第6話 黒服の男

「はあ……」


 コンビニでアイスを買った帰り道。不意にため息が漏れた。理由は単純だ。泰介は好意を自覚していながら、一歩踏みこめなかった。


「居場所って大口叩いておきながら『好き』とは言えなかったもんなぁ……」


 まだ一〇日ほどしか一緒に過ごしていないが、短期間でも自分たちが似た者同士であることは痛いくらい理解できた。理解は共感に変わり、好意へと昇華されるのは道理だ。


 ──美桜のことが好きだ。彼女が望むならずっといて欲しい。いや……本当は帰したくない。


 協力するとのたまいながら、本心では帰らないで欲しいと願う矛盾。今が永遠に続けばいいと思うが、それは叶わない。

 美桜が過去からきた人間である以上、本当の居場所はここではない。いつか別れがくる。これは約束された悲恋だ。


「美桜のためを思うなら、自分のわがままを優先しちゃダメだ……もとの時代に帰して、そこで居場所を作れるように応援するのがきっと正しい」


 泰介は自分の気持ちを胸の奥にしまうことにする。下手に好意を暴露し、関係性が壊れるのも嫌だった。

 美桜にとって自分は友達だ。ありのままの姿をさらけ出せる同類なのだ。そう考えれば考えるほど、気持ちを押し殺すしかなかった。

 とぼとぼと帰路をたどる。八月の夕方だからか、まだ空は明るかった。茜色の空がそこはかとなく寂寥せきりょうを掻き立てる。

 そんな時だった。男の声が聞こえたのは。


「青山泰介くん、だね?」

「え……?」


 マンションの前で壮年の男が待ち構えるように佇んでいた。夏にもかかわらず、ジャケットを羽織ったスーツ姿。全身黒ずくめなのがエージェントを彷彿ほうふつとさせる。


「君、青山泰介くんでしょ?」

「そうですけど……」


 なぜ自分の名前を知っているのか。いぶかしみつつも嘘をつけず、正直に答える。


「よかった。失礼、私はこういう者だ」


 男が手渡したのは一枚の名刺。そこには『町田市漂流物対策課課長 玉川学たまがわまなぶ』と書かれていた。

 名前と肩書きだけでは全くピンとこない。『町田市』と書かれていたことから、市の役人なのは間違いないのだろう。それ以外はさっぱりだった。


「あー聞き馴染みないから怪しく思うかもしれないけど、大丈夫」

「いや怪しいって自覚してながら大丈夫って……」

「まあ、表に出ない仕事だから。あ、スマホで検索してもひっかからないよ?」


 玉川が狐のように目を吊り上げ、笑みを見せる。

 泰介の動きを見て、即座に判断したのだろう。確かに彼の言う通り、『町田市漂流物対策課』と調べても全くヒットしなかった。


「なんなんですか。あなた一体……」

「あれ? 心当たりない?」


 コンビニの袋から結露した水滴がこぼれ落ちる。一刻も早く帰らなければと本能で悟るが、泰介の足はその場から動かなかった。


「単刀直入に聞こう。君、なにか隠していないかい?」

「なんのことですか」

「異物と言えばわかるかな?」

「異物……?」


 反芻はんすうするとすぐに理解できた。異物とは美桜のことだ。彼らが対策している『漂流物』とはおそらくタイムスリップしてきたものを指すのだろう。


「この世界にもともと存在しなかったもの。言わば世界の歪み。その対処を任されているのが我々だ」


 玉川の言うことが事実ならば筋は通る。世界の歪みを対処する裏仕事は公表できない。美桜のタイムスリップに勘づいているのも説得力を強めていた。

 泰介は逡巡しゅんじゅんした。この男に話すべきかどうかを。タイムスリップしたものの対処をしているのは事実かもしれないが、職務を全て明らかにしたわけではない。嘘が混ざっている可能性もある。


歪んだまま放置すれば、いつか取り返しのつかないことになる。手を貸してはいただけないかな?」

「知らない……! 僕は知りません!」


 『排斥』。その言葉が決め手だった。

 どんな手段を用いるかわからない以上、玉川に美桜のことを任せられない。それが意味することが元の時代への帰還だとしてもだ。彼女が帰ることを望んでいないのに、無理矢理帰そうとするかもしれない。

 泰介はそそくさと立ち去り、マンションへと入っていく。背後から足音は聞こえない。追いかけてくるつもりはないようだ。

 苛立ちを乗せるようにエレベーターのボタンを何度も押した。押し続けても早くくるわけではないとわかっていながら。


「なんなんだよ……あいつ。美桜が漂流物って……タイムスリップを認知しているのか」


 冷や汗と呼応するように袋から水滴がさらに垂れていく。想いを伝えるどころの状況ではなくなってしまった。


 ──美桜の居場所がおびやかされそうになっている。


 嫌な想像が頭をよぎる。心臓は早鐘はやがねを打ち、おさまることを知らなかった。

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