エピローグ【七夕華】
夜の空を明るむ光も、皆が寝静まる頃に薄れた。
広がる幽暗は宴の終わりの報せ。
魔族の支配から抜けたという喜びを、村人たちがひとしきり噛み締めたという事でもあった。
「ウルさん。ようやくお戻りになられたのですね」
「アリシア……驚いた。まだ起きてたのか」
「ふふっ。戻って来た時、ウルさんが寂しいかと思いまして」
その頃になって、ようやく村に戻った俺。
それを迎え入れる影が一つ。
そう。アリシアであった。
「まあ、これほど遅くなるとは思っていませんでしたが……。メアちゃんとジークも頑張って起きてたんですよ?」
「そうか……。ちょうどいいかな」
アリシアのそばに寄り、その手を取る。
陶器のように滑らかで、果実のように瑞々しい。
「アリシア、見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの、ですか?」
「ああ。ついて来てくれないかな?」
そう言うと、アリシアは微笑んだ。
「ウルさんがいらっしゃるのなら、どこへでも」
*
川の香りが、また一段と強くなった。
蛍火の導をあてに、樹海の底へと潜っていく。
ながらく叢林をかき分けた。
そろそろ、それが見えてくる頃だろう。
煤を流したような墨の空。
銀砂をちりばめた星の川。
少しひらけた場所を、淡月が柔く照らしている。
「着いたよ、アリシア」
「はぁ、はぁ……いったい……!」
一面には花畑が広がっていた。
星々や月に照らされて咲く花の名は、
滅多にお目にかかれない、極めて貴重で希少な花。
その花筵が、眼前に広がっていた。
「
「あはは、まあ、それだけじゃないけれど……」
テンマの記憶を一部封印してから、俺はここいら一帯の調査に励んでいた。すべてはこの光景を、アリシアに見せるために。
「本当は一輪だけ摘んで、花束に添えるつもりだったけど、これだけ美しい光景だったから。……君にも、見せたくなった」
「ウルさん……」
すこし恥ずかしくなって、空を見た。
顔があつい。
今が冬だったなら、いや、そうしたらこの光景を見れないか。
俺は深呼吸して、それからようやく口を開いた。
口中には群芳が広がっていた。
「ずいぶん、待たせてしまったけど」
夜空に一等輝くあの星は、なんという名前だろう。
「アリシア、君に伝えたい言葉がある」
いや、答えなんて分かっている。
「アリシア、俺の織姫。俺は君に逢うために生まれてきた」
これまでも、これからも、ずっと。
俺は君のためにある事を誓うよ。
だから。
「アリシア。君を誰にも渡したくない」
この熱量は、言葉じゃ言い表せない。
これから、行動で示していくから。
だから。
「好きだ。世界中の誰よりも、君を愛してる。必ず君を幸せにする。だから――」
懐から、一つのケースを取り出す。
その口をパカリと開き、アリシアに差し出す。
「――俺と、結婚してください」
ケースの中にあるのは、ラピスラズリの指輪。
金色の斑点模様の入った瑠璃色の宝石。
髪の色。瞳の色。
きっと、君に似合うと思う。
「ウルさん、覚えていますか?」
「アリシアとの思い出ならなんだって」
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれますね」
アリシアがはにかんで顔をほころばせた。
「『心奪われるほどの愛の言葉を用意してください』私はウルさんにそう言いました。でもね、ウルさん」
それからアリシアは手を差し出した。
「そんなこと、出来っこなかったんですよ。だって――」
アリシアの左手が、月明りに柔らかくきらめく。
「私の心は、もうずっと昔からあなただけの物だったんですから」
ふふっ、恥ずかしいですね、と。
君は言う。星の瞬く空の下。
「そうか、そうだね」
「そうですよ」
アリシアの手を取り、指輪をはめた。
左手の紅差し指に、瑠璃色の指輪がさんざめく。
彼女はそれをうっとり見つめ。
それから、ぽつりぽつりと話し出した。
「ウルさん。昔、東の国に行きましたよね」
「そうだね」
「その時、こんな話を聞いたんです。告白は『月が綺麗だね』、返事は『死んでもいいわ』」
「その国の人たちは、随分とシャイだな」
「ふふっ、そうですね」
アリシアが手の平を空に翳した。
ラピスラズリの宝石が夜空に溶け込むことだろう。
「ずっと不思議だったのですが、ようやく、分かりました」
彼女はそのまま手を握った。
まるで星空を掴むかのように。
「死でも別てないほどの愛。それをウルさんだけに捧げることを誓いますわ」
楽しそうに笑う彼女。
俺は、どう反応したものか。
困った笑いを浮かべて、返す。
「……まいったな。悩んで悩んで、ようやく選んだ言葉だっていうのに。アリシアの言葉の前では霞んじゃうじゃないか」
「ふふっ。私のウルさんを思う気持ちの方が上だったってことですね」
「いいや。言葉という伝達手段が俺についてこれなかっただけさ。思う気持ちは俺の方が強い」
「あらあら、ウルさんったら」
それに、と。
俺は言葉を続ける。
「君を思う気持ちが枯れる事は無いから、覚悟しておいてよ。アリシア」
「うふふ。私の器は、ウルさんの愛で育つのですよ」
「そうか。それなら、安心だな」
「ええ、遠慮なく無限の愛を注いでください」
ああ。約束するよ。
永遠、無限の時間をかけて。
永久に君を思い続けることを。
空には星が瞬いていた。
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