第3章 希望という名のspell
プロローグ 叶わないはずだった再会
その日、姉が帰ってきた。霊体としてではなく、実体を持って。
「あれ? 優くん。ここで会うなんて……今日は早い帰りなんだね」
優と呼ばれた青年は言葉を返せなかった。姉である
理解が追いつかない。
天寧は確かに死んだのだ──一年前に自殺で。ようやく心の整理がついてきた矢先のできごとだった。
「優くん? おーい」
──いや、嘘だ。整理なんかついてない。俺は本当は……
もう一度会いたいと願っていた。幽霊でもなんでもいいから会って話を聞いて欲しいと思った。
胸の中に残る後悔と今抱えている苦悩を最愛の姉に聞いて欲しい。優は絞るように言葉を紡ぐ。
「おかえり。あま姉」
抱きつき、家族の温もりと起こった奇跡を噛みしめた。ここに天寧は存在している。存在しているのだ。
──俺は今、あり得たかもしれないifの世界にいるんだ。
時間は少し前まで遡る。
「なんでだよ……なんで」
応募した作品が一次選考にすら残らなかった。
仕事の休み時間。タブレットの画面が残酷な現実を突きつけてくる。
たまらず手に持っていた端末をテーブルに叩きつけそうになった。刹那、それが亡き姉からの贈り物であることを思い出し、堪える。
「結局……俺の言葉は届かないってことかよ。作品に価値はないってことかよ」
独り言はどうしても堰き止められなかった。
──悪かったのはなんだ? 久しぶりの作品だったからか? 一度筆を折った人間はやはり才能がないのか?
自問自答は尽きない。やめたくてもやめられなかった。
優は幼い頃から物語を考えるのが好きで、よく妄想の世界へと旅をしていた。頭の中ではなんだって自由にできて、主役になれる。そんな世界がたまらなく好きだった。
気づいた時には自分の世界を文字として別の誰かに見せるようになっていた。ほかの誰かに自分の価値観を共感してもらえる。自分の好きが誰かの好きに繋がり、みんなが幸せになる。人に夢を与える小説という存在が愛おしかった。
そうして、優はいつしかプロの作家になることを夢見た。
「小説家になれるよ!」
きっかけは姉の天寧に褒められたことだった。ただそれだけ……その言葉を信じた。
優自身も思い返すたびに「馬鹿だなぁ、俺」と感じていた。姉がしきりに言う言葉を本気にしてしまったのだ。将来の職業にしたいと思ってしまうのは道理である。自分も誰かに夢を与えられる側の人間だと思いこんだ。
──けどダメだった。それは理想論だ。幸せにするどころか誰かにすら届かない。届かない言葉に意味なんてない。届かなきゃ意味ないんだ。
夢は夢。妄想は妄想なのだ。自分が好きでも、相手も好きとは限らない。好意と好意がいつも双方向ならこの世に
彼の『好き』はこの世界から弾かれた。机にタブレットを叩きつけるような奇を
自分の小説を求めている人間はどこにもいない。言葉は届かない。自身の力量を疑わざるを得なかった。
「平凡、爪弾きもの。注目の的にはなれない……心に残らない作品しか生み出せない。俺なんてその辺の石ころと同じだ」
どこまでもどこまでも腐りたかった。もういっそ才能がないならやめてしまおうとすら思った。誰も求めてない、欲しいと言われないなら……いなくなったって変わらない。
──きっと作品は鏡なんだ。つまらない俺を写すから作品もつまらない。一度諦めた人間が書いたから説得力がない。いらない物語なんだ。
ただその辺の石ころが一つ減るだけ。石ころ仲間からしたら場所を食う邪魔者が減って安堵するのだろう。と思ってみたが、安堵するほどの価値が自身にないことに気づいてしまう。
「けど俺には……俺にはこれしかないんだよ」
優は捨てられなかった。亡き姉が愛してくれた自分の物語と才能を。どこにいても天寧は自作のファンであると信じたかった。
捨てたら天に昇った彼女に顔向けできない。報いるためにも償うためにも投げ出すわけにはいかないのだ。どこまで腐っても『呪い』のように希望が胸に残っていた。
失意の中、帰路に着く。幸いなことにこの日は定時で帰ることができた。優が気落ちしていることに上司が気づいたのだ。
「はあ……人身事故か」
駅に着いた時に電光掲示板が慌ただしく文字を流していた。ダイヤがだいぶ遅れているらしいが、今は運転を再開しているようだ。
鬱屈とした心に暗い記憶が押しかかってくる。人身事故の原因は飛びこみ自殺だろう。いやでも天寧のことを思い出してしまう。
──一年前、天寧は一人暮らしをしていたマンションで首吊り自殺をして死んだ。
それは見るも悲惨な光景だったという。
優は原因に心当たりがあった。ブラックな労働を強いられて、心を病んでしまったのだ。
思い出すとそんなきらいがあったことに気づく。なにを書いても届かない。新作の小説を見せても彼女は感想を言わなくなっていた。そんな姉の異変と自分の無力さに耐えられず、絶望して筆を執ることも少なくなった。
「明らかに異常だってどうして気づけなかったんだ、俺。どうしてあそこで筆を置いたんだよ……」
つり革を掴む手に力が入る。あの日以来ずっと、優の心には黒い染みが残っていた。
あの時気づいていれば天寧を……自分の大事なファンを失わずに済んだかもしれない。自作の小説にもっと力があれば、生きる希望を持たせることができたかもしれない。姉が死んだのは自分の小説に力がなく、生きる楽しみになれなかったからだ。
遅過ぎる後悔。今さら頑張ったところで天国の姉には届かない。力のある小説を生み出せたかどうかは永遠に謎のままだ。優にできるせめてもの償いは筆を折らずに書き続け、賞レースに挑戦することだった。
『町田。町田です。お降りの際はお忘れものなさいませんようにご注意ください』
車掌のアナウンスが流れ、電車を降りる。最寄り駅に着いた。そのまま寄り道せずに帰宅しようとした。
優の自宅は天寧が住んでいたマンションだ。もともと社会人になった時に二人で住もうと約束していたのだが、叶うことはなかった。
いわゆる事故物件でも優は気に留めなかった。駅から近くて立地がよく、事情が事情なために家賃は格安だ。なにより、ここに住んでいればもう一度姉に会えると優は思ったのだ。どんな形でもいい。霊体でも魂だけでも。
「また小説の話がしたいんだよ、俺。一番の読者に新作を読んでもらいたいんだよ」
駅前の広場で夜空を見上げて独り言ちる。
その直後であった……彼女と再会したのは。オブジェの前で生前とほとんど変わらないスーツ姿の天寧を見つけた時、優は目を疑った。
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