第2話 迷える心

 喉が痛いと感じたのは何年ぶりだろうか。思い返してみると、最後にカラオケに入ったのは大学生の頃だった。もう一〇年近く前だ。

 奏多が歌った曲は玉川の十八番おはこだった。誰しもテンションを高める楽曲の一つや二つはある。仕事人間でも例外なくそれはある。

 歌わないつもりだった彼は奏多の選曲で火かついてしまったのだ。結局最後は交互に歌っていたことを思い出すと「なにやってるんだか……」と独り言ちた。

 喧騒けんそうにかき消されて、後ろには聞こえていないのだろう。彼は物珍しそうに駅前の風景を眺めているだけで、こちらには見向きもしなかった。


「君の世界とここはだいぶ違うかい?」


 そんな言葉がついて出た。玉川の中に迷いが生じていたからだろう。奏多の世界に少しばかり興味を持った。


「まあ割と違うッスね」

「じゃああれは?」

「あれはこっちにもある」

「やはりこれだけは変わらずあるんだな」


 二人が眺めていたのは駅前にある金属棒をウネウネとさせたオブジェであった。

 過去の並行世界にも、同一時間軸の並行世界にも……そして未来の並行世界にも変わらずあるようだ。なにか意味があったような気がするが、玉川は詳しく知らなかった。


「けどもうすぐ取り壊すことになるらしいッスよ?」

「なんでだい?」

「さあ? どうだったかなー怪奇現象が起こるようになったとか?」

「私をおちょくっているのか?」

「なにせこっちでは六〇年近くあるわけッスよ? その間ずっと待ち合わせの目印として使われてて、もはや待ち合わせ場所の御神体みたいになっててもおかしくないんじゃないですかねー」


 そんなに長い間存在しているのかと玉川は感嘆する。この場で待ち合わせをする人々を見守ってきたオブジェ。玉川も園子とデートの待ち合わせをする時に利用した覚えがある。奏多が言っていたこともおかしくないように思えてきた。


「このオブジェを見たらやっぱり安心するのかな? 自分の世界と変わらないものって」

「どうッスかねー? 俺はほら、自分から望んできてるから。見慣れたものがあろうが、なかろうがあまり関係ないっていうか」

「そうか……」

「なんでそんなこと聞くんッスか?」

「いや、それは……」


 小林美桜のケースを思い出して話を振ってみたが、深入りし過ぎたと思った。以前なら問答無用で送還していただろう。ついに迷いが表面に現れていた。


 ──本当にこのままでいいのだろうか? 使命と信じ、今の仕事を全うするだけで。


 そう思った矢先、思わず尋ねてしまっていた。


「この世界にいたいと言ったな、君は」

「え?」

「私の監視下という条件つきでなら猶予を与えてもいい。ただし、怪しい素振りを見せたら速攻で送還するから」


 自分が変わったらどうなるのか気になってしまった。命令を粛々と遂行する自分から脱却したらどうなるのか。

 もし、漂流者に寄り添うやり方が間違っているのならそれはそれで構わない。失敗という経験が得られるのだから。


 ──けれど、このままどちらが正しいか知らなかったら? この先も自分で『選択』することを放棄したら? なにも考えずにただ職務を全うするだけじゃ善悪はわからない。


 これまで出会ってきた三人に入れこみ過ぎたのか。はたまた奏多に親近感を覚えてしまったからか。

 どちらにせよ、本当に自分の職務が正しいのかどうか確かめたくなった。疑念と同時に別の可能性への興味をいだいたのだ。


「是非! お願いしますッス!」


 奏多は人目もはばからず、全力で頭を下げていた。


「しょうがないな。それじゃあ……」

「それじゃあ?」


 そこまで口にして玉川は気づいた。具体的な案をなに一つ考えていなかったことを。らしくないことに、完全に思いつきで行動していた。自分で選択することによほど慣れていないらしい。

 漂流物対策課で寝泊まりさせることも考えたが、とても住居として使えるところではない。監視するとなれば、玉川も居座る必要がある。必死に考えるが出てきた選択肢は一つだけ。


「私の家にくるかい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る