第14話 師匠

「さて、盗み聞きとはいただけないな。出てこいよ」


 俺がそう投げかけると、茂みがわさわさと蠢いて、その中から人が現れた。フード付きのローブをゆったりと着こなす、どこか見覚えのある背の高い男だった。

 どこだ、俺はどこでこの人と会った?

 そんなことを考えていると、長身瘦躯の男が口を開いた。


「久しいな、ウルティオラよ。まさか見抜かれるとは思わなんだぞ」

「……その声、まさか!」


 男がフードを脱ぐ。

 中から覗かせた顔は、俺が良く知る顔だった。


「……お頭? なぜここに」


 影武者として表舞台に立つより昔、俺は隠密の一人として育てられていた。その頃、俺の面倒を見ていてくれたのが目の前の長、お頭だった。

 表舞台に立った頃から、俺は破門の身だが。


「何故、か。お前はそこまで愚鈍ではあるまい。およその見当はついているのではないか?」


 お頭は事も無げに呟いた。

 声も存在感も希薄で、少しでも気を抜けば陽炎のように溶けて消えてしまいそうな人だ。だが、強い。


「……アリシアの事ですね?」

「そうだ」


 なんとなく、予想は出来ていた。

 いつかこんな日が来るだろうことを。


「お前は聡い。分かっていた事だろう? 聖女がいるべき場所はお前の下ではない。然るべき場所にて、然るべき活躍をする。それが聖女に求められていることだ」

「……」

「私に与えられた任務は聖女の奪還だ。退け、ウルティオラよ。退けばお前は見逃してやる。教えただろ? 敵わない相手には挑むな」

「……確かに、聖女に求められているのはそれです」


 風が吹いた。

 冷たい息吹に、木々がざわざわと不穏に嗤う。

 肝を冷やすような空気。

 俺は腹をくくって、こう言った。


「――でも、アリシアが望んでいることじゃない」


 俺は彼女に問うた。

 聖女としてではなく、アリシアとしてそばにいてくれるかと。彼女は応えた。ならば俺は彼女を聖女としてではなく、アリシアとして受け入れよう。


「それにお頭、あなたは勘違いをしている」


 そのためなら、たとえお頭相手だろうと。

 アイテムボックスから、一本の刀を取り出した。

 鞘から抜き放てば、僅かな星芒に白銀が揺らめく。


 沈黙を保つお頭に、俺は言う。


「今の俺は、あんたより強い」


 魔族と戦ううちに、一つの感覚が養われた。

 それは相手の力量を正確に読み取る能力。

 お頭レベルのプレッシャーを放つ相手など、今まで何度となく屠ってきた。


「聖女の力が必要なのだ。それすら分からぬほど堕落したか。答えろ、ウルティオラ」

「生憎、人間こっち隠密おまえらと違って感情があるんでね。理解と納得は別なんだ」

「この……愚か者が」


 言うとお頭は、ローブの下から暗器を取り出し射出した。それを俺は刀で払わず、体捌きで回避する。間合いを詰めるお頭に対し、抜き胴を放つように駆け抜ける。

 お頭が身を翻し、俺がいた方を見た。

 遅い。

 一瞬でも目を離した時点であんたの負けだ。


 ――ズドォン。


 一瞬より短い刹那の合間に後ろを取った。

 振り払った峰打ちが、お頭を背中から叩き伏せる。

 地面に打ち付けられた衝撃で、大きな音が響いた。


「どうした、残像でも見えたか?」

「この、ウルティオラ、キサ――ムグッ!?」


 隠密は自身の命を顧みない。

 それはたとえ、隠密の長であったとしても同じだ。

 彼らは奥歯に致死毒を隠している。

 俺はお頭が自死なんて手段を取れないように、鞘をその口に押し込んだ。舌も抑えていて、口をきくこともできない。


 お頭に向かって「退いてください」と、言おうとした時だった。


「ウルさん!? 今の音はいったい!?」


 家の扉が開け放たれて、アリシアが現れた。

 ハッとしてお頭を見れば、手のひらを彼女に向けている。しまった……!


「アリシア! 伏せろ!」


 ザシュ。

 そんな音が聞こえた。

 俺もよく知っている。

 手首に仕込まれた毒針を射出する暗器。

 それが人の体に刺さった音だ。


「アリ……ごふっ」


 注意がそれた瞬間、お頭の蹴りが脇腹に刺さった。

 ダメージ自体はそんなになかったが、突きつけていた鞘が離れ、お頭は自由になってしまう。


「ああ、ウルティオラよ。確かにお前は強くなったようだ。だが、強さだけではどうにもならん事がある。それはお前もよく知っているだろう?」

「アリシア……」

「今彼女に打ったのは、遅効性の猛毒だ。今から王都に急げば解毒剤で助かるだろうな?」

「……お頭」


 そうだ。そうだった。

 こいつらにとっての絶対は、主君たる王の命令。

 それを遂行するためなら、どんな手段も厭わない。

 だけど、だからこそ。


「あんた、下手打ったな?」

「何?」


 瞬間、アリシアの体から光が溢れ出す。

 彼女が«神霊解呪ディトクシファイ»を唱えた証だ。


「聖女に毒を使うなら麻痺毒だ。耄碌したな」

「キサマ!」

「動くな! お前が何かするより早く、二度殺せる」


 白銀煌めく切っ先を、お頭の喉元に突き立てる。

 これ以上アリシアに何かしてみろ。

 それより早くお前を地獄に落としてやる。


「……ウルさん。これは一体?」

「後で話す。だから、部屋に戻っておいて?」

「しかし……」

「聖女様ァ!」


 忠告を聞かずに口を開くお頭。

 少し苛立ちながら、穂先をわずかに近づける。

 お頭の首を、薄皮一枚貫いた。

 彼は構わず話を続ける。


「お戻りください聖女様! あなたのいるべき場所はここにはございません! 民が、人類が! 貴女の帰還を心よりお待ちしているのです! さぁ、さぁさぁ! なにとぞ!」


 アリシアは全てを把握したようだった。

 それから、肝が底冷えするような声で言った。


「……都合が、良すぎませんか?」

「せ、聖女様?」

「一度は自分たちから追放しておいて、状況が悪くなったら縋るんですか? 自分たちの行いが、どれだけ人の心を傷つけるかおわかりですか?」

「し、しかし! 今もなお、多くの人が魔族に虐げられております。多くの人が苦しんでおります! 聖女として、そんな人々を放っておけるのですか!?」

「でしたら私は――」


 何かを言いかけたアリシア。

 一度口を止め、口を結んで、それでも。

 もう一度口を開き、言葉をつづけた。


「――でしたら私は、聖女を辞めます」


 お頭の顔が崩壊する。「そんなこと、許されない」と激高する彼の言葉を、アリシアはぴしゃりと拉ぐ。


「私は聖女としてではなく、アリシアとしてここにいるのです。疾く疾く失せなさい」


 俺は男の首元から切っ先を離した。

 僅かに流れ出た男の血が、刃に滴っていた。


「そういうことだ。退け、退いてくれ、お頭」


 お頭は耳が痛くなるほど歯を食いしばり、怨嗟のこもった声で恨み言を吐いた。


「必ず後悔することになるぞ!」


 拭い紙で、剣を伝う男の血をふき取る。

 それから、鞘に納めて。


「俺はまだ若いから。後悔なんて100回してもお釣りが来ますよ」


 お頭はそれを聞くと、何度か口を開いたが、やがて諦めたように飛び去って行った。


「アリシア……ごめん」

「はい? 何がでしょうか?」

「プロポーズ」


 今までずっと避けてきた。

 それは君がいつか、俺の手を離れてしまうんじゃないかと思っていたから。


「俺が追放されたとき、追いかけてくれただろ? 聖女としてではなく、アリシアとして傍にいてくれる。君がそう言ってくれて、本当は心から嬉しかった」

「……はい。知っています」

「それでも、君は聖女だ。まがいものの俺なんかと違って、多くの人から必要とされている。いつの日か俺の傍を離れてしまうんじゃないかって思って、それで、求婚っていう枷で縛りたくなくて」

「……それも、なんとなく分かってました」

「はは、君には隠し事が出来ないな」


 だけど、ようやく決心がついたよ。

 そう言って、俺は君に告げた。


「これからも、ずっと一緒にいて欲しい」

「……それは、プロポーズですか?」


 そういう君に、俺は笑う。


「プロポーズは、両手いっぱいの花束と一緒にしないと。君との約束だから」


 さしあたり。

 そう前置きして、俺は言う。


「ここからずっと南に行ったところに、サウザンポートっていう港町があるんだ。そこで結ばれた二人は、生涯幸せに暮らせると聞く。どうだろう、アリシア」


 俺は言う。俺は言う。


「俺と、生涯をともにしてくれないか?」


 心臓がバクバクする。

 緊張で、全身から嫌な汗が出てくる。

 けれど、そんな不安も悩みも。

 君の笑顔が、拭い去ってくれる。


「ふふっ。もう、ウルさんったら。私は最初からそのつもりですよ。嫌だと言っても、あなたのお傍を離れるつもりはありません」


 それは、春の日差しより暖かかった。


「あなたとなら、どこまでも」


 心に積もった根雪が、ようやっと流れ出た。

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