第3話

 プルートにはもう会えない。考えるとその通りなのだけれど、気持ちは納得していない。会社の行き帰り、ついキョロキョロと地面を見回してしまう。いや、見回していることに気がつく。ついやってしまうことだから、いつの間にか地面を歩く猫を探しているのだ。地下鉄のホームに猫がいるはずもないのにプルートを探していて、われながらおかしくなってしまった。そんなだから、道行く人には、おカネでも落ちてないかと探しているように思われたかもしれない。

 会社で嫌なことがあった日にはいっそうヒドくなる。もう、周りの目など気にしている余裕はない。自動販売機の隙間までチェックした。

 猫は夜行性の動物だと記憶しているのだけれど、帰りに猫を見かけたことはない。朝もないのだけれど、夜に行動するなら夜に猫を見かけてもよいように思う。

 休日には部屋で一日過ごすことにしていたのが、プルートとはいわず、もう猫ならなんでもよいというつもりで、猫を求めて公園をはしごせずにはいられなくなってしまった。それでも、なかなか猫が見つからない。見かけても野良猫なのかもしれない、わたしの姿を認めるとさっと逃げてしまう。あんなのは猫を見つけた内にはいらない。わたしは抱っこしたり、なでたりしたいのだ。

 休日の前の日はベランダでビールを飲むことも、プルートに会ってからの習慣になってしまった。ベートーベンの交響曲をかけ、ときおり手すりに肘をついてとなりの部屋のベランダをのぞき見る。その先の部屋までのぞくにはベランダの外に出なければならないだろう。いまだに、プルートの影も見つけることはできていない。やっぱりこのマンションで飼われているわけではないのだろう。

 反対側、東の方に視線を移す。屋根の海原が広がっている先に、四角く大きな建物がぽつんと建っている。この部屋を借りるときに不動産屋が教えてくれた。あれは病院だ。どこかから移転するために建てていて、完成しているように見えたけれど、まだ工事中とのことだった。見た目には当時とかわったところがないけれど、いまは移転を済ませて病院として機能しているはずだ。

 休日のこと。暑い日中に猫を探してむなしくあたりをうろつき、たまらず喫茶店にはいってアイスコーヒーを飲んで涼むことにした。

 ストローを吸いながら、目は窓の外の通りを見ている。ノドは苦みの強いアイスコーヒーを味わっている。わたしの体からは猫の嫌いな超音波でも出ているのだろうか。だから、猫にちかづけず、見つけることもできないのだろうか。プルートはわたしを嫌がるような素振りを見せなかったけれど。プルートがやってきたときのことを脳内プレイバックする。プルートがコーヒーに興味を示したことに思い至った。むしろ、どうしていままで忘れていたのかというくらいの印象的な事実だ。いつものケアレスミスだ。

 翌週から公園のはしごに加えて喫茶店のはしごをすることにした。喫茶店で猫を飼っていることもあるはずだ。お店ごとに注文してコーヒーを飲んでいたら、一日に何杯飲むことになるのかわからない。喫茶店のはしごといっても、周囲をひとまわり、店内に猫を飼っていないかをチェックするくらいのことだ。週替わりで、そのうちの一つにはいって、休憩がてら店内もチェックするようにした。

 猫とお近づきになることができない。

 近所の猫は絶滅しそうなのではないかと疑いたくなるほど、猫を見かけること自体がむづかしい。それとも条例でペットが禁止されていたかな。

 わたしは絶望を抱いたまま、商店街を歩いてつぎの喫茶店に向かっていた。土曜日で、人通りがある。猫探しをする以前は昼間に商店街を歩くことがなかった。さびれた商店街のことで、これほど人出があるとは思っていなかった。突然立ち止まる人がいたり、目の前を横切ってお店に向かう人がいたりして、猫を探して歩くのには邪魔だ。向こうにとっては、あちこちよそ見しながら歩いているこっちが邪魔なのだろうけれど。

 ふと足が止まる。おもちゃ屋の前だった。わたしの背中にぶつかりながら人が横を抜けていった。吸い寄せられるように店に入る。

 あまり広くない。ゲームの階、プラモデルの階といったように売り場がわかれているらしい。一階はぬいぐるみと人形の売り場になっている。

 グルっと見回す。心にひっかかるものが右前方四十五度、腰の高さ辺りにあった。視線をそちらにもどす。ぬいぐるみが埋もれている。黒い頭頂部と右耳が見えている。その前に移動。上にかぶさっているぬいぐるみを押さえて崩れるのを防ぎながら隙間に手を突っ込み、隠れているぬいぐるみを引き抜く。やっぱり失敗してキリンのぬいぐるみが床に転げ落ちてしまった。でも、わたしは満足だった。手に黒猫のぬいぐるみをつかんでいた。キリンを拾い上げてぬいぐるみの山に戻す。黒猫の顔を見つめる。

 きみがわたしを呼んでいたのね?

 背中をなでる。よい毛並みだ。目を閉じてもう一度。店内のエアコンのおかげで少しヒンヤリする。なめらかでやわらか。横向きに胸に抱く。前足を伸ばした状態ですわった格好をしているから、正面から抱くのには向かない。もう少し大きいほうがよいと思ったけれど、贅沢は言えない。買うことにする。会計のときプレゼント用かと店員のおじさんに聞かれた。わたしは自信をもって、自分用ですと答えた。

 いつもの猫探しルートをまわって家に帰った。ぬいぐるみの名前はもちろん、プルートだ。すわるときは、ぬいぐるみのプルートを膝にのせる。いつでも背中をなでられる。寝るときは顔の前に寝かせる。頬ずりするのも気持ちよい。

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