第7話 ティーダはどこからきたのか
──犬が好きだ。一緒にいると笑顔になれる。だからこそ……私はそんな彼らとお別れするのが怖かった。ずっと一緒にいたかった。
いざ決意してしまうとなんてことなかった。大好きだからこそ別れの悲しみが大きくなる。それが嫌だから遠ざけていただけ。
ティーダとともに過ごす今、この瞬間は楽しさで満ち溢れている。自分はなにも変わっていなかったのだ。なにも。
「ティーダ、散歩いくよ」
『いく!』
日課の午後の散歩へと繰り出す。この時間こそが彼との対話に違いなかった。そうして気づいたのはやはりティーダは生まれ変わりではなかったことだ。性格もリアクションもまるで違う。一挙手一投足まで見ようとしなかったが故の勘違いだった。
──「どんなに似ていても、記憶を引き継いでいてもアルトはアルト。ティーダはティーダだ。全く同じものはどこにもない」。
あの日の父の言葉を
せせらぎを聞きながらゆったりと歩いていく。川沿いの桜は跡形もなくなっており、彼と向き合ってから時間が経ったことを実感する。それでも春の陽気は顕在で、気持ちのいい散歩日和だった。
「楽しい?」
『楽しい!』
「そっか。ならよかった」
ぎこちない会話だが、ストレートな感情だからこそ伝わるものもある。翻訳機の手助けもあり。ずっと恐れていた『誤解』もほとんどない。
『あ! 遊ぼう! 遊ぼう!』
「ちょ、待って! ティーダ、ストップ! ストップ!」
同じように散歩している犬を見つけてティーダが駆け出す。引っ張る力が強く、大変だというのにもかかわらず智紗都は笑っていた。
振り回されるのも心地がよかった。アルトとは全く違う根明な彼だからこそ、心の扉をこじ開けることができたのだろう。
「なんであの日エレベーターなんかにいたのよ」
隣を歩いているティーダに未だに解決していない疑問をぶつけてみた。しかし彼は笑うように口を開けているだけで返答はない。
「通じるのは簡単な言葉だけ……か。翻訳機が動作するのも鳴き声に対してだけだし」
散歩をするといつもティーダのことばかり考えてしまう。普段頭の隅にある、大学の課題や人間関係の悩みなどいずこやら。
──飼い主は? なんでエレベーターに独りで乗ってたの? この首輪は?
少なくともなにか特殊な犬だというのは思いこみだったと智紗都は判断した。素性はわからないことだらけだが、普段の振る舞いはただの犬だ。
ドラマのキャラのように人の感情を察するのがずば抜けて上手いわけではない。むしろ空気は読まないし、先ほどのように通じない言葉も多い。
日本語を話しているように聞こえるが、それは彼の能力ではない。翻訳機のおかげだ。やはりティーダ自身は生まれ変わりでも、魔法にかけられた人間でもないようだ。
そんなこんなで散歩コースを歩き終え、帰路に着く。
「となると……やっぱこの首輪か」
玄関でティーダの足を綺麗にしながら、首元を覗きこむ。見た目は細長いオーディオプレイヤーに輪っかがついた物のように見えた。特に奇妙な形というわけではない。
だが、共に過ごしていくうちに智紗都は確信していた。これは『異物』だ。気になって調べてみた結果、同じような首輪型の翻訳機はどこにも売っていなかったのだ。最初は自分が知識を持ってないだけだと思ったが、そうではない。間違いなく、この世には存在しないのだ。
「そういえばこの翻訳機……ポンコツかと思ったけどほとんど正確に機能してるんだよなぁ」
翻訳した言葉がティーダの感情と一致している瞬間を何度も目の当たりにした。気分が悪い時は拒絶を、楽しそうな時は素直な感情表現を。そして懐いた素振りを見せた時は『パパ』『ママ』と言っていた。唯一の誤訳は智紗都の対する『ご主人』という単語だけ。
「待って……もしかして誤訳じゃない?」
仮に『ご主人』が誤訳ではなく、本当に自分が飼い主だとしたら? この世に存在しないはずの翻訳機がある理由は? エレベーターにいたのは不慮の事故だったら?
──「あの時翻訳機があれば……ちゃんと誤解なく理解できたのかな」。
「あ……」
自分がかつて吐露した言葉が脳裏を駆ける。
この翻訳機は『誤解』を恐れた誰かが与えたものだ。心当たりのある人物は一人。てんでんばらばらだった謎たちが星座を描くように結びつき、輝き出す。
「ごめん、ティーダ! ちょっとこれ借りるね……!」
智紗都は慌てて首輪を外し、ついているボタンを片っ端から押していく。今になって気づいたのは、それまでティーダのことをちゃんと見ようとしなかったからだ。目を逸らしていたから大事なことに気づけなかった。
『プロフィールデータを表示します』
ディスプレイに表示されたのは彼の生年月日、住所などのプロフィールであった。その欄にはもちろん飼い主の名前も記されている。
「神奈川県町田市……って。生年月日も……ああ、そういうことか。ティーダ、あなたはやっぱり」
全ての謎が解けたその時だった。スマホが見知らぬ番号の着信を告げたのは。
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