第11話 姫君と、その父王と
いかに幼馴染とはいえ、使用人が国王の愛娘を連れ出して、無事で済むわけがない。
街の誰から借りたか分からない馬を預けに、城の通用門へのこのこ帰ってきたナレイを出迎えたのは、衛兵たちを従えたヨファだった。
「驚きましたね。またあなたに会えるとは」
意外そうに眼をしばたたかせる。
「私も本当は、こんなことはしたくなかったのです。どうして逃げなかったんですか?」
そう尋ねたところで、国境の死体を始末したらしい親衛隊が城の正門から入ってきた。
引き連れているのは、あの捕虜たちである。
親衛隊たちは兜の面頬を挙げてヨファに敬礼したが、その目は残らず、怪訝そうにナレイを見ている。
面倒臭そうに眉をひそめたヨファは、衛兵に捕縛を命じた。
高手小手に縛り上げられたナレイの耳元で、残念そうに囁く。
「街の者の馬なんか、乗って逃げればよかったんです。シャハローミ様さえお帰りになれば、君の生き死になんか、どうにでも言い訳は利きますから」
こうして、わざわざ命を捨てに戻ってきたナレイは、国境を侵した捕虜たちと共に連行されることとなった。
戻ってきた馬を親衛隊のひとりに預けると、そこへ息せききって駆けつけていた者がある。
四角くて、暑苦しい男だった。
相当、頭に血が上っているのだろう。
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「待て! そいつに罪はねえ! 全部、俺が……」
今にも暴れ出しそうなハマの顔を見つめて、ナレイはその名を呼ぶこともなく、哀しげに首を横に振った。
かつて使用人小屋の壁に大穴を開けた男は、歯ぎしりしながら黙って引き下がった。
ナレイたちが連れていかれたのは、城の地下の小さな部屋だった。
もう、あのヨファの姿はどこにもない。
「ここは……」
ナレイが口を開くなり、親衛隊員のひとりが無言で腹を蹴り上げた。
呻いたところで、部屋の中に蹴り込まれる。
扉が閉まり、カギのかかる音がした。
腕を縛り上げられたナレイは、固い石の床の上に横たわったまま、ぴくりとも動かなかった。
うめき声も立てはしない。
だが、気を失ってはいなかった。
かすかに押し殺された息遣いが聞こえる。
外に人がいても悟られないよう、慎重に様子を伺っているのだ。
静まり返った地下牢の中で、どれほどの時間が過ぎたかは分からない。
ただ、時折、扉の外で足音が聞こえるばかりだった。
親衛隊が通るのだう。
国境を侵した他国の兵士が、別の場所へと送られていくのだ。
どうやら、牢に閉じ込められたのはナレイだけだったらしい。
その後は誰ひとりやってくることなく、何をされるわけでもなかった。
ただ、どこからか、微かに聞こえてくるものがあった。
「やめろ……!」
「話さんぞ、たとえ殺されても……!」
悲鳴と絶叫が入り混じった、兵士たちの声だった。
それはまるで、ナレイもいずれこうなるという運命を暗示するかのようであった。
最初は気丈に抗っていた兵士たちだったが、その言葉は次第に力を失っていく。
「殺せ……いっそ殺してくれ……」
「何も言えない……何も知らないんだ……」
やがて、何も聞こえなくなった。
そこで牢の戸が開いた。
「来い……高貴な方がお呼びだ」
だが、まっすぐ立つことができない。
鎧をまとったままの親衛隊が、ナレイを両脇から抱え起こした。
それでも、足はもつれる。
ひと筋の光もない真っ暗闇の中で、微かな悲鳴だけを延々と聞かされたせいだろう。
ナレイの足腰を司る感覚は、すっかり狂ってしまっていたようだった。
地下から引きずり出されて、城の廊下をどれほど歩き回らされたろうか。
縛られたままのナレイは、やはり冷たく固い石の床の上に放り出された。
だが、牢などよりは、遥かに広い。
壁の高いところにある窓からは、外の光が差し込んでいる。
それを見上げるナレイを、冷ややかに見下ろす者たちがいた。
親衛隊の鎧をまとった者もいるが、あらかたは、すっきりした身なりをして、揃いの長いマントに身を包んでいる。
いずれも整った顔立ちの若者であったが、その中でも見覚えのあるのが、おもむろに口を開いた。
「あのまま放っておいても差し支えなかったのですがね……使用人風情に手間をかけることもないのですから」
鎧こそまとっていないが、親衛隊の制服らしいマントを翻して歩み寄ってきたのは、間違いなくヨファだった。
その指図で床に転がされているというのに、ナレイは穏やかに尋ねた。
「どなたですか? そこまでして僕を会わせなくちゃいけないのは」
その問いに答えるかのように、親衛隊たちが一斉に居住まいを正した。
部屋の奥にある扉が、その両脇に控えたマントの若者の手で開かれる。
現れたのは、髪に白いものの混じった中年の男だった。
ヨファがひざまずくと、親衛隊たちは一斉に、それに倣う。
男はそれに目もくれない。
黒光りのする杖を手にナレイの前へつかつかと歩み寄ると、部屋中に響き渡るほどの声で怒鳴りつけた。
「なぜ逃げたか! 何が不満じゃ!」
呆然と見つめるナレイに、男はひたすら罵声を浴びせ続ける。
「あの時、本当ならお前は死んでおったのじゃ。それを助けた余の恩も、その恩も知らずにこのような……!」
怒りがよほど凄まじいのか、脈絡のないことを喚きたてる。
そんな言葉が、長く続くわけがない。
代わりに杖を頭上に掲げると、ナレイの背中めがけて振り下ろした。
その勢いからすると、どうやら杖は徹か何かで出来ているようだった。
こんなもので打たれた日には、身体がいくつあっても足りるまい。
もっとも、明日があるかどうかも定かでないナレイには、そんなことはどうでもいいことかもしれないが。
だが、その杖がナレイの骨を砕くことはなかった。
「お待ちください! お父様!」
開け放たれたままだったとびらの奥から、駆け込んできた者がある。
その姿を見て、ナレイはぽつりとつぶやいた。
「シャハロ……?」
それは、ジュダイヤ王国の姫君、シャハローミであった。
すると、振り上げた杖を下ろせないでいるこの中年男は、他の誰でもない。
「止めるな、娘よ。ヘイリオルデが国王として、この不届きものを打ち懲らそうというのだ」
だが、父王に咎められて聞くようなシャハロではない。
ナレイの背中に覆いかぶさると、ジュダイヤの国王に向かって哀願した。
「お許しください! 全ては私が!」
それでも、ジュダイヤの国王ヘイリオルデの怒りが収まることはない。
鉄の杖を振り上げたまま、足下の娘を叱り飛ばした。
「離れよ、シャハローミ! いかに幼き頃は共に遊び暮らしたとはいえ、此度の過ちは、この、身分の違いを弁えぬ使用人の落度である!」
シャハロは身体の下にナレイを庇ったまま、父王を見据えた。
静かに、しかし、毅然として言い放つ。
「いいえ、それは姫の立場に考えが及ばなかった私の至らなさから起こったこと。お怒りはごもっともです、ですから私をお打ちください」
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