能力が鈍るくらいに緊張していたらしい。


「冗談。でもやりかねない感じだった」

「うん、すごく緊張してる。人見知りなのは元からだし。

 ……。気分悪くなってきたかも」


「これから食事なのに体調を崩してどうする。

 大丈夫。健太郎とあかりはすごくいい奴らだから。保障するよ。それに」


 歩調の緩むなぎさの為に言葉を捜した。背中を押せるような言葉を。


「もしものときは俺がフォローする。だから安心して昼休みを楽しんだらいいよ」

「ん」


 返事は一言にもならない言葉だった。けれど足取りは軽くなったのが、目に見えてわかった。


 健太郎とあかりの待つ席へ向かう。「お、来たね!」俺たちの姿を捉えた健太郎がさわやかに笑った。


「待ってたぜ! ささ、なぎさちゃんも適当に座っちゃって!」

「ありがとう。日塚くん」


 なぎさが必殺の微笑みを浮かべる。


 先ほどとはうって変わって自然体を思わせる顔になっていた。本番には強いタイプなのかもしれない。


「双葉さんもはじめまして」

「は、はじめまして、です」


 どちらかというとあかりの方が緊張しているみたいだった。


「よっし、揃ったな! それじゃ一応自己紹介とかしようぜ!」

「俺もか? すでに知り合いだけど」


「真司もやれよ。せっかくだしさ」

「わかった」


 隣のなぎさへ顔を向ける。


「梶本真司です。よろしく。

 はい次、あかり」

「は、はい。双葉あかりです。よろしくお願いします」


 ——。


 終了した。


「って終わりかよッ!?」


 驚愕の叫びをあげる健太郎。


 心地いい間のツッコミだった。芸人魂を感じる。


「十五年ちょい生きてればもう少し語ることあるだろ!

 しょうがない……あれをやろう」

「あれって?」


 あかりと俺の声が重なった。なぎさは小首をかしげてやりとりを見守っていた


他己たこ紹介さ」

「……たこ? ごめんなさい、わたし蛸のことはあんまり……」


「違うよあかり。軟体生物のことじゃない。

 要するに他の人が自分の紹介をするってことだろ」

「さすがは真司。あかりもナイスボケだったね」


 健太郎がにやりと笑う。あかりは恥ずかしそうに俯いていた。


 どうやら普通に勘違いだったらしい。


「そう! 例えばあかりの紹介なら僕と真司がやる。真司の紹介はあかりと僕がやる。そして僕の紹介は真司とあかりがやるんだ」

「面白そうだね」


 なぎさの反応に健太郎が「でしょ!」と胸を張る。


 まだ勝手をよくわかっていないが、もうやる流れになっていたのでとりあえず了解した。


 あかりも「上手に紹介できなかったらごめんね」そう言いながらも、言葉を考え始めているようだった。


「じゃあ僕から真司の紹介をするよ。


 真司はいい奴だ。何がいいってノリがいい。クールだけど、どんなボケも絶対拾ってくれるんだ。


 そして意外にむっつりなとこもある。


 勉強はすごいできるから、僕やあかりもよく教えてもらってる。


 運動も本気出せば僕と同じくらいすごいかもしれない。きつい努力を平然とするんだよね、とにかく。


 けど意外とむっつりなとこもある」


「ちょっと待て」


 俺が止めると、健太郎はハテナマークを浮かべてこっちを見てきた。


 この紹介じゃ俺がむっつりなとこしか印象に残らないだろうが。


 俺が文句を言おうとすると、あかりが


 ……そうなの?


 って感じの視線を向けているのに気がついた。なぎさのほうは笑顔だが、目はすごい意味深な感じでこっちを向いている。


 否定するほうが逆にみっともない感じになりそうだった。


「——何でもない。続けよう」


 苦し紛れに返事をすると、今度はあかりが俺の紹介をはじめた。


 あかりがこの釈然としない気持ちをなんとかしてくれることだろう。俺はそう信じた。


「えと、真司くんは優しい人です。健太郎くんの言うようにちょっとクールな感じだけれど、よくいろんなことに気がついて、助けてくれます」


「そんな真司のことを?」

「そんな真司くんのことをわたしは……

 って、え? あ、……ええ!? ちょっと健太郎くんっ!」


 突然の振りにあかりが硬直し、健太郎に抗議する。頬が小動物みたいにむくれていた。


「変なこと言わせようとしないで!」


 変なことって何だろう。何を言われそうになったのかちょっと怖いな。


 そして隣ではなぎさが微妙に身を乗り出していた。


「……」


 無言でなぎさがあかりに視線を向けている。


 単なる茶番だぞ。そんな真剣に聞かなくても。


「じゃあ次は僕の紹介だな! 頼むぜ真司っ!」

「わかった」


 俺は健太郎の情報を頭の中に並べた。


「日塚健太郎。十五歳。とにかく明るくて人気者だ。女子からはモテモテで、先生たちからの信頼も厚い。


 と、本人は信じている。


 家はすごい金持ちで、別荘なんかは軽井沢とハワイに一軒ずつ。山林も含めたら東京ドーム千個分くらいの土地を持ってる。


 というのが夢らしい。


 座右の銘は“明日できることを今日やるな”


 日々を楽しく生きることに全力投球のナイスガイだ」


「ちょっと待てっ!」


 手刀を俺の前に突き出して、健太郎が物言いをよこした。


「座右の銘のほかは全部テキトーじゃないか!」


 座右の銘は当たっていたのか。内心で呆れていると「もういい自分で言ってやる!」と健太郎が自己紹介を始めた。


「僕は日塚健太郎! 十五歳!

 とにかく明るくて人気者で、女子からモテモテだったらいいなって思ってるナイスガイさ!」

「同じじゃねーか」


 俺はその頭をスパン、とはたいた。爽快な音が周囲に響いた。


「ふふっ」


 なぎさの口から笑いが漏れる。それを見た健太郎が満足そうに、机の下で親指を立てた。


 コント終了の合図だ。


「緊張は解けた?」

「うん。すごく楽しかった。ありがとう」


 なぎさが言うと、健太郎は俺に拳を突き出した。俺も右手をこつん、と突き合わせた。


 即席の悪ふざけはうまく新入りの緊張をほぐしてくれたらしい。


 やっぱり健太郎はこの手のコミュニケーションが上手い。改めてそう思う。


 なぎさはここに来たときからずっと笑顔だった。緊張を見せないように振舞っていた。


 それでも健太郎はなぎさが緊張しているのを見抜き、リラックスさせるように動いていた。それも計算じゃなく本能で。


 周りに人が集まるのはこういう理由なのだろう。


 やっぱり健太郎となぎさの相性は悪くない。誘いを受けたのは正解だった。


「改めて、日塚健太郎です」 


 先ほどまでとは違う落ち着いた調子で健太郎は笑った。


「いい友達になりましょう! これからよろしく!」


 そして手を差し出す。相変わらず頬の熱くなることを平気で言う男だ。見ているこっちがむず痒くなってくる。


 それでも健太郎の手を取ることは、なぎさにとっては大きなプラスになるはずだ。


 健太郎とあかりと俺と。俺たちの輪になぎさの混じるイメージが浮かんだ。


 しかし、差し出された手は宙に浮いたままだった。


 どうかしたのだろうか。なぎさに視線を送る。


 なぎさは健太郎の手を直視したままだった。


 膝に置かれた手は固く握られ、小さく震えている。


 その時になって俺は。


 イレギュラーな事態が起きていることを、ようやく理解した。

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