エピローグ【七夕華】

 夜の空を明るむ光も、皆が寝静まる頃に薄れた。

 広がる幽暗は宴の終わりの報せ。

 魔族の支配から抜けたという喜びを、村人たちがひとしきり噛み締めたという事でもあった。


「ウルさん。ようやくお戻りになられたのですね」

「アリシア……驚いた。まだ起きてたのか」

「ふふっ。戻って来た時、ウルさんが寂しいかと思いまして」


 その頃になって、ようやく村に戻った俺。

 それを迎え入れる影が一つ。

 そう。アリシアであった。


「まあ、これほど遅くなるとは思っていませんでしたが……。メアちゃんとジークも頑張って起きてたんですよ?」

「そうか……。ちょうどいいかな」


 アリシアのそばに寄り、その手を取る。

 陶器のように滑らかで、果実のように瑞々しい。


「アリシア、見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの、ですか?」

「ああ。ついて来てくれないかな?」


 そう言うと、アリシアは微笑んだ。


「ウルさんがいらっしゃるのなら、どこへでも」



 川の香りが、また一段と強くなった。

 蛍火の導をあてに、樹海の底へと潜っていく。

 ながらく叢林をかき分けた。

 そろそろ、それが見えてくる頃だろう。


 煤を流したような墨の空。

 銀砂をちりばめた星の川。

 少しひらけた場所を、淡月が柔く照らしている。


「着いたよ、アリシア」

「はぁ、はぁ……いったい……!」


 一面には花畑が広がっていた。

 星々や月に照らされて咲く花の名は、七夕華ベガ・アルタイル

 滅多にお目にかかれない、極めて貴重で希少な花。

 その花筵が、眼前に広がっていた。


七夕華ベガ・アルタイル……もしかして、これを探して?」

「あはは、まあ、それだけじゃないけれど……」


 テンマの記憶を一部封印してから、俺はここいら一帯の調査に励んでいた。すべてはこの光景を、アリシアに見せるために。


「本当は一輪だけ摘んで、花束に添えるつもりだったけど、これだけ美しい光景だったから。……君にも、見せたくなった」

「ウルさん……」


 すこし恥ずかしくなって、空を見た。

 顔があつい。

 今が冬だったなら、いや、そうしたらこの光景を見れないか。


 俺は深呼吸して、それからようやく口を開いた。

 口中には群芳が広がっていた。


「ずいぶん、待たせてしまったけど」


 夜空に一等輝くあの星は、なんという名前だろう。


「アリシア、君に伝えたい言葉がある」


 いや、答えなんて分かっている。


「アリシア、俺の織姫。俺は君に逢うために生まれてきた」


 これまでも、これからも、ずっと。

 俺は君のためにある事を誓うよ。

 だから。


「アリシア。君を誰にも渡したくない」


 この熱量は、言葉じゃ言い表せない。

 これから、行動で示していくから。

 だから。


「好きだ。世界中の誰よりも、君を愛してる。必ず君を幸せにする。だから――」


 懐から、一つのケースを取り出す。

 その口をパカリと開き、アリシアに差し出す。


「――俺と、結婚してください」


 ケースの中にあるのは、ラピスラズリの指輪。

 金色の斑点模様の入った瑠璃色の宝石。

 髪の色。瞳の色。


 きっと、君に似合うと思う。


「ウルさん、覚えていますか?」

「アリシアとの思い出ならなんだって」

「ふふっ、嬉しいことを言ってくれますね」


 アリシアがはにかんで顔をほころばせた。


「『心奪われるほどの愛の言葉を用意してください』私はウルさんにそう言いました。でもね、ウルさん」


 それからアリシアは手を差し出した。


「そんなこと、出来っこなかったんですよ。だって――」


 アリシアの左手が、月明りに柔らかくきらめく。


「私の心は、もうずっと昔からあなただけの物だったんですから」


 ふふっ、恥ずかしいですね、と。

 君は言う。星の瞬く空の下。


「そうか、そうだね」

「そうですよ」


 アリシアの手を取り、指輪をはめた。

 左手の紅差し指に、瑠璃色の指輪がさんざめく。


 彼女はそれをうっとり見つめ。

 それから、ぽつりぽつりと話し出した。


「ウルさん。昔、東の国に行きましたよね」

「そうだね」

「その時、こんな話を聞いたんです。告白は『月が綺麗だね』、返事は『死んでもいいわ』」

「その国の人たちは、随分とシャイだな」

「ふふっ、そうですね」


 アリシアが手の平を空に翳した。

 ラピスラズリの宝石が夜空に溶け込むことだろう。


「ずっと不思議だったのですが、ようやく、分かりました」


 彼女はそのまま手を握った。

 まるで星空を掴むかのように。


「死でも別てないほどの愛。それをウルさんだけに捧げることを誓いますわ」


 楽しそうに笑う彼女。

 俺は、どう反応したものか。


 困った笑いを浮かべて、返す。


「……まいったな。悩んで悩んで、ようやく選んだ言葉だっていうのに。アリシアの言葉の前では霞んじゃうじゃないか」

「ふふっ。私のウルさんを思う気持ちの方が上だったってことですね」

「いいや。言葉という伝達手段が俺についてこれなかっただけさ。思う気持ちは俺の方が強い」

「あらあら、ウルさんったら」


 それに、と。

 俺は言葉を続ける。


「君を思う気持ちが枯れる事は無いから、覚悟しておいてよ。アリシア」

「うふふ。私の器は、ウルさんの愛で育つのですよ」

「そうか。それなら、安心だな」

「ええ、遠慮なく無限の愛を注いでください」


 ああ。約束するよ。

 永遠、無限の時間をかけて。

 永久に君を思い続けることを。


 空には星が瞬いていた。

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