第29話 男装の姫君の大胆な冒険
兵士たちの顔に、下卑た、憐みとも嘲笑ともつかない色が浮かんだが、シャハロは気にした様子もない。
声も高らかに宣言する。
「そんな王の治める国を捨てて、出てまいりました。無法の王が無法の戦で差し向けた遠征軍に、降伏を勧めるために!」
兵士たちはげらげらと笑った。
「食い物をやるから降伏しろってか? 言われなくたって分かってるだろうよ、向こうは」
「おかしな話じゃねえか、そんだけの荷馬車、どうやって河を越してきたんだ? 渡し守は死んだっていうぜ」
シャハロはさらりと答えた。
「これは、ジュダイヤからのものではございません。河の民が集めてきたものです」
最後のひと言に、軟剣を手にした男たちの目がギラリと光る。
兵士たちが静まり返ったところで、シャハロは更に語り続ける。
「私、身体ひとつで国を出てきたのです。これまで城の周りの街から出たことはございませんでしたから、国境より向こうに河があるなんて存じませんでした」
そこで振り向いて眺め渡したのは、あの渡し守の老人と同じ神速の剣を操る、河の民たちである。
「たどりついた河のほとりで途方に暮れていると、彼らが声をかけてくれました。国を出てきた経緯を語りますと、すぐに舟で河を渡してくれただけでなく、私の考えに耳を傾けてくれました」
そこで駆け寄ってきた者がある。
汗と埃に汚れた、みすぼらしい、若い行商人だった。
「……お助けくださいませ」
力なく、シャハロの前にひざまずく。
だが、身体を支える力もないのか、その場で横倒しになると、苦しげに腹を抱えてのたうち回りはじめた。
シャハロは、慌ててひざまずく。
「どうなさいました?」
気遣う声のする方向へ、行商人は、奇妙にねじ曲がった腕を伸ばす。
その先には、食糧を積んだ荷馬車があった。
シャハロはその手を取って、優しく囁く。
「残念ですが、あれは、あの……」
すらりとした指が丘の上の要塞に向けられたが、シャハロはその先を言わないうちに、華奢な身体を地面に押し転がされた。
河の民の剣先が、飢えて正気を失った行商人に向けられる。
だが、シャハロはのしかかる身体に抗うことはなかった。
それどころか、その耳元に甘く囁く。
「……ナレイ?」
行商人が頷くと、シャハロは静かな声で河の民たちに告げた。
「望みどおりにしてあげましょう」
荷馬車への道が空けられると、さっきまでの弱々しい足取りはどこへやら、ナレイは猛然と駆け出した。
幌の中に潜りこんでしばらく姿を見せなかったが、やがて、肉の塊を掴んで転がり出してくる。
その身体はもう、ピクリとも動かなかった。
そこで駆け寄ってきたのは、別の男たちである。
「おい!」
「目を覚ませ!」
「こいつらに何をされた!」
同じような土まみれの男たちが、倒れたナレイを抱きかかえて、河の民たちを睨みつける。
言わずと知れた、庶民の新兵たちであった。
シャハロは憐みをこめた目で、冷たい言葉を投げかける。
「何も。食べるものを分け与えただけです。お疑いなら……」
目くばせされた河の民は、荷馬車の中から果物をひとつ取り出して、齧ってみせる。
シャハロは微笑を浮かべながら、男たちにも勧めた。
「どうぞ、お好きなだけ」
男たちは顔を見合わせはしたが、すぐに倒れた仲間の身体を放り出すと、幌の中へと駆け込む。
その身体が地面の上に、ぐったりと滑り落ちてくるまでには、たいして時間はかからなかった。
一部始終を見届けたシャハロは、兵士たちに向き直って、肩をすくめてみせる。
「こういうことです……お分かりでしょうか、ジュダイヤの軍勢がたどる運命が」
ケイファドキャの兵士たちは、もはや言葉も出ない。
さらに、シャハロは種明かしまでしてみせた。
「どの食べ物に毒が仕込まれているかは、私たちにしか分かりません。要塞の中で生き残れる者は、ほとんどいないでしょう」
美しく華奢な男装の娘は、恐ろしいことを平然と口にした。
要塞を包囲する兵士たちの足が揃って一歩引いた分、シャハロは足を踏み出した。
「ジュダイヤを捨てた私と、その国に同胞を殺された民の策、どうぞお受けください」
そう言いながら、河の民に目で合図して、倒れた男たちを荷馬車の中へと運び込ませたシャハロは、有無を言わせずダメ押しの説明を加える。
「襲ってきたケイファドキャの兵士だと言えば、私たちが怪しまれることもないでしょう」
その言い訳は、通ったらしい。
やがて、毒を仕込んだ食糧を山と積んだ荷馬車の群れは、ケイファドキャの囲みの内側へと通された。
シャハロの連れてきた荷馬車が近づくと、要塞の鉄扉はもどかしげに動きはじめた。
それが少しずつ開いていくのにつれて、あふれてくる歓呼の声も大きくなっていく。
「姫様万歳!」
「ジュダイヤに栄あれ!」
「飯! メシ!」
シャハロの使いによって、もう、王国の姫の来訪と、食料の調達は要塞中に知れ渡っていたのだろう。
荷馬車の一群が門をくぐると、身分や階級の上下を問わず、やせ細って目ばかりぎらつかせた男たちが押し寄せてくる。
それを制したのは、疲れのなかにも凛としたものを保った、ひとりの若者の声であった。
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