第5話

 本当にやりたかったことを貫いた同級生なんて、誰も知らない。ううん、やりたかったことを貫いた人を一人知ってる。

 実家の農家を継いだ兄。

「私……」

 兄が継がなかったら私が継ぐって言うつもりだった。

「私のやりたかったこと……」

 繁忙期に実家に帰って手伝っていたことは、今では兄嫁の仕事になっている。

『ガウッ』

 はっ。今の鳴き声のようなものは何?

 考え事に熱中しすぎて、周りが見えていなかった。

 あたりを見回すと、20mほど先に犬のような、狼のような生き物がいてこちらを見ている。

「何、あれ……」

 犬でも狼でもないのは、まるでサーベルタイガーやトドのように大きな牙が口から見えていることですぐにわかった。

 モンスター?それとも、この世界の獣?

 どちらにしても、森の中で出会う野生の生き物に間違いない。

 危険。

 とっさに足を止めた。そして、獣から視線を外さない。

 この世界ではどうか分からないけれど、基本視線を逸らした瞬間が危ない。20mの距離など、あっという間だろう。逃げられずに襲われる。

 背中を冷や汗が流れる。

 しばらくずっとにらみ合っていたけれど、不意に獣が視線を私から外した。

「え?なんで?狙われてないのかな?」

 獣は、逃げるわけでもなく、そのまま別の場所に視線を向け、じりじりと歩いていく。

 私に敵意がないのを確認して、安全を確保したうえで兎か何か狙ってるとか?

 とにかく逃げようっ!今のうちだ!

 そう決意した私の目に映った。

 獣の視線の先。森の木を背に張り付いている5歳くらいの子供の姿。

「あああああーーーーっ」

 怖い怖い怖い。

 20センチもある長くて太い牙が口から出た、大型犬のような獣。絶対肉食獣だ。

 人も襲うだろう。狼か、もしかしたらそれ以上に危険な生物かもしれない。

 だけど、子供をおとりにして自分は逃げるなんて、そっちの方が怖い!

 人でなしだ。もう、きっと人じゃない。悪魔だか鬼だか人の形をした別のものになってしまいそうだ。

 近くの木の細枝を折って手にもち、走る。

「うわぁーーっあっちへ行きなさいっ!」

 葉の生い茂った枝を振り回して獣に向かっていく。2mほどの枝。4つほど枝分かれして丸い葉がたくさんついている。

 まったく獣はひるんだ様子がなく、こちらに視線を向けて唸り声をあげた。

「逃げて、注意がこちらに向いてるうちに、逃げなさいっ」

 子供に声をかけるけれど、この世界の人には言葉が通じないのか、それとも恐怖で身動きが取れないのか、もしくはどこか痛めていて動けないのか。子供は木にもたれかかるように立ったまま動かない。

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