第12話 ホヤウカムイ

 サウザンポートは港町。

 眼前出でたる磯打つ白波は飛沫を上げる塩花。

 寄せては返す波の音を船着き場に運んでいる。


 さて、話は戻るわけだが。

 もともとこの町に来た理由はアリシアに告白するためだった。


 実際には物価が高騰していて花が買えず、そこでボロボロの少女メアと出会い、世直しという名目にかこつけて彼女の面倒を見て。


 色々あったが、未だ花束は用意できていない。


 言い訳がましくなるが、忘れていたわけではない。

 きちんと覚えている。

 それでも準備していないのには、理由がある。


 きっかけは、アリシアの一言だった。


『ウルさん、ウルさん! 七夕華ベガ・アルタイルという草花はご存じですか?』


 七夕華ベガ・アルタイル、通称千年草。

 とても綺麗な花を咲かせる珍しい草花だ。

 結実するまでの年月がとても長く、よっぽど適した環境で、かつ運が良くなければ開花しているところを見ることもできない。

 中には幻の植物とまで評する学者さえいる。


『最近、その幻の花の群生地が最近になって見つかったらしいですよ? 周辺に向かえば、また別の群生地が見つかるかもしれませんね』


 彼女のそれはつまり、その花を贈ってほしいというおねだりだ。その花を取ってくる事はやぶさかではない。それでアリシアが喜んでくるなら地の果てまで探しに行く所存だ。


 しかし、メアを病人のまま放っておくことも出来ず、今まで南端の港町サウザンポートに滞在していたのだ。


 そんなわけなので、メアも回復した今、そろそろ七夕華ベガ・アルタイルを探しに行こうと考えて、俺達はその土地夢幻の郷村ノエマに向けて出港する便を予約しに来ていた。


「え? 夢幻の郷村ノエマですか……?」


 券売員さんが、困惑したように声を出した。

 どう対応したものか。

 そんな様子でおろおろしている。


「上の者に確認いたします。少々お待ちください」


 そう言って、店員さんは奥へ消えていった。

 一緒に来ていたアリシアと、少し話をする。


「何か問題でも起きたのでしょうか?」

「さあ、辺境の地だから、全線廃止になってるって可能性もあるかもね」

「それは困りましたね……」


 そんな予想を立てた。

 だが実際に起きていたことは、俺達の想定をはるかに超えていた。


「た、大変長らくお待たせしました! 先ほど夢幻の郷村ノエマが魔族に侵略されたという情報が入ってきました」

「は……?」

「現在勇者パーティが奪還を試みている模様です。申し訳ございませんが、しばらく船を出すことはできません」

「は……?」


 待て待て待て。

 整理が追い付かん!


 夢幻の郷村ノエマが魔族に攻略された?

 あそこは前線から少し離れているぞ。

 何故そこが落とされる?


 そして第二に、勇者パーティが夢幻の郷村ノエマに訪れている?

 何故そんなタイミングよく。


「ウルさん、どうなされますか?」


 アリシアがそう問いかけてくる。

 どうするって言われたって……。


「……その情報は、確かなんですか?」

「はい」


 息を吐いて、近くの椅子に腰かけた。

 自分の感情が、自分でも分からない。


 夢幻の郷村ノエマに向かえば、仲間がいる。

 それは嬉しい事なのか、恐ろしい事なのか。

 心に問いかけてみても、答えは帰って来やしない。


 そもそも皆は、俺の事をどう思っているんだろう。

 命を預けていた相手が偽物だったと知って。

 最初からずっと嘘を吐かれていたと知って。

 そんな俺に、どんな感情を向けるのだろう。

 怖い。たまらなく怖い。

 

「てい」

「あだっ!?」


 俺が思案投げ首していると、頭蓋に衝撃が走った。

 振り返れば、ジャラジャラとした鎖を纏ったメアがいる。


「メ、メア? どうしてここに?」

「何故おいていく?」


 メアは口を尖らせて言った。

 たいそう不機嫌のようである。


「何故って、メア。お前はもう元気になっただろ」

「なった。だから?」

「だから……自由にすればいいさ。無理に俺たちに付き合う必要はない」


 そう言うと、メアは「ふむ」と思案に耽った。

 それから一つ頷いて、満足げに口にした。


「分かった。好きでウルティオラに着いていく」

「メアちゃん!? 好きでってどういう意味かな?」

「アリシア、ウルティオラは渡さない」

「ウルさんは私のものです!!」

「下さい」

「あげません!」


 メアとアリシアがそんな軽口を交わす。

 こんなやり取りができるようになったんだな。

 そんな、少し、奇妙な感覚に囚われる。


「大丈夫。ウルティオラ、ひとりじゃない」

「ななな!?」


 メアが俺の手を取った。

 慌てたようにアリシアが駆け寄って、もう一方の手を取る。


「ウルさん! 私は墓場までずっとお傍に!!」


 手から、二人の温もりが伝わってくる。

 心臓が奥から、ぎゅっと熱くなった。

 気づかず、笑い声が零れた。


「それはちょっと重い」

「!?」


 ちょっとアリシアをからかった。

 彼女の反応が面白くて、心の奥のつっかえが外れたような気がした。


「なんてね、冗談だよ。ありがとうメア。ありがとうアリシア」


 これまでは伸ばせなかった覚悟という一手。

 一人では踏み出せなかった勇気という一歩。


 今なら、前に進める気がする。


「それじゃあ、向かおうか」


 俺は一息で椅子から立つと、港に向かった。

 券売員さんが慌てて飛び出してくる。


「お待ちください!? 夢幻の郷村ノエマ行きの便は全便欠航です!」

「まあまあ。何も海を行くなら船っていう決まりごとは無いでしょう?」

「一体何を言って……」


 海に向かい、片手を伸ばす。

 その手首をもう一方の手で掴み、祝詞を読む。


「宵にあらご荒濤あらなみに、たぐへよたぐへおの志操しそう滄溟そうめい流浪るろうする崇高けだかきともがらよ、その御姿をここにしめせ!」


 それはさながら嵐の夜だった。

 途端世界に宵が広がり、打ち付ける波が暗く険しいものに移り変わる。

 怒り狂う海原。

 海霧が二つに裂けて、かの者はやってくる。


「ひぇっ!?」


 券売員さんは、慌てて建物の中に入っていった。

 それはそうだろう。

 海から現れたそれは、この世の物とは思えぬ魔物。


 それを形容する言葉があるとすれば、蒼海神か。

 獰猛な眼。天をも掴む、翼のようなひれ

 全身に迸る紋様には、青より蒼い海が流れている。


 その大きな蛇のような魔物が、尖った牙を見せた。


「久しいな、我が友ウルティオラ」

「お久しぶりです、ホヤウカムイ様」

「固いな。我とお主の仲であろう」

「親しき仲にも礼儀ありと言いますので」


 かの者の名はホヤウカムイ。

 俺が勇者の影をしていた頃、北方の地で出会った神様だ。神様だ。

 姿は蛇に近いが神様であるため、アリシアは何も言わない。初めて会った時の葛藤は面白かったけどな。


「ふん、まあよい。お主はそういう奴じゃからな。友だからこそお主の意見も尊重しようぞ。それでウルティオラよ。此度は一体どんな要件だ?」

「はい。ホヤウカムイ様。非常に勝手な都合ではございますが、夢幻の郷村ノエマに私を連れて行っていただけはございませんでしょうか?」

夢幻の郷村ノエマ? 構わんが、わざわざ儂を頼らねばならぬ理由でもあったか?」

「火急の用なればこそ」


 するとホヤウカムイ様は頷いた。


「掴まれ。一刻で届けてやる」


 俺、アリシア、ジーク、メア。

 俺達はみんなで向かった。

 夢幻の郷村-ノエマ-に。

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