第11話 身食い

 宵に明星が輝く頃。

 俺とアリシアに見守られ、その幼龍は眠っていた。


 生まれた幼龍は、ジークと名付けられた。

 神話の英雄の名前を借りた立派な男の子だ。


 ジークはよく騒ぐ。よく眠る。そしてよく食べる。

 こうして書けばすくすくと成長しているように感じられるかもしれない。しかし、現実はそうではなかった。


「やっぱり、人には懐いてくれないのかな」

「何を弱気になってるんですか! まだ始まったばかりですよ!」


 ジークはよく騒ぐ。

 そう。親龍をさがして騒ぎ立てるのだ。これが鳥類なんかだったら刷り込みでもできたのかもしれないが、あいにくドラゴンはきちんと親の判断ができるらしい。日がな一日鳴き続けている。


 ジークはよく眠る。

 お日様が昇っている間さんざん騒いだかと思うと、日が暮れるとともにパタリと眠る。それはまるで赤ちゃんが充電が切れるまでフルパワーで遊び、電池が切れると同時に眠りに就く様に似ていた。


 ジークはよく食べる。

 己に生えた龍鱗を、千切ってはボリボリと貪って腹内に納める。これは、ストレスのたまった馬が自分の体毛を毟る身食いと似ている。ジークはストレスが溜まっているに違いなかった。


「そうだな。弱気になるには早すぎるよな」

「そうですよ……はい、治療完了です!」

「ああ、ありがとうアリシア。君がいてくれてよかったよ」

「えへへ……」


 ジークが身食いした鱗は、その都度アリシアが治してくれた。おかげでなんとか生きながらえているが、このままだとストレスで病気になるだろう。


「なあ、アリシア。一度ジークを、連れて行こうかと思うんだ。コイツの親が眠る場所に」


 ジークの不調の原因は分かっている。

 母親を一度も見たことが無いからだ。


「……そうですね。それがいいかもしれません」

「じゃあ、善は急げだ。ジークが寝ている間に連れて行ってみるよ」


 そう言って俺はジークを背負った。

 まだ小さいのに、人の子供よりもずっと重い。


「ウルさん!」


 家の敷地から、一歩踏み出そうとした時だった。

 アリシアが声をかけてきた。


「急いては事を仕損じる、ですよ」


 俺は一瞬きょとんとして、それから頷いた。


「分かってるって。じゃ、のんびり行ってくるよ」

「お気をつけて」


 そうして俺は歩き出した。


 月明りの無い下り闇。

 そんな、星降る夜の事だった。



 夜の森は、漆のように黒かった。

 あちこちから飛び出した背の高い木々は闇色に染まっていて、一歩足を踏み出すたび、影が足元から迫りくるような気分になる。一刻も早く、あの、空が見える場所に出たいという気持ちが暴れ出す。たとえそこに、月明りがなかったとしても。


 相も変わらず柔らかな土壌は、ジークの重さの分、いっそう足に纏わりついた。泥の上を行く、そんな錯覚に囚われそうになりながら、俺はあの場所めざして一心不乱に歩き続けた。


 耳元ではジークが、穏やかな寝息を立てている。


 足元で、パキッと小枝の折れる音がした。

 それに反応したのか、暗闇の向こうでは、なにともわからぬ獣が駆けて行く音がする。


 一歩ずつ進むと、やがて星空が広がった。

 星雲をかきまぜたような、紫や青、緑に赤の綯い交ぜになった、とりどりの色の星空だった。


「ジーク、ほら、ごらん?」

「……きゅる?」


 背負ったジークをポンポンと揺すり、重い瞼を開かせる。


 ジークは暫く目をしぱしぱさせていたが、やがて目の前のそれが何かに気付くと暴れ出した。それを邪魔するつもりはないため、素直に背中から解放する。


「きゅるるるる! きゅるるるる!」


 力強く大地を蹴るジーク。

 親の元まで駆け寄ると、必死に泣き縋った。

 それはドラゴンが出したというには、あまりにも高い音色。空っぽの世界に、ジークの声だけが虚しく響く。


 ……どれだけ、そうしていただろうか。

 やがてジークも理解したのだろうか。

 彼は泣くのをやめ、親の前でただただ立っていた。

 月明りの無い真暗い夜。

 墨塗のシルエットだけが、星空に沈んでいる。


「きゅるる」


 ジークは暫く微動だにしなかった。

 それでもようやく動いたかと思うと、ちいさく、息を吐くように声を零し、それから俺のもとに歩み寄った。

 春とはいえ、夜も深ければ肌も冷える。

 寄りかかったジークの体は、少しひんやりとした。


「もう、いいのか?」

「きゅる」


 これまで見たことが無いほどに、ジークは落ち着いていた。首に手を回し、抱き寄せる。俺の肩に、ジークは顎を乗せた。


「ジーク。お前が望むなら、ここにいてもいい」

「……」

「でも、もし、叶うなら――」


 肩に、何か暖かい雫が落ちた。


「――一緒に、帰ろう?」


 ジークが啼く。星降る空の下。



 再びジークを背負い、山を下り終えた時には既に、空はわずかに白みだしていた。そこから広い草原を超えて、家に帰るわけだから、当然、家に着く頃にはすっかり朝になっていた。


「おかえりなさい、ウルさん、ジーク」


 それでも。

 アリシアは扉の前に立ち、待ってくれていた。

 ジークが満足いくまでただただ待った俺より、ずっと長い時間、彼女はひたすら待ってくれていた。


 俺は背負ったジークと顔を合わせ、それから。


「ただいま」

「きゅるるる」


 そう、短く返した。


 それからの事である。

 ジークが暴れなくなったのは。

 ジークが身食いをしなくなったのは。


 この日から。

 俺たちは、本当の家族になったんだ。

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