第28話 思わぬ来訪者

 丘の上の要塞に対するケイファドキャの包囲陣は、大きかった。

 ジュダイヤに向かおうとすれば、要塞の正面に回らなければならない。

 だが、包囲に添って歩けども歩けども、正面はおろか、側面さえ見えはしないのだった。

「この数じゃ仕方ないな、負けても」

 ありがたいことに、寄せ手は要塞に追い込まれたジュダイヤの軍勢に気を取られていた。

 やせ細った丸腰の少年がその辺をふらふらさまよっていても、誰に見咎められることもない。

 だが、それはあくまでも、兵士に限ってのことだった。

「待て」

 ナレイを呼び止めたのは、大きな荷物を背負った男だった。

 要塞を取り囲んだケイファドキャの軍勢に、何か売りつけに来た行商人だろう。

 荷物に押しつぶされそうになりながら、腰を直角に曲げて、よちよちと歩いてくる。

「商売にしちゃあ随分と身軽じゃあねえか、お兄さん……」

「旅の途中ですので」

 目を合わせないようにして、ナレイは通り過ぎようとする。 

 だが、男は急に足を速めて、ぴったりと身体を寄せてきた。

「それにしたって荷物がまるでねえのはどういうわけだい?」

「それは……」

 ナレイが答えに詰まったところで、男は低い声で囁いた。

「お前さん、逃げて来なすったね? 要塞から」

「何のことでしょう?」

 背の曲がった男は、シラを切るナレイの胸ぐらを掴んで引き下ろした。

「武器も荷物もねえ丸腰の男が、要塞の裏からのこのこ歩いてきたんだ。そっちに抜け穴があるんだろ?」

 ナレイは、ギラギラ光る男の顔を見つめた。

 目は瞬き、口はせわしなく開いたり閉じたりする。

 男は、歯を向いて呻いた。

「あるのか、ねえのか、どっちだ?」

 その時だった。

 要塞の正面辺り、何かがけたたましい音を立てた。

 男が忌々し気につぶやく。

「ケイファドキャの銅鑼が鳴ったか……早すぎる」

 そこでようやく、ナレイは尋ねた。

「あなたは、いったい……?」

「シャハローミ様の使いだ」

「シャハロの?」

「……ナレイバウスか?」

「いったい、何の用で?」

「そこまでいらっしゃってる。食糧を積んだ馬車を何台も連れて」

「どういうつもりで?」

「実はな……」

「それなら……」

 ふたりの交わす話は、それほど長くなかった。

 男は笑った。

「ケイファドキャの連中、もう勝った気でいやがる……」

 そこで荷物を下ろした男は、すさまじい速さで駆け出した。

 代わりにそれを背負ったナレイは、きょとんとする。

「軽い……」

 何か警告しているらしい銅鑼の音は、鳴り止むことがなかった。

 ナレイは重そうに見える荷物を担いで、その方向へと歩きだす。


 要塞の正面では、大きな幌のついた馬車の群れが、ケイファドキャの兵士に足止めされていた。

「何だ、この食い物の山は!」

 兵士たちが没収にかかったところで、馬車を操っていた男たちが、ひらりと飛び降りた。

「わけあって、お渡しすることはできません」

「怪しいヤツ、逆らうか!」

 数にもの言わせて、兵士たちが男たちに迫る。無数の槍が、一斉に襲いかかった。

 男たちが腰のベルトに手をかけると、幾筋もの銀光が閃き、槍の穂先が青空に舞う。

 ベルトに仕込まれていた軟剣に斬り飛ばされたのだ。

 呆然とする兵士たちを、馬車の中から何者かが一喝する。

「物騒なものを振り回す前に、人の話をお聞きなさい!」

 澄み切った、しかし、凛とした響きのある声だった。

 雷にでも打たれたかのように、ケイファドキャの兵士たちが硬直する。

 その前に、幌の中から、ひらりと舞い降りた者があった。

 戦場にはおよそ似つかわしくない、長い髪を後ろで束ねた、サンダル履きの華奢な少年である。

 だが、兵士のひとりは、ぼそりとつぶやいた。

「……女?」

 男装の少女は、穂先を失った槍を手に立ち尽くす男たちを、鋭い眼差しで見渡す。

「拝見したところ、要塞を包囲なさっている皆さまは別段、食べるものにも不自由なさってはいらっしゃいますまい」

 兵士はそこで、怪訝そうに眉をひそめた。

「だが、これだけのもの、どこからどこに届けるのだ? ジュダイヤの方から来たようだが、まさか、川の向こうからではあるまい」

「ところが、おっしゃる通りのところから参ったのです」

 さらりと答える少女に、兵士たちは槍の柄を投げ捨て、腰の剣に手をかける。  

「何だと?」

 馬車を守る男たちも身構えるが、男装の少女……シャハローミは悠然と答えた。

「これを残らず、丘の上の要塞へとお届けいたします」

「おのれ、ジュダイヤの回し者がぬけぬけと!」

 兵士たちが、剣を抜き放った。

 軟剣を手にした男たちが、シャハロを背にして壁となる。

 だが、当のシャハロは平然としたものだった。

 苦笑しながら、男たちを押しのけて前に出る。

「心外ですね。私、祖国を捨ててまいりましたのに」

 すらりとした脚を揃えて、刃と刃の間に平然と立つ。

 その無防備な様子を前に、兵士たちは戸惑いながら立ち尽くす。

 シャハロは余裕たっぷりに、その経緯を語りはじめた。 

「ご存知? ジュダイヤ王の噂。あれ、本当なんです」

 押しも退きもならずに困り果てていた兵士たちは、隣国の王にまつわる醜聞に目を見開き、耳をそばだてる。

 シャハロは、そのひとりひとりを見つめながら、もっともらしく言った。

「ジュダイヤの王には、側女はいてもお妃がいません。子どもはそれぞれ、母親が違うのです。その中には、既に他の男の子どもを宿した者もいたとか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る