第10話 孵化

 ドラゴンの卵を孵化させる。

 言うは易し、行うは難し。

 じゃあどうすれば卵が孵るのかという話になる。


「ウルさん、ウルさん。焼くのはどうでしょう」

「焼きません」


 ……玉子焼きにでもするつもりか?


「アリシア、こういった動物の卵は弾力があるのが特徴なんだ。空気中の水分を吸って大きくなるから水分を飛ばすような育て方はNGなんだ」

「爬虫類もですか?」

「爬虫類もです」

「やっぱり爬虫類じゃないですか」

「龍種です」


 アリシアは口をとがらせつつも、それ以上の不満を口にする事は無かった。彼女はそれから、つんつんとタマゴの殻をつつき、こう口にした。


「それでは蒸してみましょうか?」

「蒸しません」

「茹で……」

「茹でません」


 アリシアが料理好きなのは分かったから。

 一度調理方法を考えるのをやめなさい。


 俺は俺の方で、卵を孵す方法を考える。

 一番いいのは、野生の場合の環境をシミュレーションすることだろうが、あいにくドラゴンの生態はよく分かっていない。だからこそギルドから依頼が来たというのもあるんだが。


「とりあえず、卵を見つけた場所を再現してみよう」

「卵を見つけた場所、ですか」


 言いつつ、俺達は庭に向かった。

 日当たりのいい場所を見繕い、そこに安置する。


「森で見つけた時さ、太陽の下にあったんだ。空からの外敵の事を考えると、木陰とか、草の中とか、見つかりにくい場所に隠すべきだと思うんだよね。でもそうじゃなかった」

「ではウルさんは、日光が孵化に必要な要項だと?」

「可能性の話だけどね」


 少なくとも、日が当たっていたら孵らないという事は無いはずだ。それなら日に当てておいた方がお得というものである。


「あとは周囲にドラゴンの遺骨があったから、それも再現しておこうと思う」

「お骨ですか」

「こっちは流石に不要だと思うけどな」


 アイテムボックスから竜の遺骨を取り出す。

 もともと育てる気まんまんだったから、あの場から拝借しておいたのだ。アーチ状になったそれを、卵を中心にハエトリグサを模してざくざくと地面に突き立てる。


「あとは、親が近くにいたな」

「親ですか? 爬虫類なのに……?」

「だからドラゴンは爬虫類じゃないです」


 一般的に爬虫類は、産んだ卵はほったらかしだ。

 中には卵を守る種族もいるが、ごく少数だ。


「鳥さんのように、卵をひっくり返した方がいいのでしょうか?」

「いや、親竜はその場で死に絶えていたからそんな事は無いと思う。向きは変えない方がいいんじゃないかな?」


 爬虫類の卵は動く事を想定して作られていない。

 なんだかんだ爬虫類の特徴を多く持つ龍種であるから、鳥類と同じ感覚で育てるのは危険に思われる。


 ここに運ぶまでは基本的にアイテムボックスの中。

 時間と共に停止しているため、卵の持ち出しによって死んでしまっているという事は無いと思う。


「ま、今分かってるのはこれくらいかな。せっかくの隠居生活だし、のんびり観察していこうや」



 遠く、東の空が茄子色に染まり出す。

 この暁霧もあと数刻もすればカラッと乾き、また新しい一日が始まるのだろう。浮かぶ彩雲にそんな予感を抱きつつ、ぼんやりと空が薄青く変わっていく様子を見届ける。


 傍に坐する卵を見れば、ずいぶんと大きくなった。

 一夜にして順調に成長しているように思われるが、実は殻自体が空気中の水分を吸って大きくなったにすぎない。中にいる本体がきちんと育っているかの判断は出来ないのだ。


「ウルさん。少し休んではどうですか?」

「アリシア……」


 西の空さえ、夜を忘れてしまう頃。

 家の中から窓を開き、アリシアが顔を出した。

 あっという間の一晩だったなと思い返す。


「一休みするのもいいけど、話がしたいな」

「ふふっ、そうですか。では、すぐに参りますね」


 弾指の間だけ待てば、彼女が扉から出てきて横に座った。昇る朝陽に、彼女の金色の髪が煌めく。


「なあ、アリシア。この町では、夜が明ければ朝が来るんだ」

「はい」

「戦争の最前線だと、考えられないことだったよな」


 あの戦地には、朝が来ない。

 度重なる爆撃の応酬、立ち込める砂塵の嵐。

 闇色に染まる夜の空は、夜が明けても影が落ちる。

 俺たちは、そんな場所にいた。


「そうですね。この町は、居心地がいいです」


 朝日を浴びた草木が思い出したかのように目を覚まし、澄んだ空気を運んでくる。新鮮な空気が肺に満ちる。今も争いが行われている事なんて、忘れてしまいそうだ。


「だから、さ」


 ドラゴンの卵に目を向ける。


「ここなら、新しい命も芽吹くと思うんだ。あんな終わりの大地じゃない、この穏やかな町なら」

「……そうですね。きっと、きっと元気に生まれてきてくれますよ」


 アリシアが卵を愛でようとした、その時だった。

 卵が、ぐらりと揺れたのは。


「ウルさん! 今、卵が!」

「ああ! 動いた! 動いたよ!」


 まだ生まれたわけではないというのに、たったそれだけのことが生命の息吹を感じさせた。何かを掴み取るかのように、手のひらをぎゅっと握りしめた。


「あ、ほらまた!」

「本当だ! もうすぐ生まれてくるのかも!?」


 俺が卵を持ち帰った時点で、実はかなり成長していたのかもしれない。あるいはドラゴンは産み落とされて数日で孵化するのかもしれない。それともはたまた動いているだけで、卵から孵るのはずっと先の事なのだろうか。

 いろいろな考えが浮かんでくる。


 そして。

 卵からパキッと音がして。

 そこからピキピキとヒビが広がって。

 やがて、それは顔を見せた。


「きゅるるるる」


 つぶらな瞳。鋭いしっぽ。

 尖った鱗は氷のように澄んでいて、色付きビー玉のように七色に輝いている。一部覗かせる皮膚は見た感じぶよぶよで、翼竜のような翼を持っていた。


 親は普通の赤竜だったが、幼竜はみなこのように透き通っているのだろうか。


「う、生まれました! 生まれましたよウルさん!」


 あれだけ嫌がっていたアリシアも、生命誕生の瞬間は嬉しいらしい。太陽よりも暖かい笑顔を浮かべて、瑠璃色の瞳は燦々としている。


 俺はドラゴンに向き直り、話しかける。


「はじめまして」


 きゅるるるる。

 そう一鳴きしたドラゴン。

 それは返事だったのか、たまたまか。


「これからよろしくな」

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