第16話

 安藤くんに改札前で会った瞬間、わたしはボディブローをお見舞いした。意表をつかれたのか、安藤くんがよわっちょろいだけなのか、ボディーブローは効いた。腰を折って、膝もまがっていた。ヨロヨロと壁まで歩いて手をつき、呼吸が整うのを待つつもりらしい。わたしの怒りをシッカリ伝えなければならない。

「久しぶりですね。いかがお過ごしでしたか?」

 安藤くんの頭頂部に向かって話しかける。

「わたしは元気でした。大学時代の同級生のサトミちゃんとお酒を飲みましたよ?」

「お、おれは、入院してました」

「入院?なんで?やだ、どうしよう。ごめん。また悪くなっちゃった?救急車?救急車呼ぶ?」

「大丈夫です。ちょっと待ってください」

 また入院が必要なんじゃないかというくらい苦しそうだ。二回三回と深く呼吸する。壁に背をもたせかけて立つところまでは回復した。わたしもとなりに陣取って、お尻だけ壁にもたれる。

「そんなに心配しないでください。大丈夫ですから」

「どうしたの?なんで入院しちゃったの?あ、まだいい。黙ってていいよ」

 回復してきたところで、咳払いしてノドのつかえをとった。

「一緒にソファを見にいったあと、卒業研究が大変なことになりまして」

「ええ!あ、じゃあサンマルクはいろ」

 安藤くんの手を引いて席につかせ、わたしはカウンターでコーヒーをふたつ注文した。トレーに水ももらって席に着く。

「卒業研究、実験がひと段落したんですけど」

「うん、まえ言ってたね」

「実験全部やり直しになりまして」

「えー!なんで?」

「なんと、実験で使った測定機にバグがあって、数値が不正確だったという発表がメーカからあったんです。だから、少なからぬ学生に影響が出て、おれみたいに入院したなんてやつも全国には大勢いるんじゃないかと」

「メーカのせいなんだ」

「測定機のバグ修正ができるまでの間に再実験の準備をして、修正できたところで実験スタートってことで、全部やり直しました」

「災難だったね」

「徹夜つづきで、終わったとたんにぶっ倒れたみたいです」

「みたいって?」

「記憶がないんですよね、やり直しが終わったときの。それで救急車で運ばれて、そのまま入院。かなり衰弱してたらしいです」

「命けずったね」

「卒業がかかってますからね」

 笑顔に力がない。幸薄そうな表情になっている。ボディブローのせいばかりではないのかもしれない。

「ずっと飲まず食わずだったの?」

「いえ、食事はパンとかおにぎりとかかじってましたよ」

「いってくれれば差入れくらいできたのに」

「大丈夫です。食事は後輩が生協で買ってきてくれたんで」

「それ、女の子?」

「え?まあ、そう、です」

「彼女?」

「まさか!ちがいますちがいます。女の子の方が世話好きっていうか、気がきくってだけです」

「ふーん」

「いやー、芽以さんが手料理もってきてくれたら、ぶっ倒れるなんてこともなかったとは思いますけど」

「許すか」

「はい」

 なにを許すのかわからないけれど。

「あ、でも、あのメールはないんじゃない?こっちはすっごい心配したし、嫌われちゃったかと不安だったのに」

 わたしはなにを言ってるんだ。安藤くんに会っておかしくなっているぞ。

「なかなかメールで伝えるのはむづかしいと思いまして。こうして会ってお話しした方がいいと思ったんです。すみません。おれが芽以さんを嫌いになることはありませんので、そちらはご安心を」

 もう。許さざるをえない。なんだか胸があたたかい。

「ソファのときはごめんなさい。わざわざ付き合ってくれたのに、わたしヒドイことしちゃって」

「そんな。悪いのはおれです。ふたり掛けのソファにすわってるのを、ええと、あれです。うん」

 なにをいっているのかわからない。ま、いいや。謝れたんだし。仲直りできたみたいだし。

「今日はこれからどうするの?」

「とうとうすべての謎が解けるときですよ」

「なぞ?」

「そう、謎の男です」

 安藤くんは自分で謎の男と言って、自分の鼻を指さした。

「それは楽しみだ」

 なんだろ。実家に連れて行ってくれてご両親に挨拶とか?いやいやいや、心の準備ができてないし。今日の服装は上の世代にウケがよさそうじゃないし。ダメダメ。今日はダメだって。

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