第2話 君の名前はティーダ

「ただいま」

「おかえり。って……ええ!?」


 家に帰ると母の佐恵子さえこが出迎えにきた。その視線は自然と足元へ向いている。


「えっと……これはその……」

「パパ、大変! 智紗都が犬を連れ帰ってきたわ!」


 慌ててリビングへと駆けていく佐恵子を見て、智紗都は頭を抱えた。想定通りのリアクションだった。ここまできて逃げるつもりはなかったが、やはり苦悶は残る。


「本当か!? おお! 智紗都が犬を連れてくるなんて」


 一大事に駆けつける野次馬かのように父のとおるもやってきた。よほど驚いていたのだろう。勢い余ってメガネがズレていた。


「あ、この子サモエドね! よしよし」

「もう大丈夫なのか?」

「全然大丈夫じゃないよ。できれば飼いたくないし」


 後ろめたさを感じた智紗都は父から視線を外す。自然と目はサモエドを追っていた。佐恵子にくしゃしくしゃにされているのがご満悦なようだ。細めた目は笑っているように見える。


「じゃあどうして?」

「仕方ないじゃん。この子、迷子でいく当てないんだから。仕方ないじゃん」


 それから言い訳をするようにサモエドと出会った経緯をリビングで説明した。二回も同じ説明するのは億劫だが、ちゃんと伝えなければいけない。父と母に楽観視させるわけにはいかなかった。彼女はまだ、犬を飼うのが怖かったのだ。


「へぇ、そんな珍しいことがあるなんてねぇ。しかも翻訳機って」


 事情をいち早く飲みこんだ佐恵子はいそいそとケージの準備をしている。


「これか。どれどれ……パパだぞー?」


 一方、徹はサモエドの顔を今にも舐められそうな距離で見つめていた。首輪についている機械に話しかけているようだ。

 そんな折、機械がはっきりとした翻訳を発する。


『パパ!』

「え……パパ?」


 『パパ』。

 その翻訳機は確かに破裂音を二回繰り返したのだ。聞き間違えたはずがないのに、彼女は一瞬耳を疑った。


「おー! 正しく翻訳できてるじゃないか! お前はパパだってわかるんだな。よしよし」

「いやいや偶然でしょ。今、私の会話聞いたからかもしれないし」


 智紗都は全く信じない。いい加減な翻訳機のせいで心がすり減らされているのだ。鵜呑みにできるわけがなかった。

 『パパ』という単語は理解できて、なぜ自分は『ご主人』なのか。ますます納得がいかず、憤りが沸々とこみ上げてきそうだ。


「もしかしてこの子の名前もわかるんじゃないか?」

「どうやって?」

「思いついた名前を当たるまで言い続けるんだよ」

「随分時間がかかりますこと。一人でやってれば?」


 犬好きだということは重々理解していたが、ここまでくるとついていけない。智紗都は呆れて肩を竦め、その場を立ち去ろうとした。

 父と母が乗り気ならそれはそれでよかった。自分の苦悩が減るのだから。


「つれないなぁ。なあ、ティーダ」

『うん!』

「『うん』?」


 はたと足が止まる。また自然な応答。振り返らずに、じっと徹とサモエドの会話に耳を傾けてしまう。


「ティーダ!」

『呼んだ?』

「おお、ティーダか!」

『僕の名前!』

「へえ、ティーダっていうのね。よし、おいで! ティーダ!」


 少し離れたところにいる佐恵子が名前を呼ぶと、真っ直ぐに向かっていく。そのまま「ハウス!」と告げられると、彼は設置されたばかりのケージへと入っていった。

 犬は賢く、呼び続けているうちに自分や物の名前を理解するものだ。しかし父と母に出会ったのは今さっきであり、ケージも設置されたばかりのものである。その様子は言葉を理解して行動している飼い犬そのもの。『ティーダ』という名前を気に入ったのがただの誤訳であると智紗都は思えなかった。


「なんでわかったの……パパ」

「どうせ車の名前でしょ」

「ああ、そういうことね」


 徹が答えるよりも先に佐恵子が言い当てる。飼い犬に車にちなんだ名前をつける癖を知っていたため、すぐに合点がいった。


「それもあるけど……いや、パパな。次飼う犬の名前は『ティーダ』にしようってずっと決めてたんだよ」

「は? そんな理由で当たったの?」

「うん」


 自分が呼んだ名前は一個も当たらなかったのに、次に犬を飼う時の名前で父が当てるとは。智紗都は夢にも思わなかった。

 ティーダと呼ばれた白い犬を見遣る。佐恵子に撫でられるのがよほど嬉しいのか、無防備に腹を見せている。終いには撫でられると犬かきをするみたいに右の後ろ足を慌ただしく動かしていた。


「え……?」


 もともと人懐っこい性格ゆえに珍しい行動ではないのかもしれない。だが、智紗都はその所作に引っかかりを覚えた。自分が知っている犬に似ているのだ。


 ──アルト。


 異常なまでの懐き具合に名前の共通項。自分がこの犬と出会ったのは本当に偶然だったのだろうか。

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