第2話

 猫相手でもグチをこぼすと気分が楽になるみたいだ。ビールを飲みながら頭の中でモヤモヤグルグルと重く汚いイメージが再生されていたのが、いまは消えた気がする。ティッシュの箱に手を伸ばして、ティッシュで鼻をかむ。涙も拭う。猫の体に落ちた涙も拭いてやる。濡れたままは気持ち悪いだろう。ゴミは床に転がしておく。

「きみ、名前はなんていうの?」

 頭をもちあげて見つめてくれるけれど、名前を教えてはくれない。

「そう。ケチだね。じゃあ、わたしが勝手につけちゃうよ?そうだなー、黒猫だからプルートかな」

 プルートが瞬きする。承認の意味ということにする。

「よし、プルート。わたし、ラーメンつくるね」

 すきっ腹にアルコールをいれてさらに食欲が増したらしい。といっても、食べたいものはラーメンだ。われながらオッサンかとツッコみたくなるけれど、しかたがない。体が欲しているものがラーメンなのだから。

 プルートを膝から降ろして立ち上がったけれど、立ち上がりざまに部屋の角に置いたフロアランプをつけたら、とたんにメンドクサくなってしまった。具はなしにして、袋めんを鍋で茹でてドンブリにあけるだけで済ますことにしよう。

 ベートーベンの交響曲を聴きながら、床にすわって具のないラーメンをすする。なんというか、わびしい。膝の上にプルートをのせていることだけが救いだ。

 食後のアイスのお供にするコーヒーをいれる。コーヒーはペーパードリップでいれている。フレンチプレスとかネルドリップなんかにも興味があるのだけれど、粉の後始末を考えるとペーパードリップに軍配が上がる。お湯をサーバに差して粉を蒸らす段になったら、足元にいたプルートがふわっとキッチンにあがってきた。狭い場所でもマグカップやコーヒーサーバを倒したりしない。ヤカンからドリッパにお湯を落とすのを鼻をつけんばかりに見つめる。コーヒーをいれるのが珍しいのかもしれない。ドリップが終わってマグカップに注ぐ。サーバに鼻をちかづけて匂いをかいでいる。

「プルートはコーヒーが好きなの?」

 上の棚から小皿をとり、コーヒーをスプーンですくって少しだけいれる。猫ってコーヒー飲んでも大丈夫なのかな。おっと、プルートが場所をとっているから皿の置き場がなかった。

「はい、床に置くから。降りてここで飲みなさい」

 わたしが猫語を話せないことはもう分かったのだけれど、もしかしたらプルートは日本語がわかるのかもしれない。床におりて小皿から立ちのぼる香りを楽しんでいる。そしてチロリ。ちいさくて赤い舌をだして、コーヒーの液をなめた。プルートの舌、かわいい。でも、わたしのいれたコーヒーはお気に召さなかったらしい。一度口にしただけでオーディオの正面にもどってしまった。ちぇっ、かわいい舌をもっと見せてくれてもよかったのに。

 わたしもカップに注いだコーヒーを試飲する。うん、酸味が強くてコーヒー豆本来の味がだせていない。わざわざコーヒー専門店でブラジルという銘柄のコーヒー豆を買ってきたというのに。ブラジルの特徴は苦みが強く、酸味が少ないなのだ。わたし好みのコーヒーが楽しめるはずなのだけれど。いれ方か。

 コーヒーをいれているうちに音楽が終わってしまった。つぎはアイスを食べながら映画を観ることにする。

 寝ころがって観たいから、寝室から布団を運んできた。映画のタイトルは「インディージョーンズ」だ。三作目の「最後の聖戦」。これがいまの気分にあっていると思う。三作目はショーン・コネリーがインディーのお父さん役で出演していて、コメディ要素を担っている。シリーズの中では、三作目と一作目の「レイダース」が好きだ。

 エアコンをつける。布団にあぐらをかいてプルートをのせる。背中は毛布をかぶる。コーヒーのカップは布団の横の床に置いてある。アイスは手から離さない。先にやわらかくなる周囲からスプーンで削りとるようにアイスをすくって口に入れる。嫌なことがあったときはこれくらい自分を甘やかさなければ人生を生きてゆけない。

 アイスが食べ終わって、カップとスプーンを床に放置する。映画が見終わってから片付ければよい。布団に横になって首まで毛布にはいる。プルートも頭だけだしている。さっきから一緒に映画を観ている。字幕で再生しているから、プルートは英語がわかるのかもしれない。まさか日本語字幕が読めるということはないだろう。プルートのぬくもりを胸に感じる。酔いも手伝っているのか、男の人と毛布にくるまっているような錯覚を抱く。なんだかとっても心地よい。

 気がつくと映画は終わっていた。メニュー画面になっている。部屋の中にプルートは見当たらない。好きなときに帰れるように窓を少し開けておいた。いまは風がはいってきて、カーテンを膨らませている。布団から這って行って窓から頭を出す。ベランダにプルートの姿はない。隣の部屋との仕切りは下に隙間がある。猫なら難なくくぐっていけるだろう。でも、念のためベランダに出て下の道路をのぞいてみる。街灯に照らされているから、もしプルートが転落して死んでいたらわかるはずだ。大丈夫、プルートは自分の家に帰ったはずだ。

 ベランダの手すりづたいにやってきたのだから、同じ階の住人が飼っているのかもしれない。といいたいところだけれど、このマンションはペット禁止だ。どこからやってきたのだろう。この階の住人が知り合いから一時的にあずかっただけとか?再会できる見込みはあまりなさそう。残念だ。

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