第10話 「またね」
天井が高い、ドーム状の部屋にそれはあった。運搬用のエレベーターのようなフレームが剥き出しの昇降機。次元エレベーターというらしい。
今、美桜はその中にいる。照明が少なく薄暗いせいで彼女の顔が不安げに映る。
感慨なんてものは一切ないが、呼び起こされる思い出はいくつもある。朝飯を食べたり、一緒に買い物をしたり、ゲームしたり。最後の捜索は相合傘でデートをしていたようにすら思えた。
たった数週間のつき合いのはずなのに何年も一緒にいるかのように錯覚した。泰介にとって彼女との日々はそれくらい有意義な時間だったのだ。
──それも……もう終わりだ。
二人を分かつ無機質な隔たりを越えることはできない。泰介はただ呆然と眺めることしかできなかった。
「君の世界はすでにこちらで把握している。君はそこにいればいい」
「……はい」
緊張しているのか、美桜がか細い声で応答した。俯き加減なのが泰介の不安を掻き立てる。胸のざわめきが
「やっぱりおかしいよ。異世界人は帰さなきゃいけないって! どうしてだよ!」
「泰介くん。君の気持ちはわからなくもないけど──」
「だって……! 好きになっちゃったんだ!! どうしようもないくらい美桜のこと!!」
玉川に耳を貸さず、想いの
声を上げるなら今しかない。土壇場になってしまったが、このまま別れればきっと後悔が残る。これが最後のチャンスなのだ。
「こんな別れ際に想いを告げてごめん……本当はもっと早く伝えたかった。けど言えばようやくできた居場所が壊れると思って言えなくて。いざ君が帰らないといけないってなったら言うのは重荷になる気がして……僕は本当になにもできない意気地なしだ」
「でも最後にちゃんと言ってくれたよ。恐れずに一歩踏み出してくれた」
美桜は心の底から嬉しそうだった。「過程がどうあれ、一歩踏み出したんだからそれでいいじゃん」と語りかけているようだった。
「そうか……ちゃんと踏み出せるんだ、僕だって」
「うん。泰介はなにもできない意気地なしなんかじゃないよ。大事な瞬間に一歩踏み出してる。だから私は救われたし、こうして無事帰ることができるの」
「けど……けど……」
言葉が続かなかった。「帰って欲しくない」とわがままを言いたいはずなのに理性がそれを拒んだ。
想いを届けたいけど届かない。自分が迎えたいハッピーエンドの形すら、思い描くことができない。
そんな泰介を元気づけるように美桜は告げる。
「私も泰介のこと好きだよ。友達としてじゃなく……異性としてかな」
照れて頬を掻きながら彼女は言葉を継ぐ。最後のその瞬間まで、想いを恐れずに。
「わがままを一つ言えるとしたら、私はこの世界に残りたかった。泰介の想いに応えたい。でも私は帰らないといけないんだ。ここにいても別れは絶対にくるってなんとなくわかるから。だったら最後の瞬間まで言葉が交わせる別れ方をしたいって……私は思った」
心の奥で泰介も同じことを考えていた。別れは確実に訪れる。この出会いは宇宙の意思が起こした気まぐれに過ぎない。
明日か五年先かはわからないが、美桜とありふれた日々を過ごしていく中で突然消えるかもしれない。この世界よりも高次元の世界へ渡ることになるかもしれない。それならばもとの世界へ帰せるうちに帰した方がいい。
「なによりこの世界にきて、泰介と出会って……私は私の世界で自分と向き合おうって思えた。世界にはいい人も自分に手を差し伸べてくれる人もちゃんといるんだってわかったから。悪意のある人ばかりじゃない。泰介のような優しくて、私と向き合ってくれる人が……きっと私の世界にもいる」
「美桜……」
「だから私は帰る。親とも周りとも……面と向き合うって決めた! 泰介の気持ちに応えられなくて、ごめんね」
「いいんだ、美桜。君がそう言うならきっとそうだって……僕も思うから」
泰介は歯噛みしながら首を横に振った。
彼女の言葉こそ泰介が求めていた答えそのものだ。
──自分の世界だってきっと捨てたものじゃない。
自分と過ごしてきた中で美桜がたどり着いた答えなら、それを否定するのは間違いなのだろう。
別れを受け入れ、最後くらい笑って見せよう。そう決意した直後だった。美桜が思いがけない言葉を口にしたのは。
「玉川さん。一つ聞いてもいいですか?」
「なにかな?」
「この世界にも小林美桜はいますか?」
「え……?」
泰介は唖然となった。無論考えたことがなかったわけではない。タイムスリップであれ、パラレルシフトであれ、存在の重複は起きているはずなのだ。
「ああ、もちろん。君の世界と我々の世界が分岐したのは二〇一二年だ。それ以前に君は生まれているのだから、この世界にも小林美桜は必ず存在する」
「だってさ。泰介」
「どういう意味……?」
美桜の意図がわからなかった。
この世界の小林美桜は同一人物ではない。泰介と過ごした夏の記憶もないはずだ。言うなれば──顔が同じだけの赤の他人。
「余計なお節介かもしれないけど……この世界の私にも手を差し伸べてあげて欲しいんだ。多分、私と同じであんまり友達いないだろうから」
「そういうことね。けど……僕にできるかな?」
美桜の願いを理解できても、一抹の不安が残っていた。
目の前にいる美桜の居場所を作れたのは奇跡に違いなかった。人づき合いが得意ではない自分が奇跡をもう一度起こせるのだろうか。
「大丈夫だよ、泰介。人を想える泰介なら手を差し伸べられるよ。きっと私たちに足りなかったのは一歩踏み出す勇気。決意だったんだ」
美桜の言葉が頭の中で反響する。どうしようもない自分がどうして奇跡を起こせたのか。それは一歩踏み出して声をかけたからだ。
自身の半生を省みる。思春期に入ってから声をかけるのが苦手になっていた。いつも誰かから話しかけられるのを待って、自分から飛びこもうとはしなかった。彼女の言う通り、足りなかったのは勇気だったのだ。
「それに『情けは人のためならず』でしょ? 恐れずに自分から誰かのために優しさを手渡して……それが巡り巡って私のところに返ってきたら嬉しいかな。なんてね」
美桜が恥ずかしそうに決意を口にする。『情けは人のためならず』。奇しくもそれは泰介自身が口にした言葉だった。
「わかった……! 僕もこの世界で頑張るから! もう一度自分の居場所を見つけてみせるから!」
彼女に報いなければならない。頑張らないといけない。ずっと探していた答えを返してくれたのだから。
「別れの言葉はもう充分かい?」
「はい……! 玉川さん、ありがとうございました!」
「僕も……もう大丈夫です。覚悟は決まりましたから」
二人の言葉を聞いて、玉川はガラス越しの研究員に目配せをした。次元エレベーターを作動させるらしい。いよいよ、お別れだ。
「私、自分の世界に帰ったら泰介のことを探す! 大学も泰介と同じところいく! 同じ人間じゃないかもしれないけど……絶対見つけて好きになってもらう! だから……だから!」
「ありがとう……! 向こうの僕もボッチだろうから、よろしく! じゃあ……またね、美桜!」
「またね、泰介!!」
昇降機から光が
泰介は一人、別れの言葉を噛み締めていた。「またね」。それは再会の約束だ。お互いに自然とそんな言葉が漏れていたことがそこはかとなく嬉しかった。
「この世界の自分にも手を差し伸べて欲しい……か。またまた無茶な願いを残していったね、彼女」
慰めるわけでもなく、励ますわけでもなく。玉川は世間話をするトーンで泰介に声をかけた。
「もう一度出会いたいですけど……出会えるんですかね、ちゃんと」
「私が言えるのはこの宇宙には因果律が存在するかもしれないということだけかな。立場的にこんなこと、あまり口にしたくはないのだけどね」
「因果律……?」
耳慣れないワードで泰介はおうむ返ししてしまう。フォローの仕方まで専門的な用語。最後の最後まで癖が強い人物だ。
「ものごとはなんらかの原因から生じた結果だ。原因がなくてはなにも生じない。では君が彼女を救ったという結果は偶然起きたのかな? ほかの誰でもない、君が救ったのは」
「偶然以外の理由があると?」
「そう。例えば運命の赤い糸が二人を引き合わせた……とかね」
玉川がしたり顔を見せる。仕事に忠実な彼でもどうやらユーモアを持ち合わせていたようだ。
別れによる傷心が癒えてないはずなのに、泰介はなぜだか笑わずにはいられなかった。
「ははは。ロマンのある話だ」
「信じるか信じないかは君次第。とだけ言っておこうか」
「信じますよ。だって──」
一夏の恋は淡く、儚く散っていった。
それでも泰介は晴れやかな顔をしていた。胸には潔く、前向きな気持ちが残っている。
「──またねって言いましたから」
心の清涼感。それは向こうの世界の美桜との決して切れない縁の糸に違いなかった。
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