エピローグ ここは奇跡が起こる街だ

 五年後のクリスマスイブ。玉川はまだ幼い息子と駅前にきていた。

 はぐれないように、はしっかりと父の手を握っていた。反対側は……の手を握っている。

 話は五年前までさかのぼる。

 この世界で奏多が生まれた。母子ともに無事であり、感動の再会はなんの問題もなく果たせた。そして……運命の日が訪れる。


「あ、替えのオムツなくなってる。ちょっと買ってくるね」

「こんな大雪の中で?」


 二月一四日。夢の内容の通り、都心は前日の夜に記録的な豪雪となった。そんな中、切れたおむつを買いに園子が出かけようとする。真っ白な絶望が今にも彼女を襲おうとしていた。


「でもほら、泣いてるし」

「やっぱりダメだ。二人でいこう。家にいたってやることがないしね」


 それは玉川が運命を捻じ曲げた瞬間だった。彼の『選択』が世界を変えた。

 二人でスーパーに向かう途中、坂道で車がスリップしてきた。だが玉川は車の種別を覚えており、立ち止まって様子をうかがうことで事故を回避する。無警戒に歩いていたら完全に巻きこまれていた距離のできごとだった。

 不意に奏多が言っていた言葉を思い出す。


 ── 「あの日母さんは事故で即死して、スリップした車の運転手も打ちどころが悪くて間もなく亡くなったんだ」。


 周りを見渡すと人気ひとけがない。玉川は慌ててスマートフォンを取り出し、救急車を呼んだ。

 これが功を奏したようで、早期発見により運転手は九死に一生を得た。まさか園子だけでなく、ほかの人間の人生まで救うことになるとは思わなかった。


 ──私はどうしてこの結末を選ぶのを躊躇っていたのだろう。


 誰も悲しまない未来。まさにハッピーエンドだ。規律違反をしたにもかかわらず、玉川は清々しい想いで胸がいっぱいだった。

 それから五年間、パラレルシフト事件の関係者には色々なことがあった。


 三番目の事件の関係者である和泉優は無事作家デビューを果たしたようだ。処女作のタイトルは『姉が残した呪いきぼう』というらしい。おそらくほぼエッセイに近い作品なのだろうが、読者はフィクションと割り切ってしまうだろう。彼に起きたできごとはそれくらい突飛なものなのだから。いつか『チャンスの神様』を執筆してくれることを玉川は期待している。

 二番目の事件の関係者、青山泰介。彼はこの世界で別の小林美桜と知り合い、交際に至った。やはり因果律というものがあるのだろう。大学を卒業して社会人となり、近々入籍する予定だという。

 最後は北野智紗都についてだ。彼女もこの五年の間に愛犬に出会ったようだ。そして驚くことにティーダと名づけた愛犬は一時的に失踪したのである。

 この事件について智紗都に相談された時、玉川は耳を疑った。彼女の事件はのである。漂流物に関してはまだ謎も多いが、同じ世界線で別の時間軸からやってくることもあり得るのだろう。


 ──もしそうだとしたら奏多の未来も……


 『自分の選択で彼の未来が変わっていたら』。そんなもしもの世界を夢想せずにはいられなかった。がむしゃらに突っ走ったもう一人の息子にも幸せになって欲しいのだ。

 そして玉川は……変わらず漂流物対策課に勤めていた。

 彼は本部とは別の方針で対策行動するようになった。漂流者や漂流物に寄り添い、パラレルシフトした因果を理解する。そうして初めて、一人の人間として彼らをもとの世界に送り出せると確信したからだ。

 未だに命令違反をしており、暴露されれば首が飛ぶ。それでも続けているのはいつか正確な報告書を提出した時に上層部も理解してくれるだろうと信じているからだ。彼は自らの頭で考え、道を選択するようになった。

 休みは家族で過ごすことに努め、奏多に嫌われない父親になれるよう精進している。こうしてクリスマスを家族で一緒に過ごしているのもそのためだ。


「今日の夕飯は?」

「お好み焼き!」


 園子が尋ねると、待ってましたと言わんばかりの勢いで幼い奏多が返答する。あれ以来、玉川家ではクリスマスにお好み焼きを食べる習慣が根づいてしまったのだ。

 JRの駅前までやってきた時、ふと目に入ったものがある。


「お父さん、あれなに?」


 純真無垢な瞳もウネウネとした金属棒が気になったらしい。デッキ広場のオブジェ……この場所で出会った人たちを玉川はよく知っていた。


「あれはオブジェだよ」

「オブジェ? なんか意味とかあるの?」

「なんだったけ?」

「さあ? 私も意味は詳しく知らないわ」


 家族三人で話した時、前にも同じようなことがあった気がした。もう一人の奏多とここで話した時だ。あの時も玉川は意味がわからないまま、ただ通り過ぎていった。


「確かオブジェの説明書きがあったような」

「この際だから読んでみましょ」

「うん!」


 なにが書かれているのか。三人は期待に胸を膨らませながら、歩を進めた。……そこに書かれていた内容を見て玉川はおののいた。


「日が昇る朝には『一日の活躍』を、日が地に還っていく夕方には『明日への希望』を」

「どういう意味?」

「このオブジェは人が生き生きと過ごすことを応援しているのよ。自分の場所で一日頑張って、明日も希望を持って生きようってなれるように」


 園子の噛み砕いた説明を聞いて、もう一人の奏多の言葉を思い出す。


 ──「さあ? どうだったかなー怪奇現象が起こるようになったとか?」

 ──「なにせこっちでは六〇年近くあるわけッスよ? その間ずっと待ち合わせの目印として使われてて、もはや待ち合わせ場所の御神体みたいになっててもおかしくないんじゃないですかねー」


 間違いない。

 数十年間この場にあったオブジェは次第に待ち合わせ場所としての機能を得た。そしてその機能は人々の願いや想いを受けて神の権能ともいうべき力へと昇華した。言うなれば『自分の運命を変えてくれるものとの待ち合わせ場所』となったのだ。

 漂流者の世界とこの世界の共通点。あのオブジェだけはどの世界にも存在した。オブジェが力を得た後に異世界との分岐点が生まれたからだろう。次元エレベーター──異界の門が現れた時期も、その時期と符合する。


「絶望している人に『希望』を与え、送り出す人の『活躍』を願う。なるほど、確かに奇跡の力を得るにはうってつけだ」


 漂流者とここで遭遇することが多いのは、人間が自由に動き回れるからだろう。電車を利用する人などがこの前を通れば、簡単に転移させやすい。小林美桜も和泉天寧も……おそらく奏多もこの場でパラレルシフトしたのだ。

 意思のない漂流物や一件目の漂流者のティーダがこの場に漂着しなかったのは自由に動き回れなかったためだろう。そういうものはオブジェの周囲以外のところでもパラレルシフトするのだ。


「また私に『選択』を委ねるんだな、君は」


 彼は全て知っていた。知っていながら答えは教えず、ヒントだけを与えたのだ。


「あなた……これって」

「さて、どうしたものかな」


 原因を取り除けば、ずっと彼を縛ってきた使命は終わる。忌々しい呪縛。同時にこの街に起きた尊い奇跡も失われる。

 奇跡の邪魔者となるか、奇跡の見届け人となるか。今また、分岐点が目の前にある。重く、責任が伴う『選択』をしなくてはならない。

 けれど彼はもう迷わない。自分の道は自分で選択する。後悔がないように、自分がしたいように。使命を呪縛にしてしまったのは選択しなかった己のせいだ。


「『神様は等しくみんなにチャンスや機会を与える。けどそれを掴めるのは気づけた一握りの人だけだ。臆せず、一歩踏み出す選択をした人だけが自分の未来を決められる』……か。この街の奇跡もきっとチャンスの一つに過ぎないのだろう」


 きっとこの先も心が折れた人々がやってくるだろう。この異界──町田はそんな心痛めたものたちのいこいの場なのかもしれない。

 責任や義務ではなく自分の意思に従うことの大事さ。いつかくる悲しみを受け入れず、立ち向かう大切さ。今まで見てきた彼らの決意はどれも尊く、気高いものだった。それをなくしたくはない。


「見届けようじゃないか。この奇跡のゆく末を」


 父がなにを言っているのかわからないのだろう。奏多は呆然と真上を見上げていた。幼い彼の姿に今までとこれからくる漂流者の姿を重ねる。

 漂流者たちが奇跡を前にしてどんな選択をし、どう立ち直るのか? 物語の可能性は無限にあり、そこからどんな未来を選ぶのか? 悩み、苦しみに負けず、自分がしたいことを選ぶ力が彼らにはある。玉川はそれを見てみたいと思った。


「これが私の物語での『選択』……これが私が選ぶ未来だ!」


 未来を選ぶ力はもちろん玉川自身にもある。生きることは選択の連続だ。選びたくない選択肢が大きく見えていても、抗って小さな可能性に賭けることはできる。ならば自分が見たい未来を選ぼう。それが茨の道だったとしても……たった一回きりの自分の人生なのだから。

 これから先も……

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ここは奇跡が起こる街だ 鴨志田千紘 @heero-pr0t0zer0

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