第6話 スターダスト・リバースレイ

 春茜から斜陽が差して、影が遠くに伸びる頃。

 お爺さんな俺は山から野草を採り終えて家に帰る。

 扉を開けると、アリシアが出迎えてくれた。


「ウルさん、お疲れさまです」

「ありがとうアリシア」


 この町に越してきて、一週間ほど経った。

 こんなやり取りが日常になるなんて、ちょっと前までは考えられなかった。少なくとも、俺が勇者で彼女が聖女のままだったなら。

 とはいえ、こういう毎日が嫌いなわけじゃない。

 しいて思う事があるとすれば――


「新婚みたいですね」

「――人の心、読まないでもらえます?」

「ふふっ、思ったことを述べただけですよ」


 声を弾ませ「ごはん盛りつけちゃいますね」とキッチンに向かうアリシア。何かいいことがあったのだろうか。後で聞いてみるのもいいかもしれない。


 手洗いうがいを済ませ、居間に戻る。

 そこにはほかほかと熱気を帯びた、作り立ての料理が色とりどりに並べられていた。ふわっとした蒸気と共に、甘く香ばしい匂いが部屋に広がっている。

 まるで俺の帰るタイミングを計ったようだった。


 楽しみに、席に着こうとした時だった。

 ガンガンガンと、扉を叩く音が響いてきたのは。


「俺が出るよ」


 引いた椅子を戻し、玄関に向かう。

 アリシアの機嫌が少し悪くなったのが分かった。

 まだ見ぬ来客への好感度が少し下がる。


 それと、もう一つ気付いたこと。

 アリシアがテーブルの料理をアイテムボックスに仕舞いだす。ああ、いつもあつあつのご飯が出てくるのはそういう仕組みなのね。入れた時の状態で保管されますもんね。


 扉の向こうに返事をして、俺が扉に向かう間も扉はガンガンと叩かれていた。よっぽど急ぎの用事なのだろうか。そう思いつつ、扉を開ける。


「はい、どちら様でしょ……」

「ウルティオラさん! 緊急事態です!」

「ギルドの受付嬢さん……?」


 扉の先にいたのは冒険者ギルドの受付嬢だった。

 そうとう全力で走って来たのだろう。

 苦しそうに肩で息をしている。


「魔物に襲われた重傷冒険者が運び込まれたんです! どうにかできませんか!?」

「その人はギルドの治療室に?」

「はい! 鎖骨から横腹に掛けて鉤爪によるひっかき傷の跡がありました。傷口の間隔が狭く、縫合も間に合いません! どうにかして助けられませんか!?」

「アリシア!」

「はいっ!」

「おねがいしま……いないっ!?」


 言って、飛び出した。アリシアを抱えて。

 元SSSランクとしての全速力で駆け抜けた。

 空気抵抗を引き裂けば、ビュンという音が瞬く。

 赤レンガ造りのギルドは、あっという間に現れた。


「傷病者はどこだ!」

「こ、ここだ!」


 治療室に入ると、鉄の匂いがした。

 その発生源と、声の方向が合致した。

 見れば二人の男がポツンといる。

 傷病者の容態は酷いものだった。


「あ、あんたらか? こいつを助けられるってのは」


 怪我人の近くに寄ると、患者の知り合いらしき男が縋ってきた。

 頬はこけ、頭髪は枯れるだけの木葉髪。服にある大量のワッペンはボロボロであることをまるで隠すせていない。端的に言って、生活が苦しそうな装いだった。

 寝込んでいる男も同様だ。


「頼む! こいつはおらの大切な仲間なんだ! どうにかして助けてやれねえか?」


 涙で顔がぐしゃぐしゃになる男を意識から外し、脈を測る。弱いが、まだ命の鼓動を感じられる。なら、大丈夫だ。

 アリシアに視線を送る。彼女が頷く。


「ああ。アリシアに任せておけ」

「こ、こっちのお嬢ちゃんかい? た、頼む!」


 アリシアは瞑目し、呪文詠唱を開始した。

 彼女の周りに魔方陣が展開される。

 五重六重と、複雑な幾何学模様が結ばれる。


「星が標すは衆生の運命さだめ、注ぐ光は命の軌跡。ここに集いし星々よ、かの者に明星の火を灯し給え――«星羅雲布スターダスト・リバースレイ»」


 瞬間、アリシアの眼前に光球が形成される。

 眩い光をたたえるそれは、彼女のハンドサインに従い患者の体に光を注ぐ。するとどうだろう。まるで時間が巻き戻るかのように傷口が埋まっていく。

 しばらくすると、寝込んでいた男は傷跡一つない健康体に戻っていた。これは身体機能を正常に戻す魔法。ウイルスの感染も気にする必要はない。


「お、おい。目を覚ま――」

「はい、ちょっと待った。傷はふさがったが、消費したスタミナが戻ってきたわけじゃねえ。今はそっと寝かしておいてやれ」

「け、けどよぉ!」

「安心しろ。明日には目を覚ますさ」


 医療棚から清潔なタオルを探し、患者の体を拭いていく。病原菌と抗体が争った結果だろうが、全身に玉のような汗が散見されたからだ。

 男は傷が治ってもしばらく苦しそうな顔をしていたが、やがて少しずつ穏やかな寝息を立てるようになった。ひとまず、峠は越えただろう。


 そうこうしていると、治療室の扉が開かれた。


「ウ、ウルティオラさん! アリシアさん!」


 そこにいたのは受付嬢だった。

 顔は青と赤の両方が混ざっていて、げっそりとした印象を与える。彼女は俺達に近寄ると、患者の容態を見て目を見開いた。


「嘘! 一体どのようにして助けたんですか!?」

「あー、それは、えーと」


 俺がどう答えたものかと考えていると、立ち会った男が事情を説明しだした。


「奇跡だ……。そこのお嬢ちゃんが聞いたこともねえ呪文を唱えると、見る見るうちに傷が再生していったんだぁ。こりゃ奇跡としか言いようねえべ」

「傷口が、再生……? いや、まさか……」


 受付嬢が口に手を当てる。

 傷口が再生する、そんな魔法を使うのは一箇所。

 王都にある教会本部くらいのものだ。


 そして彼女はハッと顔を上げたかと思うと、俺とアリシアの顔を一度ずつ見た。


「ウルティオラさんにアリシアさん――黒い跳ねっ毛に深紅の瞳、人類最高峰の癒し手――まさか」


 彼女の目に、驚きの色が宿る。


「たった二人のSSSランク、勇者様と聖女様!?」


 これ、もう誤魔化し効かないパターンですか?

 効かなそうですね。

 アリシアに目で問いかける。無言で頷かれる。

 はぁ。


「正確には、元、ですね。今はただのウルティオラとアリシアです」

「な、なんだってぇ!?」

「そんな、どうしてここに……」


 なんて返したものか。

 堪らず、苦笑いを返した。


「まあ、色々あったんですよ」


 有無を言わせず閉廷させた。

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