第10話 厚紙一重

「さて、魔族。お前が今まで操った人間を素直に解放するっていうなら命ぐらい助けてやってもいい」


 切っ先は魔族に向いたまま。

 俺は問いかけた。


『くっ、何が命を助けるだ。ネオチロシンに侵されたこの身は、もう動く事すらままならん』

「分かってねえな。毒物ってのは広めるだけがすべてじゃねえ。きちんと解毒薬を用意して情報戦を有利に運ぶ。それが近代戦術の定石だぜ?」

『なっ!? た、助かるのか?』

「それはお前次第だな」


 アイテムボックスから、また別の瓶を取り出す。

 同じく茶褐色のそれには、『デチロシン』と書かれたラベルが貼ってある。要するに、解毒薬だ。


「ウルさん! そのような交渉必要ありません! さくっと倒しちゃいましょう」

「それが出来れば楽なんだけどな、もしこいつを倒しても支配が解けない場合、八方塞がりになる」

『あ、ああそうだ。支配を解くことができるのは俺だけだ! ここで殺せばそいつは一生元には戻れない』

「おい、無駄口をたたく暇があるなら答えろよ。解放するのか、しないのか」

『ヒィッ』


 ナイフから殺気を飛ばす。

 魔族は歯をカタカタと鳴らし、気味の悪い汗を垂らしながら口を開く。


『コココ、殺せるものなら殺してミロ! ただし村人たちは一生……』

「勘違いするなよ?」


 ナイフを魔族に突き立てた。

 目の下、頬骨に沿って緑の軌跡が描かれる。

 ぽたりぽたりと、血が滴った。


「これは交渉ではなく救済措置だと理解しろ。お前を殺して洗脳が解けるか試すのも一つの手なのだから」

『こんの……外道がァ』

「知らなかったのか? 俺は勇者なんかじゃない」


 深々と刺さるナイフは、やがて魔族の耳を割いた。

 今度は耳を削ぐように、縦にナイフを構える。


 そこまで耐えた魔族も、ついには音を上げた。


『わ、分かった! 全員解放する! だから、やめてくれぇ!』

「……いいぜ。ならさっさとしな」

『わ、分かった。ただ、洗脳を解除するための器官が硬直してこのままではできない。必ず解放するから、解毒を先に使用してくれ!』


 見れば魔族は、指先一寸たりとも動かさずに不動直立している。ネオチロシンが全身に行き届いたのだろう。確かにこの状況では出来ないかもしれないが。


「ウル! 騙されんな!」

「そうですウルさん! お忘れですか? その魔族は非常に狡猾です」

「そうだよぉ! 罠に決まってるんだよぉ!」

「……」


 確かに、現状、どう考えても罠だ。

 だがしかし、状況が硬直しているのもまた事実。


『クヒ、信頼されないというのは辛いものですねぇ』

「……そうだな」

『クヒヒ、檻にでも閉じ込めていただいて結構ですよ? それで信頼していただけるのなら、それで命が助かるのなら安いものです』

「……」


 信頼されないというのは辛い。

 それは、そうだ。


 魔族相手に掛ける情けなんて持ってないと思っていたが、存外胸に響いた。


「……«鶯牢おうろう»」


 昔、巫女が使っていた技を参考に生み出した技«鶯牢おうろう»を使用する。

 それは無生物を式神にする技。

 それをこの家そのものに適用し、赤レンガを汲み直して即席の牢獄を造る。


 中央に片腕が通せる程度の穴が開いている点を除けば、その獄は堅牢に出来ていた。赤レンガ同士が術式で固く結ばれているため、簡単に壊れる事は無い。


『……つくづく、あなたは規格外ですねぇ』

「よく言われるよ」

『クヒヒ、そうでしょうねぇ。羨ましいですねぇ』


 魔族の態度に大きな変わりはない。

 本当に諦めたのか、それとも、この牢獄では罠を掻い潜れていないのか。

 ――どちらにせよ、だな。


「ほらよ、『解毒薬デチロシン』だ」


 中央の隙間から薬瓶を放り入れる。

 魔族の体にぶつかって、パリンと音を立てて弾ける中身。


 しばらくして、手を結んで開いて、魔族は体が自由になったことを確認した。

 その様子を見届けて、俺は言う。


「おい、もう十分だろう。みんなを解放しろ」

『クヒヒ、ええ、ええ。分かっておりますよ。今、今、今! 解放してみせましょう……まずは、あなたからですよぉ!!』


 次の瞬間、魔族の体が崩れた。

 否、無数の虫に分裂した。


 一個の個体だと思っていたそれは、無数の虫からなる集合体だったのだ。そして、その大きさであれば、瓶を投げ入れた隙間からでも悠々と牢の外に脱獄できる。


 無数の羽虫が、俺を目掛けて飛んでくる。

 キモい。


「ま、そんな事だろうと思ったよ」

『負け惜しみを!』

「負け惜しみなんかじゃないさ」


 こうも数が多いと、どれが本体か分からない。

 本体を殺す訳にはいかない。

 ナイフで迫りくる虫の翅を引き裂き対応する。

 地面に落ちた羽虫には震脚を使い脳震盪させる。


『そんな紙一重の戦い方が、いつまで続くかな!?』

「紙一重……ねぇ。そいつは随分と厚い紙だな?」

「はぁ? 何を言って――」


 なにも、全ての虫を俺が対処する必要はない。

 何せ俺には、信頼できる仲間がいるのだから。


「«紫電の砂霧パラライズ・ミスト»!」

「«領域癒合エリア・ヒール»!」

『ピギャアァァァア!?』


 次の瞬間。

 周囲を羽ばたいていた虫たちが一斉に地に堕ちた。

 うるさい羽音の一切が掻き消える。


『そん、な。味方事、攻撃するなんて』

「ばーか。俺はノーダメージだよ」

『そ、そんな……なぜ……』

「うちの魔法使いの力量を舐めるなってことだ」


 そう言い、立役者であるマジコに視線を送る。

 彼女は杖に顎を乗せ、疲れたと言わんばかりだ。


「疲れたよぉ」


 訂正。疲れたと口にした。


「お疲れさまです、マジコさん。しばらく見ないうちにまた一段と精度を上げましたね」

「アリシアちゃんありがとだよぉ。いつかウルとアリシアちゃんが戻って来た時のために頑張ったんだぁ」

「そうなのですね。そういうのは口にしない方がカッコいいのでは?」

「カッコよさではモチベを買えないんだよぉ……」


 そう。

 マジコは俺だけを避けるようにして«紫電の砂霧パラライズ・ミスト»を使用したのだ。結果、周囲にいた蜂だけが感電し、ダメージはすぐさまアリシアが回復。

 一匹たりとも殺さずに、殲滅に成功したのだった。


「さて、本体はどれかなー? シルフ、分かる?」

「当然。ウルさんから見て2時の方向、緑と赤の縞模様の蜂みたいな奴」

「流石の目利きだ」

『ヒィィッ!?』


 再び『ネオチロシン』を取り出し、一滴たらす。

 もともと麻痺していた体は、まるで石にでもなったかのように動かなくなった。


「さ、お前の出番だぜ、テンマ」

「……え?」

「おいおい、なにぼーっとしてんだよ」


 テンマを手招きする。

 呆気に取られていた彼だったが、次の一言にハッと意識を覚醒させた。


「お前の仲間だろ。お前の手で救い出せ」

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