かつて、嫉妬や制裁のために軽々しく暴力を振るうラブコメヒロインが、ヒロイン類型のスタンダードにある時代があった。
これはラブコメ主人公の不誠実や悪行を精算するための措置だった、というか、それで精算されるという建前になっていた。
スタンダード、テンプレートな「暴力ヒロイン」は恐らくそういう文脈で生まれたし、体罰が現代より日常的であった時代には、比較的理解されやすかったかも知れない。
また一部では本作のヒロインのように、羞恥や反射で暴力を振るう、というテンプレートも生まれた。
前述の制裁型暴力ヒロインとこれらを混同して扱う者もいるが、これは「好き嫌い」と「アレルギー」を同一視する程度には乱暴な分類なので、あまり適切ではない。
現代では肉体的暴力そのものが社会的に不適切とされているため、「暴力ヒロイン」のテンプレートは(創作中では)ほぼ排斥されているし、その歴史や文脈にそぐわない場合でも「肉体的暴力を振るう」こと自体に極端な拒否反応を示す人が増えている。
より正確には、そういう筋、切り口の非難が存在することが、大衆に知られてしまった、というべきかも知れない。
これはポリティカル・コレクトネスに関わる問題であって、物語の文学的価値やエンターテイメント的価値とは無関係な筋なのだけれど、少なくともこれに関わる偏見や恐怖が、一部の人々に根付いてしまったという話。
そんな世相を踏まえてだ。
前述の通り、本作のヒロインはやや気軽に主人公を投げ飛ばす。
これは羞恥、反射、習慣といった理由によるものだ。
関係が深まり、恋人としての好意が膨らむにつれ、それは「ライオンの甘噛み」に喩えられる軽い小突き、じゃれつきに変わってゆくが、それでも暴力だと言う人には、そう感じるだろう。
では、そんなヒロインは魅力的ではないのか? そんなことはない。
DV夫やDV妻に対する「でも、優しい所もあるんだよ」という洗脳に基づく評価ではなく、普通に嫌われている相手に対する「フフッ、ツンデレか」という妄想に基づく評価でもない。
滲み出る気持ちの真っ直ぐさであったり、根の善良さであったり。主人公視点からなら、顔や仕種もあるとは思う。
言動や考え方が合わない人もいるだろうけれど、それは相性の問題であって、現実でも当たり前にあることだ。
主人公とライオンカノジョの物語は、私にとって、確かに心を動かすラブコメだった。
同じように感じる読者も少なくはないと思う。