エピローグ いつかその日が訪れようとも

 ──犬が大好きだ。一緒にいると笑顔になれる。幸せをくれる。だから……今度はお別れするその日までしっかり向き合うって決めたんだ。


「今日もいい天気」


 出勤前の早い時間。ベランダに出ると、涼しい空気が鼻腔をくすぐる。その時間がいつの間にか二人の中で定着していた。


「外に出るのにうってつけだね。そう思わない?」


 大人になった彼女は振り向いて声をかける。首輪型の翻訳機を身につけた白い子犬がいた。

 子犬は口を開けて微笑みながら『お座り』をしている。出会った時から落ち葉のように欠けていた舌。それは偶然の一致などではなかった。


『うん!』

「よし、散歩いくよ!」

『いく!』

「よしよし!」


 彼の頭を撫でる。ふわふわとした毛並みが心地よく、ずっとこうしていたいと思った。しかし時間を忘れて触っていられるほど、余裕はない。

 二人は散歩へ赴くためにエレベーターを待つ。出会いのきっかけであり、別れの発端であるものを。


 ──いつかその日が訪れるかもしれない。私からまた奪っていくかもしれない。だけど……


 智紗都の中にもう恐怖はなかった。どんな時も一生懸命向き合って、後悔しない。例え別れがきても、過ごした時間は無駄にはならない。時間は思い出となり、自分を支えてくれるのだ。

 エレベーターの扉が開く。二度と後悔しない。智紗都はリードを強く握り締めた。そして一言……声をかける。


「ありがとう、ティーダ。これからよろしくね」


 智紗都とティーダの生涯はここから始まる。

 二人が出会ったのは、あれから桜が七度散った春のことだった。

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