第7話 自分を刺す言葉

「ざる蕎麦を一つ」

「同じのをもう一つ」

「かしこまりました。ざる蕎麦お二つですね」


 ホットプレートを買った時にはすでに一二時を回っていた。百貨店のレストランフロアで食事して帰ろうということになり、二人は蕎麦屋に足を運んだのだった。


「なんだ。遠慮しなくてもいいんだよ?」

「いや、遠慮とかそういうのじゃなくて。蕎麦はなんかざる蕎麦しか頼めないというか」

「下手な言いわけだな」

「嘘じゃないし! というか贅沢していいなら別のところ入れよ……」


 奏多の言葉は尻すぼみとなり、最後の方はよく聞こえなかった。とはいえ悪態をついていることはわかった。ざる蕎麦しか頼めないのは嘘ではないようだ。

 しばらくして先ほどの店員がざる蕎麦を運んできた。二人揃って「いただきます」と手を合わせる。

 蕎麦を啜りながら奏多を見遣みやった。そこはかとなく、好感を抱いてしまう性格。ざる蕎麦以外注文できないこだわりも玉川には理解できた。蕎麦自体の味を楽しみたいのは自分も同じだからだ。


「なあ、そろそろ話してくれないかな? 君の目的」

「この前も言いましたけど、この世界にいたいんッスよ」

「それを嘘だとは言っていない。動機が聞きたいんだよ」

「動機ねぇ……」


 ズルっと勢いよく啜った後、顔を上げた奏多は天井を見つめた。思案している……というより言葉を選んでいるようだった。


「クソ親父が嫌になったんッスよ。だから親父の考えを改めさせるために家出してやろうと思って」

「それでこっちの世界に?」

「息子が行方不明になったら流石に慌てて自分の行いを省みるんじゃないですかねぇ?」

「あのね……」


 大人として説教の一つでもしてやろうかと思ったが、言葉が出てこなかった。妻である園子を見捨てようとしてる自分に家族のことを語る資格はあるのだろうか。脳裏に疑念が焼きついた。


「玉川さん?」

「あ、ああ! そうだ! 言いたいことを思い出した。お父さんを反省させたいだけなら、もう充分じゃないのか?」

「どうッスかねぇ……頑固者だからなぁ。ケチで買い替えようとしないし。一度決めたことを曲げる気がないというか」

「真っ直ぐで実直な面もあるんじゃないかい?」

「それもありますけど……多分違うッス。曲げる気がないんじゃなくてんじゃないかな。あの人」


 その言葉を聞いた瞬間、胸が早鐘はやがねを打った。まるで自分を名指しされているようで、他人事だと思えなかったからだ。


「玉川さんと同じじゃないッスか?」

「私は……私は違う! 違うと……思いたい」

「動揺し過ぎ。図星ですか」


 ニヤニヤと笑った奏多は再び箸を動かした。問い詰めようとしたのはこちらなはずなのにいつの間にか追い詰められている。エージェントとは思えない失態だと自分をなじりたかった。

 玉川も箸を進めた。つゆの味こそわかるが、麺の味を楽しめない。ずっと頭の中で奏多の言葉がガンガンと鳴り響いていた。


 ──私は私のやるべきことを曲げられない。いや、曲げる勇気がないのか。私がやるべきことは……


「一つ言っておきますけど、後悔してからじゃ手遅れッスよ?」


 刹那、玉川は顔を見上げて目の前の青年を注視する。彼はすでに食べ終わり、箸を置いていた。


「それくらい私だって──」

「わかってるならなんで曲げないんですか? 後悔するかもしれないとわかっていながら、過去の自分の『選択』を後生大事にする意味は? 目まぐるしく変わる街並みの中で、なんであなたの『選択』だけは変わらないんですか、玉川さん」


 奏多が責めているのはほかでもない、玉川自身だった。

 どうして彼に好感を抱くのか。彼の詰りが他人事ひとごとに思えないのはなぜか。もし彼が自分の前に現れたのが必然だとしたら。因果律によるものだとしたら。


「奏多……君は」

「ごちそうさまでした。さあ、帰りましょう。プレゼント、園子さん喜んでくれるかなぁ」


 それだけ言うと奏多は先に席を立った。取り残された玉川は先ほど買ったホットプレートの箱を眺める。園子へのプレゼント……その意味を理解した。

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