第5話 ターニングポイント【SIDE:メア】

 今日もまた、独り。


 闘技場に、歓声が巻き起こる。

 その多くは私に向けられたものだ。

 好意的な物、悪意ある物。

 方向はまちまちだが、私に向けられた感情であることに違いは無い。

 それでも私は独りだった。


(シン、ゴッズ、ドラ。みんな、どこ?)


 私は今、とある貴族様の下で小間使いをしている。

 仕事の内容は、とある闘技場でただただ勝つこと。

 それだけ。


 最初は不安だったが、どういう訳か参加者は全員貧弱だった。まあ、それは私も同じことなのだけれど。とにかく、私は条件通りに勝ち続けた。いつかさらわれた仲間に会えることを信じて。


「よくやった、メア。今回の報酬だ」

「……」

「なんだ? 不満か?」

「不満は無い――」

「ふん! ならばさっさと帰れ」


 ――ただ、仲間の無事が知りたい。

 それだけだったのに。

 たったそれだけの言葉も、重いこの口からは出て来やしない。ああ、この口が嫌になる。


 重い足取りで、ふらふらと家路につく。

 最近は一層、足取りが重くなった。


(みんなを探しに来たのに……私は何をやってるんだ!)


 額に手を当て、壁にもたれた。

 壁の向こうには部屋があるようで、人の声がわずかに聞こえる。盗み聞きするつもりは無かったが、自分の話題が上がったおかげで、会話の中身を把握してしまった。


『ああ腹が立つ、腹が立つ。なんなのだあのメアというクソガキは。私はキサマの飼い主だぞ! もっと従順とした態度を取れよ! なに無関心に不愛想な態度取ってんだよ! これだから礼節を知らないスラム育ちはどいつもこいつも!』

「――っ!?」


 心臓が握りつぶされたかと思った。

 扉の向こうにいたのは、私が身売りした先の貴族だったのだ。


『ちっ、まあいい。潰れるまで使い潰して、壊れたら新しいやつを捕まえに行けばいい。いままでもそうしてきただろう? 冷静になるんだ私よ』

「壊れたら、次の奴……?」


 カチリ、と。

 頭の中でピースがハマった気がした。

 薄々気付いていた。

 とっくに、シンも、ゴッズ、ドラも……。


「もう、いない……?」


 ……私はきっと、明日も独りだ。



 ある、空が青く輝く日の事。

 いつもと同じように敵を薙いだ私は南端の水の都サウザンポートを歩いていた。

 特に意味もなく、当てもなく。何気なしに。


 私は目的を大きく変えた。

 シンもゴッズもドラも、もう助けられない。

 それでも、私には守るべき仲間がいる。

 スラム街に置いてきた、愛すべき仲間たちが。


(私が死ねば、次の犠牲者が出る)


 死ねない。死ぬわけにはいかない。

 私の命が続く限り、置いてきた仲間に危害が加わることは無い。みんなを、こんな死地に連れてくるわけにはいかない。みんなみんな、大切な仲間だ。


「断ち切る。私の代で、こんな呪い」


 たとえ独善と笑われようと。

 私は私の正義を最後まで振り翳す。

 狂った世界なら私が壊す。


 手足に繋がった鎖がジャラリと鳴った。

 鈍色に輝く手枷に、私の顔が映った。

 瞳は暗く淀んでいて、顔は死人のよう。


「っ! 違う違う違う!」


 大丈夫。私はまだ壊れてない。

 壊れるわけにはいかない。


 ――壊れるのはいつだろうね。

 うるさい。

 ――自分も救えない人間が、どうして誰かの助けになれる。

 うるさい。為すんだ。

 ――分かっているんでしょう? 貴女わたしにそんな力は無い。


 うるさいうるさいうるさい。

 頭の中に響く声が消えてくれない。


 ガシャン。

 手枷を壁に打ち付けた。

 傷ついたのは壁だけで、鉄の鎖に歪は無い。


「はぁ……あぁ……」


 少し、頭を冷やそう。

 人間らしさを、思い出しに行こう。

 私が私でなくなる前に。


「ははっ、人間らしさって、なんだっけ」


 もう随分、戦ってばかりだ。

 血肉と化してしみついてしまった。

 それ以外、何をすればいいんだっけ。


 ふと顔を上げれば、一件の店が目に入った。

 ガラス張りのショーウィンドウに並べられた花々。

 錆びついた心にも、花は綺麗だと感じた。


(そういえば、別の参加者が負傷したとき、花を手向けてる人がいた……)


 あの時は「人間ってのは変わった生き物なんだな」くらいにしか思わなかった。だけど今考えれば、それこそが『一般的な人に有って私に欠けているもの』なんじゃないかと思われた。


 値段を見た。

 私の手には、とても負えない額だった。


 それでも、気付けば扉に手をかけていた。

 思えばそれが、私のターニングポイントだった。

 扉を開けて聞こえた言葉。

 私は最初、自分の耳を疑った。


「とりあえず、闘技場をぶっ潰す。話はそこからだ」


 私と同じことを考えてる人がいる。

 それだけで、私は独りじゃないと思えた。

 少しだけ、心が救われた気分になった。


「その話……詳しく」


 それから、久方ぶりに他人と会話した。

 顎が痛くなるほどに。

 といっても、私は単語を呟くような話し方しかできなかったんだけど。

 その男は、最後まで私の話を聞いてくれた。

 奇特な人だ。そう思った。


 それでも、ありがたかった。


「どうしてお前は花屋ここに来た?」


 その言葉は、どんな獲物より鋭く私を抉った。

 張り詰めた緊張という糸が、たったそれだけの一言でプツリと切れた。あとからあとから、とめどなく涙があふれてきた。


 ――助けられなかった。

 ――助けられなかったんだ。


 シンもゴッズもドラも。

 助けられなかったんだ。


 そんな感情に振り回され、涙を流す私に、男はやさしく語り掛けてきた。どうして優しくしてくれるの。なんで見知らぬ人の事をそんなに思いやれるの。

 それが、人間であるという事なの?


「じゃあ、一緒にお花を摘みにいこっか。町の外なら、きっとお花も手に入るよ!」


 男はそういった。

 私も、花を手向けることができるだろうか。


「うん……!」


 長らく死んでいた表情筋が動いた。

 それを自覚した。


(光に憧れるのは、私が醜いからでしょうか?)


 私は私に問いかけた。

 答えは、すぐに帰ってきた。


(いいえ、きっと誰でも)


 手を伸ばす権利くらい、誰にだって。

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