第27話

 ひとつ息をついて、ここで休憩だ。コーヒーを飲む。

「コンサートに誘われたんだ」

「手術のあと、クラシックのコンサートチケットを探してました。ベートーベンの交響曲がないとボヤいてました。ブラームスで妥協したみたいです」

「そう、ブラームス交響曲一番。でも、一緒に聞いたリストのピアノ協奏曲の方が、わたしは気に入ったんだ」

 平文くんが机に置いているデスクトップパソコンにディスクをいれてマウスで操作した。しばらくして机の両サイドの棚にあるスピーカから、リストのピアノ協奏曲一番が流れ出した。

「平文くんもクラシック聴くんだ」

「安藤と一緒です。メタルが一番好きだけど、クラシックも聴きます」

「じゃあ、平文くんもエロいティーシャツ着るの?」

 平文くんのイメージとちがう。

「エロいティーシャツってなんのことですか」

「安藤くんが着てたの。全裸の女の人が四つん這いでこっち見ていて、銃弾のベルトを首からさげてるやつ」

「ああ、スリーインチズ・オブ・ブラッドです。おれはもってません。恥ずかしくてああいうのは着る勇気ありません。メタルと一口にいっても、メタルの中にいろんなジャンルがあるんです。安藤とは好きなジャンルがちがいます」

「へー、同じメタルでもちがうんだ」

「メタルの世界もデカくて、細分化されてます」

「やっぱり、ハーデースがきたときにベートーベンかけてたから、コンサートに誘ってくれたんだよね。不思議だ」

「本当です」

「ほかにも、会社の先輩にしつこく誘われてたのも知ってたみたいだし。会社にきて、先輩を睨みつけて」

「その後はどうですか?」

「うん、誘ってこなくなった」

「男には自分を頼りにしてくれる女性が必要なんです。安藤は芽以さんの役に立ててうれしかったはずです」

「そのあと、ソファの件でケンカして連絡取れなくなったんだ。入院してたんだよね」

「ガンが再発して、再手術を受けました」

「わたしには、卒業研究の実験をやり直して過労で倒れたっていってたんだよ?」

「そうでしたか。そのときは、もう長くないってわかってました。ショックを与えたくなかったのでしょう」

「平文くんとハーデースを紹介してくれた」

 複雑そうな顔をしている。ふたりの間でなにかあったのだろう、わたしに関して。本人にいえないことが。

「あとはまあ、お互い知ってるわけです。脳にも転移していたらしくて、再手術のあとは幻覚が見えるようになったといいました。おれの誕生日のときは、そのせいで芽以さんを怒らせてしまったと」

 サトミちゃんが推測した通りだった。脳に病気をもっていたのだ。そのせいで幻覚が見えていた。

「だってね、手術中に危険な状態になってハーデースにのりうつってたとか、夜に虹が見えるとかいって、わたしに見えない猫をなでてたりしたんだよ?からかってるとしか思えないじゃない。もうすこし冷静になって話を聞いてあげればよかったんだけど、この服のことでもプリプリしちゃってたから」

「芽以さんに入院してたんですっていったら、知ってるみたいだったから、病気のこととか手術のこととか知ってるんだと思ってました」

「ああ、そっか。わたし入院の話安藤くんから聞いてるっていったね。過労で倒れたっていうから、点滴打ってベッドに寝てるくらいの入院を想像してたけど」

「そう思うように安藤が誘導してたんです。ずる賢いやつだ」

 まだ安藤くんがいて、すぐ隣で聞いているような、反論してくるのを待っているような、そんな話し方だ。

「あいつ最後に言ってました。死ぬのは怖くないんだと。死ぬときにまたハーデースにのりうつって、芽以さんに会いに行くんだと。芽以さん怒らせちゃったけど、ハーデースなら思いっきり甘やかしてくれると。自分では信じてたんです。臨死体験みたいの」

 平文くんは信じていない。理系だから信じられないのも無理はない。でも、きたよ。安藤くんは確かにハーデースになって、わたしにお別れしにきてくれた。いまさらそんな話をしても仕方ない。わたしは微笑みを返して済ませた。

 たった、七回しか安藤くんに会うことができなかった。簡単に全部思い出せる。もう回数が増えることはない。

「明日暇ありますか?安藤の実家にいってみませんか」

 平文くんがレンタカーで安藤くんの実家に連れて行ってくれるという。

「そういえば、はじめてうちにきたとき、安藤くん引っ越しするっていってたね」

「病気療養で、卒業研究の実験終わったら実家にもどりました。就職はあきらめてました。あとは論文にまとめるだけだったから、添削、修正のためにだけ実家から大学にきてました」

「どうなったの?卒業論文は書けたって?」

「はい、あいつ真面目だったから。あとは修正だけというところまでくればいいんじゃないかと思うところですけど。指導教官のオッケーがでるまでやるといって、どうにか完成させてました」

「そう、それはよかった」

 わたしは関係ないのに、ほっと胸をなでおろした。クソ真面目な平文くんに真面目って評価されていたのが意外だ。安藤くん、裏では真面目なやつだったのだ。優秀な理系の大学に通っていたのだから、当たり前か。

「芽以さん、安藤のこと」

 うん、とうなづいた。

 コーヒーを飲みきって、リストも終わって、また明日といってわかれた。安藤くんの実家に電話で了承をとってくれて、朝マンションまで迎えにきてくれることになった。

 ハッキリすべきことがハッキリして、安心というのもおかしいけれど、気分が軽くなった気がした。夜は久しぶりにすぐ眠りにつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る