第7話

「ナポレオンと言えば、今日友達もナポレオンの話してました」

「友達に会ってたんですか」

「そう、結婚式で。学生の頃の仲間がみんな集まって」

「結婚式でしたか。終わるの早かったんですね」

「二次会はキャンセルして帰ってきちゃったから」

「よかったんですか?せっかくみんなが集まったのに。おかげで留守じゃなかったわけですけど」

「どうせまた誰かの結婚式で会うだろうから」

「そういうものですか」

「お年頃になればわかります」

 人間プルートは、わたしより若いと思う。たぶん学生だろう。すくなくとも、まわりに結婚した人はまだいないみたいだ。

「ナポレオンのどんな話だったんですか」

「えっと、百年くらい眠ってる魔女の話。魔女の間では有名なんです」

「魔女とナポレオン。おもしろそうですね」

「でも、中身はなくて。エジプト遠征してるナポレオン軍のヘッポコ兵隊が眠っている魔女を見つけるんです」

 サトミちゃんが話していたのを思い出しながら説明した。

「なるほど。おでこをぶつけて目を覚ますんですか。どうなるんですか?魔女とその兵隊」

「まだ考え中。あ、サトミちゃんは小説書いてるの。だから小説のネタなんですけどね」

「へー。小説家の友達がいるんですね」

 人間プルートもコーヒーをぐびっと飲む。

「ナポレオンはフランスですけど、ベートーベンはドイツ、じゃなくてオーストリアかな。つまりフランスと仲悪くてしょっちゅう戦争してるんです。でも、フランス革命の思想に共鳴してたんですね。自由、平等、友愛ってやつです。オーストリアは専制君主だったから、フランスみたいになればいいのにってベートーベンは思ってた。王族と貴族はそう思ってないですけど。で、王党派っていって、また王様連れてきてフランス革命前みたいにもどそうっていう勢力が力を盛り返してきた。そのときにナポレオンが蹴散らしたものだから、ナポレオンのファンになって、ナポレオンに捧げるつもりだったんですね、この三番書いてるとき。でも、ナポレオンは自分が皇帝になって、そりゃないだろ、あたらしい王様じゃないかって怒って、ボナパルトって題名だったのを英雄にかえて、ナポレオンに捧げるのも取りやめにしたらしいです」

「へー。詳しい。クラシック好きなんですね」

「いえ。おれはメタルです」

「メタル?」

「へヴィーメタル」

「ヘビメタだ」

「いえ、へヴィー、メタル、です」

 しっかり下唇を噛んで発音した。

「それって、ヘビメタっていうのとちがうの?」

「ちがいます。日本でいうヘビメタって、日本のバンドで髪の毛染めてスプレーで固めてこんな感じのイメージなんです」

 両手を耳のあたりから頭上にスライドして髪を立てているのを表現した。

「そういうのとちがうの?」

「へヴィーメタルは、いまどきそんなのいません。八十年代のエルエーメタルといわれる勢力がすこしそんな感じでしたけど、ほんの一部の一時のことです。音楽もだいぶちがいます。そんなわけで、へヴィーメタル。略すときはメタルってことで、気をつけてください」

「はあ、すみません」

 なんで謝らなくちゃいけないのかわからないけれど。コーヒーを飲む。

「ベートーベン、もし現代に生きてたら、ぜったいメタルをやってたと思うんですよね。曲の中でリフみたいに同じ音を何度も鳴らすところがあったりして。へヴィーな曲も多いし」

 わたしにはぜんぜんわからない。いま生きてないし、ベートーベン。

「ベートーベンは、それまでの作曲家とちがってフリーだったんです。そんなところもメタル」

「自由?」

「王様とか貴族のお抱え作曲家じゃなかったって意味です」

「そうなの?」

「はじめはお抱えピアニストだったみたいですけど。楽譜を出版するように世の中がなったんですね。その印税がはいるようになったおかげかもしれません」

「世の中のちょうどいいところに生まれたってことなのかな」

「それは、偉大な人物はみんなそうでしょう。同時代人でベートーベンだけがベートーベンになったんだから、やっぱりすごいんです」

「なるほどね」

 ベートーベンがすごくないというつもりはなかったけれど。

「あの、そろそろタネ明かししてください」

 人間プルートは首をかしげる。なんだその、なにか疑問でも?みたいな顔は。

「なぜプルートのこと知ってるんですか」

 時間がとまった。そんなわけはない。

「なんで止まるんですか」

 人間プルートは置物になったように動かない。やっと動いたと思ったら、壁際の床に安置していたぬいぐるみのプルートを手にとって膝の上でなではじめた。わたしはひったくる。

「答えてください」

 声に気迫を込めた。

「あ、もう暗くなってきちゃいましたね。お暇しないと」

 むっとして睨む。そんなわたしをよそに人間プルートはスマホを操作している。

「来週の土曜日、午後に会ってもらえますか。夜くらいまで」

「ん?」

 口きいてやらないぞという気合だ。

「そのときにお答えします」

「土曜日は予定ないけど」

「じゃあ、待ち合わせは午前ですけど、十一時に駅の改札前で」

「ちゃんとタネ明かししてくれるんでしょうね」

「はい。来週」

 ちょうど音楽が終わった。人間プルートが床から立ち上がる。わたしも立つ。キッチンでカップの内側を水で流して紙袋にしまい、その紙袋をさげて玄関で靴をはいた。

「あの、急に押しかけてすみませんでした。お会いできて、なんというか、幸せでした」

「おいしいコーヒーごちそうさま。あと、ヤカンありがとう」

「土曜日までにブラームスの交響曲一番を聴いておいてください。ベートーベン以外のもいいですよ」

「ブラームス。うん。土曜日までって?」

「土曜日、お会いできるのを楽しみにしてます」

 わたしはなんともいいようがなかいから、うなづいて答えた。人間プルートはドアノブをまわして音がしないようにドアを閉めて姿を消した。インターホンのディスプレイに表示して外の様子を確認する。もうだれも映らなかった。つい、これは現実だよねなどと思ってしまった。

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