第9話 サバイバルナイフ
魔族が逃げ込んだのは、レンガ造りの家だった。
そこまでは石造りの家が続いていたのに、そこから先は違う。ちょうど石造りとレンガ造りの境界の家。
そこに魔族は逃げ込んだ。
続けざまに追いかけていくアクス達。
扉を開け放つ。
«
吹雪舞い散る中。
アクス達が見たのは。
「ああ、アクスさん達。遅かったですねぇ。私、見捨てられちゃったのかと思いましたよ?」
さも「私は正常だ」と言わんばかりのヒルカと。
「……お前、何してるんだ」
「何って見て分かりませんか? 人質ですよ、人質」
彼女の手の中で、ぐったりと倒れ込む人間は。
「ウルさん!?」
ウルの姿をしていた。
「おっと、それ以上近づかないでください。……
「っ!?」
「ふふっ、切れ味が良さそうでしょう? これがこの人間に突き刺されたくなければ、どうすべきか分かりますね?」
ヒルカの手には、サバイバルナイフ。
天窓から差す陽光に、その白銀がギラリと煌めく。
更に悪いことに、ナイフは首筋にではなく心臓に突き立てられている。
もしその刃が突き刺されば、聖女であるアリシアの回復ですら間に合わないだろう。
『くひひっ、形勢逆転だな!』
「魔族、キサマ!」
「アクスさん。動くなと言ったのが聞こえませんでしたか? それとも、この人間の死を所望ですか?」
アクスはその場に立ちつくすしかなかった。
そんな様子に魔族は哄笑する。
『ギヒャヒャ! やはり人間は愚かだなァ!? 種としての生存ではなく、個の存在を尊重する! ギヒャヒャ、随分と高尚なお考えだ! ギャッヒャッヒャ』
「ウルさん……」
『おっと、そこの女どもも、動くなよ! ヒルカ! きちんと押さえておけ?』
「かしこまりました」
「……っ!」
一歩、また一歩。
魔族がアクス達ににじり寄る。
トカゲの尾に槍を付けたような尻尾。
それを振り翳し、アクスに突き刺そうとする。
『ギャヒャヒャ! チェックメイトだァ!』
「そうだな。終わりだよ。ただし、てめえのな!!」
『は?』
ズシャという音がして、魔族の尻尾が宙を舞った。
見れば尻尾の途中がすっぱりと切り落とされていて、そこから緑色の血煙がどくどくと溢れている。
「あら? 手が滑ってしまいましたわ。ごめんあそばせ、魔族様?」
『ヒルカ……っ! 貴様! 何故私に逆らえる!』
「何故って……ふふ、おかしなことを。私は最初から、あなたの下に付いた覚えはございませんわ」
『何を……っ!?』
ヒルカの姿をしたそれが「«解除»」と口にした。
ポフンという音がして、全く別人と入れ替わる。
すなわち、ヒルカがウルに。ウルがヒルカに。
そう。彼らがここに着いた時、二人は既に入れ替わっていたのだ。
「よ、どうだ。変化の妖術、上手いもんだろう?」
元の姿に戻ったウルは、嘲るように魔族を笑った。
*
『何故! 私の支配に置かれているヒルカが気絶している!』
魔族が腕を振るって襲い来る。
俺は避けつつ、軌道上にナイフをそっと置いた。
ナイフによって引き裂かれた腕。
飛散する緑の液体。
「別に、気絶させたわけじゃねえよ。ただ、今は動けないだけだ」
『ふざけるな! 私の寄生虫は宿主が気絶しても活動する!』
「だから、体を動かせないだけだって」
『何を言って……!?』
言いつつ、魔族の体が硬直する。
全身の痺れに困惑する様子がはっきりわかる。
『なんだ、体が、動かない!?』
「へぇ、お前にも効くんだな」
『ありえない! 私に、私に毒なんて効くはずがないぃい!』
「誰も、毒だなんて言ってねえよ」
そう言い、アイテムボックスから瓶を取り出した。
茶褐色の瓶には液体が入っている。
「『
『知らない! そんなの聞いてないぃ!!』
実はまだ、ヒルカを寄生虫から解放できていない。
俺が問答法を行使してしばらくした頃だった。
突然頭の痛みを訴えた彼女が暴走を始めたのだ。
締め技で意識を刈り取るも効果なし。
聞いていた通りのゾンビだった。
有効策を探し、俺はアイテムボックスを調べた。そして、効果がありそうなものを見つけたのだ。
それは刃毀れしたナイフ。『マキシマムクロカタゾウムシ』の外骨格に敗れ、刃毀れしたナイフを見つけたのだ。
その虫の外骨格を形成するのは『
その際、研究の途中で培養に成功したというネオチロシンを譲ってもらっていたのだ。
それをヒルカに散布したところ、あっという間に硬直し、動けなくなった。
ヒルカの無力化に成功したは良いが、彼女を連れてみんなのところに戻れるかは別問題だ。
仮に成功したとしても荷物が一人増えた状態での戦闘になる。あまり賢い選択とは言えなかった。だから俺は待った。
(その内痺れを切らしたアクスが突撃してくるだろ)
しばらくすると、露骨に外気温が下がった。
すぐにマジコが吹雪かせた霰だと分かった。
虫は変温動物だから低温に弱い。
そういう意図だろう。
(ははっ。やっぱり、突撃しに来るよな)
信頼した通りだった。
やっぱり、彼らに命を託すというのは安心できる。
俺はまた別のネオチロシンを取り出すと、いそいそとアクスから譲り受けたナイフの刀身に塗布した。
それからタヌキの獣人に教わった«幻創»を使い、ヒルカと自身の見た目をそっくりそのまま入れ替えたのだった。そしてぐったりしたヒルカを抱え、ナイフを突きつけて準備完了。アクス達がやってくるのを待っていたという訳だ。
『ぐぬぁぁぁ! ふざけるな! この部屋には私の毒鱗粉があったはずだ! この部屋に長時間いて、何故貴様は平然としていられる!』
「ああ、単純な話だな。俺の体内に共生する毒が、お前の毒鱗粉を糧に成長した。それだけだ」
『くっふざけるな! 私の毒は【蟲毒】で得た毒だぞ! それ以上の毒を有するなどあり得るか!』
「……そうなのか」
逆説的に、王国が育てている隠密が【蟲毒】以上の毒を服用させられていることが分かってしまった。ちょっとへこむ。
「おいウル! てめえ無駄にクオリティ高い演技するなよ!」
「だから、バカなお前でも分かるようにしてやっただろ馬鹿アクス」
「誰がバカだ!」
『そうだ! 貴様ら、連絡手段も無しにどうやって意図を伝達したのだ!』
「短命な虫様たちには分かんねえだろうな」
ナイフを手元で回転させる。
切っ先が魔族に向いたところで停止。
「このナイフはアクスから譲り受けた、歴史あるサバイバルナイフだ。お前らとは重ねた年月の重みが違うんだよ」
『たった、たったそれだけで信じたというのか!?』
魔族の顔が驚愕に染まる。
あり得ない、と。
「「てめぇにとっては『たったそれだけ』でも、俺達にとっては十分すぎるんだよ」」
俺とアクスは、口をそろえてそう言った。
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