第21話

 通行人の目を気にしながら、安藤くんの背中に隠れるようにして平文くんの家にやってきた。なんで駅の向こう側なんかに住んでるの?こっちに住めば商店街と駅前を通らなくて済んだのに。

 平文くんがドアを開けてくれる。うう、恥ずかしい。

「これはちがうの。安藤くんの趣味だから。頭おかしいのは安藤くんだから」

「どうぞはいってください」

 あれ?スルー?それはそれで寂しいものがある。なにか、ちょっとしたツッコみは欲しいところだ。ただの変な趣味の人みたいになってしまうじゃないか。平文くんのクソ真面目が恨めしい。

 玄関をあがって、靴を揃える。おっとぉ。

「あ、ごめん」

「いえ、すみません。よそ見してました」

 靴を揃えて体の向きを変えようとしたら、体ごと平文くんにぶつかってしまった。

 もう一度お邪魔しているから、さっさとソファに腰をおろす。安藤くんはまたコーヒーでもいれてくれるらしくキッチンへ行った。ソファにすわって少し落ち着いてきた。スカートの短さを気にしなければ。やっぱり安藤くんが悪い。

 頭を巡らして部屋を見る。ハーデースは、と。

「ハーデースは?」

「はい」

 平文くんは開いた雑誌から目をあげる。

「ハーデースはどこ?」

「えーと」

 平文くんがさした指が、宙をさまよう。ソファの右手前の角に体をこすりつけるようにして、ぬるーっとハーデースがやってきた。しっぽがピンと立っている。

「ああ、いました。午前中は外に出たがったので窓を開けてだしてやってたんです。いつの間にもどってきたのか。芽以さんがくるのがわかったのかもしれません」

「こんにちは」

 足元にやってきたハーデースを抱き上げて膝にのせる。玄関ドアがバタンと閉まる音が聞こえた。なんだろ。

「いまのは?」

「さあ。なんでしょう。コーヒーでも切れてたかな?安藤はマイペースだから、黙って買い物に出ることもあるんです。猫みたいに気ままなやつです」

「平文くんはなんの雑誌みてるの?」

「数理サイエンスですけど」

 薄い雑誌の表紙を見せてくれる。宇宙にはいろいろな雑誌があるものだ。

「聞かなきゃよかった」

「すみません、ヘンな趣味で」

「ううん、大丈夫。ちなみにどんな記事が載ってるの?」

「この号は量子コンピュータの特集号になってまして。どういう量子現象を計算原理とするかで三種類の量子コンピュータが提案されてるんですが」

「なるほど、もう大丈夫。無謀な質問だったことだけはわかった」

 話の出鼻をくじいて、強制的にキャンセルする技を体得した。安藤くんや平文くんとつきあうなら必要なスキルだ。

 今日はなにしに平文くんの部屋に連れてこられたのだろう。もしかして、新調した服を着たわたしを見せものにしようということだろうか。こんな格好をさせられるのは、ハーデースに会うための入場料みたいなものと、ソファで黒い背中と腹をなでながら自分の説得を試みる。わたしはハーデースを堪能し、平文くんは雑誌を眺め、飲み物もないままノンビリ過ごした。

 しばらくしてまた玄関のドアが閉まる音がした。やっぱり安藤くんが買い物にいっていた。手になにやら箱と買い物袋をさげている。これでなにか飲み物がはいるだろう。

 飲み物を待つあいだ、ノンビリしすぎて、わたしはうとうとしていた。

「芽以さん、起きてください。今日はヘーブンの誕生日なんですよ。いや、本当は火曜日なんだけど」

 安藤くんがケーキの箱の蓋をもちあげるところだった。男の子の誕生日にしてはかわいく、いちごのデコレーションケーキだった。

「本当!わたしなにも用意してないよ?」

「いえ、芽以さんがいてくれることが一番のプレゼントです。なっ、ヘーブン?」

「そう。そうです」

「というわけで、立ってくるっとまわって全身を拝ませてください」

 安藤くんは調子がいい。こんな人格だったかな。人間はいろんな場面でいろんな一面を見せるものだ。それで昨日こんな服を選んだのか。わたしはこんなプレゼントには納得いかない。けれど、ほかになにも用意していないのだし。立ち上がってひと回り、スカートをつまんで片足をひいてごあいさつした。平文くんが拍手してくれた。

 なんだろな、これは。全部安藤くんが悪い。先に教えてくれればプレゼントを用意できたし、一緒に仲良く話し合うこともできたし、自分の納得のいくものになったはず。ソファのときと同じで、安藤くんは自分勝手だ。

 テーブルにはホールのケーキと取り皿、紅茶、山盛りの唐揚げがのっていた。この取り合わせは一体。唐揚げは商店街にある唐揚げ専門店で買ってきたものだ。袋が安藤くんのすわったとなりに落ちている。唐揚げを食べていたら、追加でスパゲティがやってきた。安藤くんが茹でていたのだ。そりゃそうだ。唐揚げだけでは味気なさすぎる。ハーデースも食事にありついている。

 誕生日ということで、平文くんに半生というには短いこれまでのことをいろいろ聞きだした。わたしとはまったくちがう幼少期をすごしていて面白かった。数学とか科学とかが好きな少年で、男の子はみんなそうかもしれないと思ったら、まわりの男の子みんなは昆虫なんかの生き物に興味があったのに、平文くんは機械にしか興味を示さず、家じゅうの機械を分解しようとしていたらしい。分解するだけで元に戻せないから、あわれな犠牲者たちはガラクタとして平文くんの所有に帰することになったそうだ。その時期はご両親もさぞかし大変な思いをしたことだろう。

 どちらかというと、子供のころのまま成長していまの平文くんがあるような感じだ。わたしなんて、子供のころから興味はうつりかわり、なにも身につくものがなかった。なにかひとつでも続けていればなと思わないでもないけれど、わたしの送ってきた人生なのだからわたしの責任なのだった。悔いても仕方ない。きっとこれからもなにかひとつのことに打ち込むなんてことはないだろう。

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