第22話 休息の中に潜む危機
庶民の新兵たちの先導で、ジュダイヤの兵は河を渡り切った。
すぐさま偵察の騎兵が走ったが、間もなく、辺りにケイファドキャの兵はいないという報告がもたらされた。
小休止が取られたが、火を焚くことは禁じられた。
部下たちを集めて腰を下ろすナレイに、ヨファが馬上から声をかける。
「ずぶ濡れになったようですが、こらえてください。河を背にしていることを知られたら、総攻撃を受けるかもしれません」
そこで、ナレイが尋ねた。
「だったら、河を渡ってくるのを待ち構えて、矢を射かければよかったんじゃないですか? あの爺さんにやったみたいに」
ヨファは端整な顔を不愉快そうに上げただけで、不思議そうにつぶやいた。
「そういえば……そうですね」
ヨファが立ち去ると、ナレイは自由行動を許可した。
ひとり、その場に残って服を脱ぐ。
身体に巻き付けたシャハロの手紙は、やはり濡れていた。
ため息をつきながら、記された文字を眺める。
その目が、はっと見開かれた。
早く 知らせが
ほ し
い! 命にかかわるくらい危険 。
父上
は最初からそのつもりだった
なんて。
ナレイ !
水に濡れたせいで、文字が流れて落ちたらしい。
残った字は、何かの焼け焦げのようだった。
「何があったんだ……シャハロ」
再び手紙を巻きつけて、服を着る。
出発を告げる角笛が響き渡っていた。
平野はどこまでも続いているわけではなかった。
日が暮れる頃には、ジュダイヤの軍勢の前にも小高い丘が見えてくる。
その上にあったのは、厳めしい要塞だった。
庶民の新兵たちは、それを見上げながら夜営の準備を始めることとなった。
その誰もが、すっかり慣れた手つきで柱を運んだり、天幕を張ったりする。
余裕たっぷりに、冗談までが交わされていた。
「知ってるか? お城の姫様」
「どの姫様だよ」
「末っ子の、ほら、あの斬り込み隊長さんの……」
話題になっているのは、シャハロのことらしい。
ナレイは杭を打って天幕の仕上げをしながら、それとなく噂を聞いていた。
「お兄様やお姉様方、結構いろいろやってるらしいぜ」
「たとえば?」
「廊下でお付きの人を連れて、すれ違うとするだろ?」
「そりゃお互い、王子様やお姫様だからな」
「すると、姉君や兄君たちのほうのが、ちょっと離れたところでいきなりくすくす笑いだしたりするんだって」
「イヤらしいやり方だな」
「まあ、王様が下々の女に手をつけて産ませた娘なわけだから……」
そこでナレイが、杭を打つ手を止めて言った。
「やめなよ」
だが、噂話は止まない。
「それでいて、王様がいちばん可愛がってるとなれば……」
「やめなってば」
ナレイに言葉を遮られても、お調子者は喋りつづける。
「で、その可愛がりようが普通じゃない。血を分けた娘というよりは、スケベジジイが若い娘に……」
「やめろ」
ナレイのいつになく冷ややかな口調に、新兵は縮み上がった。
「いえ、その……聞いたことありません? その姫様を産んだ女、王様がベッドに引っ張り込んだときにはもう孕んで……」
そこでナレイは、天幕を張るときの柱となる材木を、その新兵に投げ与えた。
まっすぐな目をして、杭打ち用の木槌を振り上げる。
「打ってこい。杭とお前、どっちの頭に当たるかは知らんがな」
軽口を取り繕うかのように、お調子者の新兵は他の天幕を張るのにとりかかった。
どこかで、炊事が始まったらしい。
肉の焼ける、香ばしい匂いが漂い始めた。
貴族たちの夕食を支度しているのだろう。
だが、それは貴族たちだけのためではなかった。
日が落ちて、星が空を覆い始めた頃、兵士たちは最前線の隊長の前に集められた。
「明日の夜明けと共に、敵の要塞に総攻撃をかける」
その命令に辺りは静まり返ったが、それはほんのひとときだった。
隊長が天幕の中へと消えると、その後に現れたヨファが告げた。
「さあ、みんな、鋭気を養ってくれ!」
そう言うなり、貴族の新兵たちに運び込ませたものがある。
たっぷりの酒に、炙り肉の山。
さっきの匂いは、これだったのだ。
兵士たちの歓声が上がった。
「やったあ!」
庶民の新兵たちも、例外ではない。
「話せるぜ、お婿さん!」
だが、ナレイだけは違った。
満面に笑みをたたえたヨファを見据える。
ヨファはそれに気づいたのか、知らん顔をしてみせた。
たちまちのうちに、身分を問わない宴会が始まった。
いつもは険しい顔をしている上官が、酔って相好を崩して部下に絡む。
そうかと思えば、新兵の間でも、貴族の子弟が酒の壜を片手に、庶民の若者にじゃれついたりしている。
おっかなびっくりの及び腰だった庶民のせがれも、すぐに馴れ馴れしく、貴族の子弟とふざけ合いはじめた。
だが、ナレイだけはその場を離れた。
築かれた土塁の側まで歩いていくと、遠く離れた要塞の灯が小さく、丘の上にぽつんと浮かんで見える。
その隣に、ヨファが立った。
ナレイは、要塞を見上げたまま尋ねた。
「今度は、僕たちみんなに炙り肉、ということですか」
明らかな皮肉であった。
ヨファは、目を合わせようともしないで答える。
「生きて帰れば済むことです。最初のときと同じように」
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