夜空にかかる虹と解決3

第20話

 すべての連絡を無視することにした。ワインを飲み過ぎて頭痛がする。体中がダルい。ケータイの着信もメールも無視した。食欲がなくて、朝から水分しかとっていない。もう昼近くだと思うけれど、わたしはまだ布団にもぐりこんだままだ。

 昨夜のピッツェリアで、安藤くんはピザもワインもあまり手をつけなかった。体調がまだもどらないのかもしれない。食欲がないといっていた。おかげでわたしはお腹いっぱいのピザにほとんどボトル一本分のワインを消費してしまったのだ。あんなにたくさんのワインを飲めたなんて、信じられない。あのワインの味は罠だったのだ。わたしはアルコールに強いほうではない。缶ビール一本で十分に酔ってしまう。きっと処理能力を超えてアルコールを摂取したものだから、わたしの体はまだ残業してアルコールに対処しているに違いない。まだ深夜残業中だというのに、世界はわたしを置いてけぼりにして昼近くになろうとしている。ちょっと待ってよともいいたくなるというものだ。布団をかぶって、ちょっと待ってよと呪文のように口にする。

 玄関のチャイムの音が鳴っている。こんなわたしに用があるなんて、宗教の勧誘にちがいない。無視だ。どこの宗教か知らないけれど、あきらめが悪いらしい。まだチャイムをならしている。パソコンやスマホが発達した世の中なのだから、スマホで玄関チャイムの音を消すことができてもいいと思う。布団から手を伸ばしてケータイをつかむ。玄関チャイムの音を消すアプリは、うん、ない。メールがきている。安藤くんからだ。もうほっといてよ、このテロリスト!無視してケータイを手放す。

 ドアを叩く音がする。なんなんだ、しつこい宗教だな。地獄に落ちろ!神はなんじらを見捨てた、もう終わりだ。地獄の業火に焼かれて永遠に苦しみつづけるがよい。

 こんどはケータイが鳴った。

「うるさい」

 また鳴る。

『芽以さん!』

「うるさいなー、わたしは頭が痛いから起きないの」

『心配しましたよ。死んでるんじゃないかと』

「死んでると思ってほっといて」

『後を追っておれも死ぬんで、開けてください』

「今日の営業は終了しました。またのお越しをお待ちしております」

『約束はどうなったんですか』

「なんのこと?」

『十一時に駅の改札』

「わたしはテロリストに屈したりはしない」

『なんの話ですか。コーヒーいれますから、開けてください』

「なにを?」

『ドアを』

「開けゴマっていってみたら?」

『開けゴマ』

「どう?」

『どうって、開くわけないじゃないですか。芽以さんが開けてくれないと』

「わたしにどうしろっていうの?」

『布団から出て、玄関の鍵を開けてください』

「なに、うちの玄関?うちにきてるの?」

『そうですよ。さっきからチャイム鳴らしたりドア叩いたりしてるんですよ』

「それは安藤くんの仕業だったのか。迷惑千万だな」

『約束やぶる芽以さんが悪いんです』

「わたしが悪くたって、自分で解決しようとしたらいけないんだよ。ちゃんと裁判所の執行官に執行してもらわないと」

『なに言ってるかわかりません』

「法律を勉強しなさい」

『ごちゃごちゃ寝言いってないで、玄関あけてください』

「寝言は寝て言う。おやすみ」

『わぁー』

「なあにぃ?うるさいな」

『夢にでますよ。うらみますよ。玄関締め出し』

 ま、いっか。のっそり布団からでて、玄関の鍵をあけてやる。

「芽以さん。やっと起きてくれましたか。おは、よう、ござい、ます」

 安藤くんの目線が。わたしはハッキリ目を覚ました。回れ右。背中でドアが閉まる。わたしはパジャマのままだ。パジャマは襟元が深く、胴回りが太くなっている。玄関の床に片足を置き、もう片方の足でつっかけをひっかけてタタキに立ち、腕を伸ばして玄関のドアを開けた姿勢は、かなり前かがみだ。どこまで安藤くんにさらけだしてしまっただろう。襟元を引っぱって自分でのぞく。年頃の男子を無駄に刺激してしまっただろうか。

 ドアが申し訳なさそうに開く気配がした。

「あのー、着替えてください。おれコーヒーでもいれるんで」

 首をひねって安藤くんをにらむ。細く開いたドアの向こうで青白い顔をしている。

「見た?」

「見ません」

 マンションの廊下から見える東の風景を遠い目をして眺めている。

「じゃあ許すか」

「はい」

 きっと嘘だろう。で、そうだ!わたしはあのファッションに身を包まなければならないのだ。ぐうぅ。やっぱり帰ってもらおうか。

「安藤くん」

「はい」

 安藤くんはヤカンを火にかけ、棚からコーヒーのサーバとドリッパをとりだすところだ。

「あの服装はまた今度にしない?」

「しません」

「じゃあさ、スカートだけちょっと違うのとか」

「却下です」

 なんだ、強情だな。

「なにがそんなに嫌なんです?おれはすでに昨日あの姿を見たわけですし、あとはヘーブンが見るだけです。ヘーブンなんてカカシみたいなものだから、気にすることないじゃないですか」

 親友をカカシ呼ばわりとは、ちょっとかわいそうではないか。

「想像してみて?紺の短パンにサスペンダーして、白いブラウスに赤い蝶ネクタイ。白いハイソックスで、黒の革靴をはいた安藤くんの姿」

「アンガス・ヤングかっ。おれがやると気持ち悪いですね」

「それ」

「でも、芽以さんのご希望とあらば、その服装になるのにやぶさかではありませんよ。なんなら帽子かぶってエスジーをかき鳴らしてもいいです」

 ちぇっ。ちぇっ。もう安藤くんなんか嫌い。

 わたしは不機嫌になって、昨日買ってきた服を身に着けた。カーデガンのボタンはすべてはずしている。服はタグが付いたままだったから、下着姿で全部のタグを取らなければならなかった。ぜんぶ安藤くんのせい。

 安藤くんのいれてくれたコーヒーをゴクゴク飲んだら、二日酔いが軽くなった気がする。ともかく胃がサッパリした。ふんだ。

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