第8話 奏多の正体
「あー! 園子さんは座ってて! 座ってて! 俺がやるから!」
「そう? お言葉に甘えちゃっていいのかな? うーん」
「もうすぐお好み焼きもできるから! ね?」
「うん、わかった!」
一二月二四日、クリスマスイブ。この日、玉川と奏多は慌ただしくパーティーの準備をしていた。
仕事を済ませて帰ってきた玉川は着替えてすぐに部屋の飾り付けを頼まれた。「そこまで凝る必要はないだろうに」と口に出しそうだったが、言葉を呑んだ。忙しそうに料理を作る奏多が楽しそうだったからだ。
「いや、クリスマスにお好み焼きって……」
一通り飾り付けを終え、配膳に移ると香ばしいにおいが漂ってきた。いいにおいではある。しかし違和感もある。
なぜお好み焼きなのか……元凶は園子だった。ホットプレートをプレゼントするや否や彼女は言った。
「ねえ、このホットプレートクリスマスに使いましょ!」
「チーズフォンデュとかパエリアとかッスかね?」
「ううん、お好み焼き!」
「お好み焼き!?」
「だって家庭でホットプレート使うならしたいじゃない? お好み焼き!」
唖然となって奏多とお互いに目を見合わせたのを覚えている。自分と思考回路が違うことはよく知っていたが、予想の斜め上過ぎた。
しかしそんな妻の無茶振りに奏多は必死に応えた。一枚はオーソドックスな普通のお好み焼き。もう一枚はクリスマスに合うように洋風なお好み焼きを自作したようだった。
──彼がここまでする理由は……きっとそういうことなのだろう。
理解してはいるが、その先のことはなるべく考えたくなかった。今だけは無心でパーティーを楽しみたい。それが奏多のためにもなる。
「できたッスよー!」
奏多が意気揚揚と両手を広げ、食卓を見せつけてくる。前菜としてのカプレーゼ、ローストチキンやサーモンのマリネなどクリスマスの定番料理……に取り囲まれたホットプレート。やはり違和感が凄まじかった。
「美味しそー! ほら、あなた」
「あ、ああ」
園子に促され、席に座る。食い意地を張る彼女を久し振りに見た気がした。
「じゃあ、いただき──」
「あ、そうだ。食べる前にこれ。忘れないうちに渡しておこ。はい、玉川さん。クリスマスプレゼント」
園子の言葉を遮るように、奏多がなにかを差し出してきた。カバーがかかった一冊の古本のようだ。
「この作者さん知ってるでしょ? 多分好みだと思うんだけど」
「私が知っている作家……?」
ベストセラーを手に取ることはあるが、好きな作家がいるほど読書にのめりこんだことはなかった。
そこに記された作者名は和泉勇矢。三番目の事件の関係者──和泉優である。題名は『チャンスの神様』と記されていた。
「なるほど……そうきたか」
「いらなかったら返してくださいッス」
この世界の和泉優はまだアマチュア作家である。出版に漕ぎ着けることができず四苦八苦していた。「返してください」の意味は『もとの世界に』という修飾語がつくのだろう。これもまた漂流物なのだ。
そんな厄介な代物をわざわざ渡す意図は玉川にも理解できた。奏多は自分の正体を明かしたのだ。
驚きはしない。今はその事実をそっと胸の内にだけ留めた。
「さて、食べますか!」
「そうだねー今度こそいただきます!」
「ああ、いただきます」
玉川はちょっと変わったご馳走を味わいながら、幸福を噛み締める。手のこんだ料理なだけはある。だが同時に彼の生い立ちが
ふと、奏多の方を見遣る。彼は満面の笑みを浮かべていた。それもそのはずだ。きっとこれが初めての
──私の『選択』が彼の笑顔を奪うのだろう。あの夢が現実になる。私が……奪うのか。
この時間こそ、奏多がこの世界にきた理由なのだろう。もし玉川が見た夢が現実となれば、奏多は母親と──園子と過ごすことはない。彼の人生から家族で楽しく過ごす時間も奪うのだ。
クリスマスパーティーも一度も行わないはずだ。自分が子どもと二人っきりで祝えるような人間ではないことはよく自覚している。仕事が、使命がそうさせる。
幸せの中、虚無感が玉川を襲う。必死に表情を取り繕うが、頭に染みついて離れなかった。それでも真心こもった料理の味が鮮明に伝わるのはなんたる皮肉だろう。
「ごちそうさまでしたー! うーん、美味しかったから久しぶりに結構食べられたよ」
「それはなによりッスね。はぁ……家事やっててよかったって今一番思ってるッスよ」
幸せな時間は瞬く間に終わりを告げる。やはり奏多の笑顔は絶えていなかった。その表情から目を逸らさないことが玉川にできる唯一の向き合い方だった。
「なんか食べたら眠くなってきちゃった。あ、でもケーキが残ってるね」
「食い意地張らなくても大丈夫ッスよ。起きてから食べてもいいですから、無理しないで」
「うーん、そうするー。ちょっとはしゃぎ過ぎたかも……休むねー」
そう言って園子は寝室へと消えていった。残された二人……自然と空気が重くなる。
「さて……そろそろ話さないとかな? 場所を変えようか、父さん」
玉川は黙って首肯した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます