第7話 誰かを想う『呪い』
天井が高い、ドーム状の部屋。そこに鉄骨が剥き出しの昇降機があった。次元エレベーターだ。
玉川曰く次元移動装置として最適な形がエレベーターであり、似せているだけだという。骨組みのみなのはそうした理由もあるようだ。
天寧は鉄骨の檻の中にいる。不安げな顔でも、安らかな顔でもない。強いて言うなら覚悟を決めた顔だと優は感じた。
「最後に伝えておきたいことはないかい?」
「ありません。伝えたいことは全て物語に乗せましたから」
優は表情を崩さず、玉川に対して即答した。いささか名残惜しさはあるが、それは言えない。なんの後腐れなく送り出さねば。この場にくる前からそう決めていた。
「あのー私からいいですか?」
しかし、そこで待ったをかけたのは天寧だった。いつものように間の抜けた声で割って入ってきた。
「どうぞ。まだ設定に少々時間がかかるからね」
「ありがとうございます」
鉄檻の中で深くお辞儀をしている。そんな彼女の様子を見ながら、優はエレベーターの方へと近づく。ギリギリの境界線まで歩みを進めた。
「なんだよ、今さら。『まだここにいたいよー』って言ったって俺は送り出すからな」
皮肉るように姉の声真似をした。
──あんなに再会を願っていたのに……今は帰れって。わがままだな、俺。
その皮肉は彼の心の成長の表れでもあり、精一杯の『強がり』だった。もう大丈夫だと安心させて帰したかったのだ。
「そんなこと言わないよー! ちゃんと優くんの言葉は届いてるって」
「じゃあなんだよ?」
「ほら……優くんは物語で私に想いを伝えてくれたけど、私はなにも伝えてないなーって」
「な、なんだよ。そんなことかよ。小説の感想だけでも充分なのに」
いざ面と向かって言われると照れ臭い。優は思わず目を背けてしまう。
「そうかもしれないけど、最後だから言わせて」
「うん」
「ありがとう、優くん。私はこっちの世界の優くんと出会えて幸せだった。勇気と希望をもらえた」
「それは……俺だってそうだよ」
やはり天寧の顔は見れなかった。目の奥底から熱いものがこみ上げてきたからだ。
──泣かないって決めてここにきたのに!
笑顔で送ろうと思った。別れ際に悲しみの涙は浮かべないと誓った。なのに溢れてくる。
「微妙に違うお姉ちゃんだけど……優くんにとっては待ち望んだ再会だったんだよね。なのに心配かけてごめんね。気遣いばっかりさせちゃってごめんね」
「それはお互い様だろ! こっちにきた瞬間、俺の心配しやがって!」
「あはは……それもそっか。やっぱ姉弟だねー」
姉弟で同じことを思っていたと考えれば考えるほど涙が止まらない。溢れさせないように優は上を向く。
「そうだよ。姉弟なんだから気にすんな! 支え合ったり、頼みを聞いたりするくらい朝飯前だって」
「そう言われると嬉しくて泣けてきちゃうなー」
天寧の言葉を聞いた瞬間、スッと腑に落ちた。なぜ自分が泣いているのか。その理由を。
「ああ、俺も嬉しくて泣いてたんだ。この一週間の奇跡がたまらなく愛おしくて泣いてたんだ」
優は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
相談して、また楽しんで小説を書けるようになった。無我夢中で駆け抜けて、逃げずに希望と向き合うことができた。そんな自分の成長のそばに最愛の姉がいたのが、この上ない喜びだった。
「優くん?」
「俺もまたあま姉に心配されて嬉しかった……! 楽しかった……! 俺の作品を変わらず愛してくれてるってわかって心強かった! ありがとう! この思い出があれば、俺は前向けるって……今なら思える!」
悲しみは一切ない。惜しんでの涙ではない。どこにいたって姉は自分を見守っていてくれる『希望の光』だ。
だからこそ優はぐちゃぐちゃな顔で天寧と向き合った。これはなにも恥じることのない涙なのだ。強がりの笑顔なんていらない。
「前向ける……か。今の優くんになら言っても大丈夫だよね」
自問自答するかのように低いトーンで天寧がつぶやいた。よく聞こえず優は「え?」と尋ね返してしまう。
「最後に優くんを信じて『呪い』をかけてもいい? かけられたら最後、あなたは死ぬまでその『呪い』に立ち向かわなくちゃいけません」
これから伝える言葉の重さを和らげたかったのだろう。天寧はキャラクターを演じるような口ぶりだった。
きっと『呪い』というのは誇張なのだ。それになんとなくだが、内容は想像がつく。
「仰々しいな。まあ最後だからいいよ。言って」
「私がいなくなった後も小説を綴り続けて欲しい。もうこっちの優くんの新作は読めないけど……それでも新しい小説が生まれるのを願ってる。応援してる。だからどんなにつらい現実に打ちのめされても、立ち上がって欲しい」
天寧の『呪い』。それは優に『これからも作家和泉勇矢として生きるのを誓うこと』だった。
絶望して楽になることは許されず、希望を抱いたまま苦難に立ち向かう。残酷で純粋な願いであるが故に、彼女はそれを『呪い』と形容したのだろう。
想像していた通りのものだった。ずっと逃げたくて逃げたくて仕方なかった『希望という名の│呪い《spell》』だ。
「やっぱり。本当に酷い『呪い』だな、それ」
「だよねー。でも『頼みを聞いたりするくらい朝飯前』なんでしょ?」
「ははは、参ったな」
「私の『呪い』、受けてくれる?」
いつかと同じ、優に茨の道に進むことを強いる言葉だった。だが、今の彼が重荷に感じることはなかった。なぜなら──
「受け取るよ。だって一番のファンが俺の新作を期待していてくれるんだからな。応えなくちゃ、作家失格だろ。失くさず、死ぬまで大事にする」
ずっとわからなかった答えを得たのだから。どこにいても、どんな形になっても天寧は優を応援している。その事実があれば、もう迷わない。あの時言えなかった答えを今、返す。
それとは別に、彼にはどうしても納得できないことがあった。
「その代わり! 同じ『呪い』をあま姉にも受けてもらうからな! 打ちのめされても諦めないで絶対立ち上がれよ! 約束だ!」
自分だけ呪われるのは不公平だと思った。信じていないわけではないが、『呪い』にして繋ぎ止めたかった。離れていても、姉弟揃って同じ『希望を持ち続けるという呪い』にかかっているのなら心強いはずだ。
「そうだね。私もだよね。うん、わかった。じゃあ約束」
天寧は鉄檻の中から手を差し出してきた。小指一本だけが立っている。
振り返って玉川を見遣る。彼は無言で頷いていた。最後に近くに寄って約束を交わしても大丈夫なようだ。
そうして二人の小指と小指が交わり合う。
「ゆーびきりげんまん嘘ついたら針千本のーます! 指切った!」
楽しそうに朗らかに彼女は歌い上げた。あまりに自分たちのやりとりがあどけなさ過ぎて、優は妙に小っ恥ずかしくなる。
「小学生かよ!」
「最後なんだしいいじゃん」
「まあ、いいけどさ」
「玉川さーん! 話終わりましたー! いつでも大丈夫です!」
彼女の快活な声を聞きながら、優は玉川のもとへと戻った。いよいよお別れの時だ。
これ以上、交わす言葉はいらない。『
「転送開始」
玉川が指示を下すと、昇降機から光が溢あふれ出した。直後、天寧の姿はなくなっていた。瞬きをする間もない、あっけない旅立ちだった。
取り残されたのは玉川と優だけだ。
「玉川さん。どうして一週間待ってくれたんですか?」
優の口から疑問がついて出た。彼自身、意識して言ったつもりはない。さっきまで話していた相手が時空の彼方に消え、なんとなく玉川に話しかけてしまったのだ。
「君たちの出会いも必然だと思ったんだよ」
「偶然にしてはでき過ぎていると?」
「ああ。だから少しだけ考えが変わったのかもしれない。私の役割はなんだろうって」
「大変な仕事ですね」
「それは君もだろう? 綴り続けることを呪われた作家くん」
玉川のユーモアが妙に心地よく心に響いた。自分も彼も茨の道を歩む宿命なのだ。そう思ったら笑わずにはいられなかった。
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