第8話 生態調査とタマゴ

「ウルさん、ウルさん」


 小鳥たちがさえずり合う、爽やかな朝。

 今日も朝から山に野草を採りに行こうと部屋を出るとアリシアがいた。髪の毛はおろされてはいるものの寝ぐせなどは見受けられず、いつものように艶やかな輝きを抱えている。


「おはようございます、ウルさん」

「おはよう、アリシア。どうしたんだい? こんな朝早く」

「少し、お話をしませんか?」

「話? 構わないよ」


 リビングに行こうかといい、部屋を後にする。

 椅子を引き、腰を掛ける。


「ウルさん。王都で行われる剣術大会はご存じでしょうか? 本日が参加締め切りなのですが」

「知ってるよ」

「では、優勝賞金はご存じですか? これだけあれば夫婦二人が向こう数年は安心して暮らせそうですね」

「……そうだね」

「もう一ついいですか?」

「おっと、誰か来たようだ」


 もういい、何が言いたいか分かった。

 心と心で通じ合えた。そして却下だ。


「さらっと嘘つかないでください!」

「そういう決めつけ、良くないと思います」

「じゃあ検証してみせますよ! 誰も居なかったら私のお願いを一つ聞いてもらいますからね!」

「それは困る」

「嘘なんじゃないですか!」


 そんな頭の悪いやり取りをしていると、『コンコンコン』と扉が叩かれた。アリシアの表情が「そんなまさか!?」という驚愕の色に染まる。

 神は俺に味方した。


「な、嘘じゃなかっただろ」

「瓢箪から駒が出ただけじゃないですか! こんなの無効です!」

「それでも俺は嘘を吐いていない」


 わいわいと馬鹿騒ぎしながら、玄関に向かった。

 扉を開くと、そこにいたのは受付嬢だった。


「あ、どうも朝早くから申し訳ございません」

「いえ、お気になさらず。どうかなされましたか?」

「はい。本日はウルティオラさん宛ての依頼をお届けしに来ました」

「俺宛ての依頼?」


 はて、再登録後のランクは最下層のFのままなんだが、一体誰が俺を指名して依頼を出したのだろう。

 受付嬢が懐から一通の手紙を取り出す。

 受け取って、差出人を確認する。

 ――宿泊の町リグレット冒険者ギルドマスター。

 ……あの人か。なるほど。


「この場で確認させていただいても?」

「はい。なるべく早くとのことでしたので」

「はて?」


 ギルドのマークが入ったシーリングスタンプを剥がし、中身を確認する。

 急ぎの用事といいつつも、しっかりと時候の挨拶から入っているそれは、依頼書というより手紙という感覚の方が近かった。最後まで読み、封に戻す。


「あの、差し支えなければどういった内容かお聞きしてもよろしいでしょうか? ああ、いえ! もちろん、無理でしたらいいのです。ですが、マスターが依頼するほどの事とは一体……」

「ああ、大丈夫ですよ。どうやら最近、東の森から草原に出てくる魔物が多いらしいです。その原因を調べてほしい、つまり生態調査の依頼ですね」

「なるほど、そういうことでしたか」


 基本的に動物というのは縄張りを持っている。

 その縄張りを飛び出す理由は、大きく三つある。

 一つ目は偶然。どんなに低い確率でも、何度も機会があれば起きることだってある。

 二つ目は生息過多。同種族が増え、餌が不足するような事態に、新たな狩場を求めて新天地に赴く場合がある。

 三つ目、これは生態系を揺るがす何かが起きた時。例えば天敵がいないから縄張りにしていたのに天敵が現れた場合、それから逃げるように縄張りを捨てる事がある。


 一つ目であれば杞憂であるが、二つ目、三つ目であれば対策が必要である。その検証に元勇者である俺があてがわれたというわけだ。


「というわけだからアリシア、話の続きはまた今度な!」

「むぅ、何嬉しそうにしてるんですか」

「そんなことないって。じゃ、行ってくる!」



 青い氷のように澄んだ空気。

 背の高い針葉樹がひしめく森。

 苔むした樹皮は自然の香りを漂わせ、鬱蒼とした木の下闇からはときおり、なにともわからぬ獣が茂みを揺する音が聞こえてくる。

 東の森は、そんな場所だった。


(獣たちの警戒度は確かに強まってる感じがする。けれど、生態系というくくりではそこまで変化は)


 前に野草を採りに来た時も、こんな感じだった。

 漂う雰囲気が著しく変化しただとか、前はいなかった虫がいるだとか、そういうことは無いように思える。

 もっとも、ほんの数日で大きく変わっていたらそれこそ驚きなのだが。動物がいなくなったという訳でなければ徐々に戻るのではないかと予想する。


(偶然が重なっただけ……いや、待て!)


 一歩踏み出して、気付く。

 すぐそこの斜面に、獣の足跡が複数あった。

 そしてそれらは、まるで何かから逃げるように一方向に向かっている。


 その何かを調べるように、俺は足跡を遡った。

 その方向には、獣道すらなかった。

 ただ獣が慌てて逃げた足跡だけが続いている。

 足を一歩運ぶたび、腐葉土の堆積した地面が足を掴んで引きずり込もうとするようだ。


 森が途切れ、陽の光が差す場所に出た。

 白いアーチ状の五百引岩いおひきいわの様な物が、地面からザクザクと生えている。


「ドラゴンの遺骨……」


 そう。その白色の天守閣の正体はドラゴンの遺骨。

 下から覗けば、一体のドラゴンが鎮座しているのがみえる。

 灼熱が胎動するような赤い肌。岩に似た体。

 ドラゴンとしては一般的な赤竜だ。

 飛膜は破れ、鱗は電圧で焼け焦げていたが、それでもなお、そのドラゴンは気高くその場に鎮座していた。


「……立ったまま死んでるのか」


 その威厳あるたたずまいに生命の息吹を錯覚しそうになるが、これは間違いなく死骸だった。この虚像からは、命の鼓動が聞こえない。まるでカカシのようだった。


「そうまでして守りたかったものは何なんですかね」


 竜の遺骨を掻き分けて、その死体に歩み寄る。

 そして分かった。

 このドラゴンが、仲間の死骸を利用してでも守り抜きたかったものが何なのか。自分の死体さえも利用して守りたかったものが何なのか。


「ドラゴンの卵……!」

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