第5話 漂流物対策課の仕事

 目を覚まし、隣を見遣みやる。園子が静かに寝息を立てていた。


「思い出すだけでもつらいものだな……」


 髪をくように彼女の頭を撫でた。いつか最愛の人を失う──そんな未来が待っていることを玉川は痛いくらい理解していた。


「けれど……『選択』はできないんだ。私に選ぶ自由は……」


 そこまで言って口を噤んだ。果たして本当にそうなのか。不自由の中でもなにか足掻くことはできるのではないだろうか。「誰しもが不自由の中で幸せを模索している」。園子の言葉を改めて自分なりに咀嚼そしゃきすべきだ。


「とはいえ……家で考えてもらちが明かないな。支度して仕事にいくとするか」


 洗顔のために夫婦の部屋を後にする。リビングへと出た瞬間、朝餉あさげの柔らかな香りが鼻腔びくうをくすぐる。


「おはようございます。朝食できてるッスよ?」

「あ、ああ。ありがとう。少ししたら食べるよ」


 キッチンに立っていたのは奏多であった。自分が連れてきた漂流者だが、あまりに自然に溶けこんでいる。思わず言葉に詰まった。

 歯を磨き、髭を剃り、スーツへと着替えて食卓へと足を運ぶ。


「すごいな。全部、君が用意したのかい?」

「いえいえ、そんな大した料理じゃないッスよ

「そうか?」


 テーブルに並んでいたのはトーストにスクランブルエッグ、グリーンサラダ。そしてご丁寧にミルクティーが用意されている。いつもの朝食と同じ、洋食だった。

 一つ一つは大した手間はかからないのかもしれない。しかし、朝早くからこれだけのものを用意してくれたことに玉川は脱帽していた。


「むしろ夕飯の方を期待しててください!」


 そう言ってサムズアップを見せる奏多に「ありがとう」と玉川は微笑んだ。彼にしては珍しい穏やかな顔だった。

 朝食を食べた後、すぐに市役所へと赴いた。机のPCを開くと漂流物の通知が十数件溜まっている。レーダーを確認すると漂流物が市内のあちらこちらへと散らばっていた。


「やれやれ。今日も忙しそうだ」


 玉川は車を走らせ、市内を奔走ほんそうした。目的地へと急行し、誰よりも先に漂流物を回収する。そんな単調な作業が彼の仕事の……はずだった。

 しかし事態が急変したのは一〇年近く前のことだった。各地の支部で漂流物ならぬ『漂流者』が確認されるようになった。きさらぎ駅の事件も人間のパラレルシフトによるものだったのではと考えられているが、当時は対策室も漂流者に関しては認知していなかったため真相は不明だ。


「一つ目、回収。動かない分、漂流物は楽でいい。はぁ……全く、どうしてうちの管轄でも漂流者が確認されるようになったんだか」


 公園で野球ボールの漂流物を回収し、ベンチで一息つく。

 漂流者がやってきた事件は玉川が知る限りでは二件のみだ。小林美桜と和泉天寧の二人である。生き物という類似点を加味すると北野智紗都の飼い犬、ティーダも漂流者と言えるかもしれない。

 報告書を確認するためにスマートフォンを開く。


「漂流者の反応を感知したのは転移直後じゃない。いずれも漂着してから一週間以上は経過している……どういうことだ?」


 今までパラレルシフト反応が観測されるのは漂着直後だと考えられていた。玉川自身は即座に捜索したつもりだったが、発見者の話を聞く限りでは実際の漂着と反応の観測にタイムラグがあるようだった。彼が漂流者発見に出遅れたのはタイムラグの存在を知らなかったためだ。


 先ほど拾った野球ボールもこの世界に漂着したばかりのものだと玉川は推察していた。しかしそれでは辻褄が合わない。漂流者は例外だとは考えられなかった。


「我々が反応を感知できるようになるのは直後ではない……ということは意味があるのか? 漂流物がこの世界にくる意味が」


 スマホをしまい、野球ボールを取り出す。ゴミと見間違いそうになるほどボロボロなボールにどれだけの意味があるというのか。眺めてみても玉川にはなにもわからなかった。自分とはなんの縁も因果もないからだろう。


「もし漂流物に意味があるのなら、送還する我々の存在意味はなんなんだ。邪魔しているだけじゃないか? はあ……命令無視して調べて得た結果がこれか。ますますわからなくなってきたな」


 ただ一つだけわかったこともある。パラレルシフトが起きる原因だ。


「意味があるということは……やはり意図的に引き合わされてるのか。それを引き起こしているのは何者だ。いや、宇宙の因果律なのか。突き止めなければ終われないな」


 そのために春川奏多についてもっと知る必要がある。あの青年はなぜ自分から漂流者だと名乗ったのか。なぜ彼だけ漂流者にもかかわらず、パラレルシフト反応がすぐに観測されたのか。

 彼を知れば真理にたどり着く。そんな予感がした。

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