第19話

 こんなの着た姿を安藤くんの前にさらさなければならないなんて、拷問か?でも、ソファの件では悪いことをしたかなとは思っているし、入院していたことを知らなかったとはいえ、病み上がりの体にボディブローを決めてしまったし、負い目がある。これは乗り越えなければならない試練なんだと思うしかない。

 試着してみると、ライトブラウンのカーデガンにスカートが黒というのは悪くない。スカートを同系色のダークブラウンにしないといけないかと思ったのだけれど。でも、思った通り、わたしがこのファッションをするのは犯罪に近いものがある。こういう服は生身の人間が普通に着ていいものではない。マネキンか、コスプレとして着るべきものなのだ。あいにく、わたしにコスプレの趣味はない。

「着替え終わりました?」

「着るには着たけどさ」

「じゃあ、開けますよ?」

「ダメダメダメダメダメッ」

 安藤くんが試着室の外でカーテンを開けようとするのを、内側から抵抗して開けさせない。

「どうしたんですか。着替えたんですよね?」

「ううん?ううん?まだちゃんと着替えてなかった」

「ウソですよね?どうかしました?」

 どうもこうもあるかい!つい安藤くんに根負けしたみたいになって試着までしてしまったけれど、冷静になれば、やっぱり絶対嫌だと言って断ることもできるのだ。そのときは諦めると言ったよねと言って押し通すことだってできるはずだ。

「やっぱりイヤ」

「せっかく着たんですから、一目だけでも拝ませてください」

 さっき十分拝んだではないか、わたしのことを。

「そうだ、じゃんけんで勝ったら見せてくれるっていうのはどうです?」

「イヤ」

「じゃあ、上だけ」

「イヤ」

「下だけ?」

「ヘンタイ」

「頭だけ」

「イヤ」

「なんで頭だけでダメなんですか」

「勢いで」

「もう、お店の人がこっち見てるじゃないですか。開けますよ」

 いうが早いか、安藤くんはシャッと音をさせてカーテンを開けてしまった。恥ずかしくてしゃがみこむ。

「やめてくださいよ。罪悪感があるじゃないですか」

 手をさしだしているけれど、その手にはのらない。わたしはいやいやをする。

「ぜんぜんいいじゃないですか。似合ってますよ」

 ううん。ううん。絶対そんなことない。安藤くんの言うことなんて信じない。

「このあと帰りにおいしいもの食べていきましょう。ね?楽しみなことがあると、恥ずかしくても元気がでるでしょう?」

 わたしはカーテンをまた閉めようと思って手を伸ばしたけれど、安藤くんがカーテンを開けて押さえたままだったから、手が届かない。

「そうやって、恥ずかしがってる姿の芽以さんもいいですけどね」

 なんの拷問なの?これは。言葉攻め?

「お客様、いかがですか?」

 カーテンが開いたものだから、店員がこちらにやってきてしまった。

「あのー。申し訳ないんですけど、スカートを床につけるのは」

「え?すみません」

 ダメなことなの?スカート汚れちゃう?シワがついちゃう?そんな話はじめて聞いたんだけれど。試着して床にすわりこむ客というのもそうそういないから?安藤くんを見上げる。

「涙目じゃないですか。かわいすぎます。さっ」

 腕をとって立ち上がらされてしまった。

「こっちの外の鏡で合わせてください」

 安藤くんと店員に導かれて、つい靴をはいて試着室をでてしまう。しまった。この店員、安藤くんとグルなのだ。

 イヤー、見ないで!見たくないってば!

「あのー、芽以さん。もう諦めましょうよ」

 わたしはカーデガンを前でかきあわせ、スカートの裾をしたに引っ張っている。

「それに、このカーデガンの着こなしは、こうです」

 わたしの手ははがされ、カーデガンは一番上のボタンをとめてのこりをはずされてしまった。この共犯者!と見ると、この店員はほとんどわたしとかわらないファッションで、カーデガンとスカートのコルセットにはさまれて大きな胸が強調されていた。自分の胸を見下ろすと、カーデガンの前身頃がたいした邪魔をされずに体の前にたれていた。普通の胸をした人間はするべき着こなしではない。殺して。

 安藤くんと店員にいいくるめられ、とにかくひと揃い買うことにしてしまった。どうでもいいから早く着替えたかった。スーツ姿にもどってやっと人心地ついた。

 店員が服をたたんで包装してくれている。店内では閉店の放送が流れ出した。

「約束どおりプレゼントしますね」

「いいよ、働くお姉さんが学生に買ってもらうなんてわけにはいかないよ」

 わたしの顔を見つめて、なにやら考えごとをしているみたい。見つめてはいるけれど見てはいない。

「じゃあ、おいしいもの食べに行くんでしょ?ごちそうになるから」

 さらにわたしの提案を吟味しはじめたのだろう。まだ心ここにあらずな感じでこちらを見つめている。わたしのこと見てないと思っても恥ずかしくなってしまう。

「ピザです」

「え?」

「おいしいもの。ワインにピザ。いいんじゃないですか?」

 今日は飲みすぎてしまいそうな予感。

「うん」

 安藤くんの共犯者にお金を払い、駅で電車に乗った。乗り換えなしで帰れる路線だった。

 安藤くんがいっていたピザというのは、地元の商店街にあるピッツェリアのことだった。通勤時に前を通るからよく知ってはいたのだけれど。店の外で客がならんでいることがよくある。評判のいい店のようだし気になっていた。なんだ、充実しているじゃないか、この商店街。ひとりで贅沢な食事をする気にならず、この店にはいるのははじめただった。金曜の夜のことで、やっぱり店の外で待たされた。

 イタリア産の赤ワインでナポリピザを食べる。わたしはあの生地の薄いナポリピザが好きだ。薄いのにもちもちしている。チーズとソースと生地の混ざり合った絶妙なハーモニーを楽しむ。赤ワイン。刺激のない丸い印象で、コクがある感じ。ワインの味なんてわかるはずもないわたしでもおいしいと思う。さっきまでのファッションテロ被害者のわたしから、お忍びで町にくりだした貴族のお姫さまのわたしに生まれ変わった気分だ。きっと前世はどこかヨーロッパの町の領主の娘だったにちがいない。いまのわたしが魂にシックリくる。お付きの若い男が笑いかけている。

「今日買った服、明日着られますよね。また十一時に駅の改札のところで待ち合わせしましょう。安心してください。またヘーブンの家に行くだけです」

 すべてははかない夢だった。心も体もズタボロになったわたしの夢想でしかなかった。わたしはやっぱりファッションテロ被害者にすぎない。なんとかテロから逃れるすべはないものか。

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