第1話 謎の青年
駅前の繁華街にはビル全てがカラオケボックスとなっている店がいくつかある。そのうちの一つがパラレルシフトのアラート発信地点だった。
「市役所の職員の玉川というものだ。通報を受けてやってきたのだが……不審な人やものを見なかったかい?」
受付の若い男を問い詰める。見せたのは『漂流物対策課』の表記がない対外用にでっち上げた名刺だった。加えて通報なんて受けていない。全部虚偽だ。
──私は嘘に塗れて仕事をしている……
玉川は途端に陰りのある面立ちになった。
「さ、さぁ? いきなりそんなこと言われましても……」
「どんな情報でも構わない。今から一五分前、なにかおかしなことはなかった?」
「一五分前……受付にいましたけど特になにも……」
店員には全く見当がつかないようだった。簡単に見つからないのは理解していたが、思わず玉川の口からため息が漏れる。即座に漂流物を確保、送還して報告書に向き合いたかった。けれど、そうは問屋が卸さないようだ。
「あの……!」
受付付近のシートに腰掛けていた青年が声を上げた。普通のボリュームで喋っていたため、店員との会話は筒抜けだったのであろう。しかし玉川にとっては渡りに船でもあった。
青年は学ランを着崩した高校生だった。中には赤いパーカーを着こんでおり、運動部に所属しているような活発な印象を受ける。
「君、なにか知ってるのかい?」
「えっと、ちょっと大きな声では言えないんッスけど……」
青年はそう言って口のそばで平手を立てた。耳打ちしたいということだろう。玉川は彼の意図を汲み、耳を近づける。
「それ俺ッス。パラレルシフトした人探してるんっしょ?」
思わず目を見開く。まずは自分の耳を疑った。『パラレルシフト』という言葉が出てくることは予想していなかった。
「どうしてそれを……!」
「声、声!」
「す、すまない」
「この話あまり人前でしない方がいいんッスよね? だったら場所変えません? カラオケボックスなら防音ですし、誰にも聞かれないッスよ」
物腰柔らかな青年だがどこか掴みどころがない。ペースを乱されている気がした。だが言い分には一理ある。
「すまないが空いている部屋に通してくれないかな? もちろん料金は払う」
「お時間いかがいたしますか?」
「あ、じゃあ三時間でよろしくッス!」
「三時間で構わない」
「ありがとうございます」
いささか長いような気もしたが、青年の目的を聞き出すためだ。どうせ経費だと玉川は割り切る。取調べが終われば早めに出ればいい。
そうして伝票を受け取り、見知らぬ高校生とカラオケボックスへと入った。
部屋へ入るや否や、玉川はカラオケ機器のボリュームをオフにした。歌いにきたのではない。あくまで取調べだ。
視界の隅で青年の顔が歪んだように見えたが、理由はよくわからなかった。理解する必要もない。彼は送還対象でしかないのだから。
「ドリンクバーだ。好きなものを取ってくるといい」
「ありがとうございます!」
青年は二つのグラスを奪うように取ると駆け出していく。
「いや……自分の分は自分で決めたかったのだが……? せめてなに飲むのか尋ねるとか……」
時すでに遅し。玉川の言葉は独り言となって
数分して青年が戻ってくる。玉川は持ってきた飲み物に釘づけになった。コーラとミルクティーだ。しかもホットではなくアイスである。
「ミルクティーでよかったッスか」
「あ、ああ。ありがとう」
ぎこちない感謝の言葉を青年は満面の笑みで受け取っている。不思議な青年だと玉川は思った。自分が飲みたかったものを見事に持ってくるとは。
「どうかしたッスか?」
「いや、なんでもない。早速だが本題に入りたい。名前を教えてもらってもいいかな?」
「春川奏多。一七歳ッス。市内の高校の……って言ってもこっちの世界じゃ通じないのか」
「学生証は?」
「学生証……財布にあったかなぁ……? うーん、ないッスね! すんません」
「まあ、いいよ。もといた世界は未来の並行世界か? それとも過去の並行世界からきたのかい?」
「もといた時代は……多分、今から一〇年以上後の未来ッスねー」
席に座った奏多という青年はハキハキと自己紹介をしていた。自分が並行世界にいるという自覚がある割には緊張感は皆無だった。
それからしばらく彼は好き勝手話し続けた。主に自分のことを話しているのだが、内容が右往左往する子どものような喋りだった。話を聞いてもらえるのを喜んでるかのように思えるほどだ。
一通り聞き終えた玉川は一番大事なことを尋ねることにした。
「どうやってパラレルシフトを知った? 意図的にパラレルシフトを起こしたのか?」
「いやぁネットのオカルト掲示板に書いてあったんッスよーエレベーターのボタンポチポチしたら異世界にいける、パラレルシフトできるって」
「それは私も知っているが……あれは偶発的な要因もあるはずだ。そもそも意図的にパラレルシフトが起こせる方法が確立しているとは思えないのだけどね?」
「そうなんだ……知らなかった」
玉川は呆れて肩を竦めたくなった。まさか未来でもあのオカルトネタが浸透してるとは。なによりパラレルシフトのことまで認知されているとは思わなかった。
「それで……面白半分で行ったのか?」
「いや違うッスよ。ちゃんと目的があってやりました。正直上手くいくかは賭けでしたけど」
「そこまでした目的はなんだい? なにが君を突き動かした?」
奏多は押し黙った。躊躇っているというよりかは言うつもりがないようだ。玉川は促すように言葉を継ぐ。
「だんまりか」
「目的は言えないッス」
「言えないって聞いて『はい、そうですか』と滞在を許可するわけないだろう」
「言ったら許可するわけでもないッスよね?」
今度は玉川が閉口してしまう。ヘラヘラとしているように見えて
「一つ言えるとしたらこの世界にいたいってこと……ッスかね?」
「漠然とした目的だな」
返答はあっけないもので、嘆息が漏れる。
とはいえ頑なに喋らない意思は見てとれた。危険人物かもしれないと警戒するに越したことはないだろう。
──それでいいのか? 私の職務は本当にそれでいいのか?
疑念を払うようにかぶりを振った。漂流物でも漂流者でももとの世界に帰す。それが最善のはずだと言い聞かせる。
「話はわかったが、君は自分の世界に帰るべきだ」
「そうッスか……どうしても?」
「どうしてもだ」
「あ、じゃあ最後にわがまま言ってもいいですか?」
奏多はあっけらかんとしていた。駄々をこねることもなく、まるで言い分を聞いてもらえないことを想定していたかのようだ。
「なんだい?」
「まだ時間ありますし、歌っていきません?」
まさかの返答で空いた口が塞がらなかった。異世界でカラオケをしたがるとは夢にも思わないだろう。
呆然としながら考える。けれども断る理由が出てこなかった。ここで奏多が歌ったところで影響を受け、記憶してしまうのは自分だけなのだ。異世界人を幾人も見てきた玉川にとって特殊な記憶が増えるのは
「満足して帰るならそれでいいよ。支払った金は返ってこないしね。気が済むまで一人で歌うといい」
「じゃ、お言葉に甘えてまして!」
彼は意気揚揚とマイクを手に取った。その姿は年相応の子どもそのものだ。
しかしモニターを見た次の瞬間、玉川は目を疑った。
──どうしてそれを歌う?
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