第5話 突きつける事実
その日の夕飯の空気は重かった。
「あま姉……話があるんだけど。いいかな……?」
口火を切ったのは優だった。冷静に考えればこんなタイミングで話す内容ではない。飯が
それでも彼が話そうと思ったのは、今言わなければずっと言えない気がしたからだ。目の前の天寧に死んだ天寧のことを伝えられず、一人で苦悩することになる。
それだけは嫌だった。今度こそ姉と二人で希望を持って、困難に立ち向かいたかった。
「なーに?」
いつものような間延びした声で彼女が言う。本当に自分の知っている天寧と変わらない。この呑気な声も取り繕っているのだろう。
「昨日、買い物にいった時さ……めっちゃ買い物してたじゃん」
「うん」
「実は前にも同じことがあったんだよ」
「そうだっけー?」
目の前にいる天寧はもちろん知るわけがない。それは死んだ天寧の話なのだ。姉が死ぬ一週間前のことだった。用なんてないはずなのに、なぜかマンションへと呼ばれたのだ。
いつものように小説の相談をしたかったため、優としては断る理由はなかった。しかし部屋を訪れると異様な光景を目にした。ブランドもののバッグや服が大量に増えていたのだ。
「あーこれ? 買ったの。なんか急にお金使いたくなっちゃってー。あ、これ優くんにプレゼント。はい」
挙げ句、誕生日でもないのに新品のタブレットをプレゼントとして渡された。しかも容量が大きい一番高いものをだ。なんの冗談だと思ったが、天寧は「そういう気分だったの」としか言わなかった。
「あれで気は晴れた?」
「え……えっと、うん」
「ウソだね。もうやめなよ。強がるの」
「別に強がってなんか──」
「なんでいつもそうなんだよ。自分のことは棚上げして、俺の心配ばっか。もう元気な
天寧の顔は強張り、口をつぐんでいた。図星のようだ。
優はもう立ち止まれなかった。証拠を提示するかのように、あるものをテーブルの上に置いた。
「これ、あま姉から唐突にプレゼントされたタブレット。多分『書くのをやめないでね』ってことらしい。そして昨日はネクタイを奢ってもらった。『社会人としてこれからも頑張ってね』ってメッセージだったのかな」
「待って」
「俺もちゃんと調べたんだよ。どうしてそんなことしたんだろうって。そしたら大切なものを譲るとか物を渡す行動は兆候の一つらしい」
「ねえ、なんの話してるの……優くん? 意味がわからないよ」
「俺の姉ちゃん……和泉天寧は死んだんだ。一年も前に。あま姉だって違和感に気づいてるんじゃないのか? ここはなにかがズレてるって」
天寧は深く息を吐いていた。驚き、呼吸を安定させようとしているわけではない。肩の荷が下りたような様子であった。
「やっぱり……私の知ってる優くんじゃないんだ」
「うん。あなたは俺の知ってるあま姉じゃない。けど同じ闇を抱えてる。あま姉は今、一線を越えないように踏ん張ってるんでしょ?」
「そうだよ。私、死にたいって思ってた。髪の毛切って気分変えてみたり、いっぱいお買い物して憂さ晴らししても気持ちは晴れなかった。それであの日家に帰るのが
「理屈はわからないけど……あま姉は並行世界からきたらしいんだ。分岐点は一年前。二つの世界の差はあま姉が踏ん張って生きてたか、諦めて死んでしまったか……って違いなんだ」
それから優は市の役人である玉川と会ったことと自分の知っていることを洗いざらい喋った。彼曰く、転移が起こったのはマンションのエレベーターに乗った時ではないかということだった。エレベーターは異世界への扉であるという話はその手の
天寧はたびたび首を傾げていたが、現象の話がややこしかったからだったようだ。状況については合点していた。
「そっか。優くんは全部気づいてたんだね。私が死にたいって思ってたことも、別世界からきてたことも」
「わかるに決まってるだろ。何年
そう口走った刹那、優は言葉を重ねる。気づいた理由はそうではない。
「いや、嘘。二回目だから気づいた。一回目は気づけず俺が見殺しにした。俺が殺したようなもんなんだ……ごめん、あま姉」
「きっと優くんのせいじゃないよ」
「違う! 違うんだ、あま姉! 俺は……俺は自分を信じられなかったんだ。自分の言葉の力を信じられなくて、絶望して……誰かを支えられるって思ってなかったんだ」
「優くん……」
「あま姉を支えていたのは俺の小説だったって今ならわかる。じゃなきゃこんなタブレットを死ぬ間際にプレゼントするわけがない」
想いを口にするたびに涙が溢れそうになった。ずっと謝りたかった、ずっと打ち明けたかった言葉のせいだ。
死ななかったのは天寧が頑張ったという要素もあるのだろう。ただそれだけではない。もう一つの要素が彼女を一年間生かしていたのではないかと優は考えていた。
「あま姉……そっちの世界の和泉勇矢は筆を折ったんだろう?」
優がいつ筆を折ったか。分岐点はそこだ。向こうの世界の彼は一年間、筆を折らずに天寧を支えていたのだ。
「うん……つい最近に」
「だろうな。多分、そっちでも一次選考で落ちたんだ」
天寧の世界と優の世界はいささか時間の流れがズレていた。しかし近い世界である以上、同じ時期に新人賞はあったはずだ。
天寧の世界は九月ではない。彼女が生きることに絶望したとなると、和泉勇矢が筆を折った後の世界だ。自分と同じように絶望し、向こうの世界の優も言葉の力を信じられなくなった。支えを失った彼女は死のうとしている。そう考えれば全て筋が通る。
── 「なにより私はまだ読みたい。読ませて欲しい。そのためならいくらでも協力するよ? 愚痴でもなんでも聞くし。私はずっと応援してるから!」。
あれはやはり本心だったのだろう。支えだったからこそ、天寧は強く言ってくれたのだ。
優は頭を抱えたくなった。どこの世界でも自分は同じ過ちを繰り返している。自分のことで手一杯になって最愛の姉のことが見えなくなっている。
──いや、一年間途中で一回も折らずに続けた向こうの俺の方がはるかにマシか。
天を仰ぎ見て涙をグッと堪える。泣くのは今ではない。今やらなければいけないのは決意を伝えることだ。
「あま姉……俺が代わりにやるよ」
「え?」
「俺がそっちの世界の和泉勇矢の代わりに小説を綴る。生きるってつらいことも多いけど、その分楽しいことも多いんだってことを俺の小説で証明してみせる。希望を見出させてみせる」
天寧がこの世界にきた意味と自分がなすべきこと。それはもう理解している。あとは立ち向かう覚悟を伝えるだけだ。
「自分の言葉に力があるかは正直まだわからない。けど届けたい相手が目の前にいる以上、やるしかないんだ。つらくて苦しいし、日の目を見ないかもしれないけど……めげずに何度も立ち向かいたい。希望を持ち続けたい。もう後悔なんてしたくないから」
敵は自分自身だ。絶望した過去の弱い自分と決別する。一年間折らずに書いた和泉勇矢を越える。その先で作家としての自信を得られるはずだ。
「わかった。期待して待ってるね」
天寧が満面の笑みを見せる。この二、三日の中で一番輝いていた。
──ああ、そうだ。俺はこの顔を見るために書いてたんだ。書きたい! 面白い作品を見せたい!
タブレットを握る手が自然と強まる。つらい時でも誰かの笑顔のために全力を捧げられるエンターテイナーでありたい。そう強く思った。
それが優の初心。今ならこの『呪いの置き土産』も希望を生み出す道具にできる。死んだ姉から託された希望を自分が昇華し、もう一人の姉に受け渡すのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます