第30話 姫君との秘密の会話、再び

「静まれ! ジュダイヤ王国の誇りを忘れたか!」

 白いマントの下に銀色に輝く鎧をまとって、ヨファが騎士たちと共に現れる。

 貴族たちは居住まいを正して、恥ずかしげに黙ってうつむいた。

 庶民たちは庶民たちで、後のお咎めを恐れたのか、何事もなかったかのように知らんぷりをする。

 身分それぞれの思惑が見て取れる静寂の中、ヨファを初めとする騎士たちは、先頭の荷馬車が目の前で止まると、恭しくひざまずいた。

「かような戦場までお越しくださるとは恐縮です、シャハローミ様」

 だが、その場の雰囲気は、沸き返る笑いで一気に緩んだ。 

 荷馬車の幌の中から恐る恐る顔を出したのは、ナレイだったのである。

「ええと、僕……どうしたら」

 気まずい雰囲気の中、馬車から見下ろす庶民の前に膝を折る形になったヨファは、苦々しげに尋ねた。

「姫君はどちらに?」

 いちばん後ろの荷馬車から、冷たく突き放すようなシャハロの声がした。

「こちらです、ヨフアハン!」

 失笑の中、ヨファは慌ててシャハロを迎えに、小走りで駆け出す。

 その後ろで、ナレイはまだ、荷馬車から下りるきっかけをつかめないでいる様子だった。

 シャハロはというと、ヨファが再びひざまずく前に、自分で幌の中から飛び出す。

 騎士たちがナレイを荷馬車から引き下ろすのを見咎めると、厳しく見咎めた。

「その手をお放しなさい!」

 すかさずヨファは弁解した。

「身分の低い兵士です。手柄を口実に姫君に近づいて、むやみにご無礼を働かないようにと」

 その場に集まった一同の目が、シャハロとナレイ、そしてヨファに注がれていた。

 シャハロはヨファの歓待を、適当にあしらう。

「そうね、こんな回りくどいこと、ナレイじゃなかったら誰がやるの?」

 シャハロの真意を察したのか、河の民たちがベルトに仕込んだ軟剣を閃かせる。

 あっという間に荷馬車の幌は、ばらばらと崩れ落ちた。 

 現れたのは、山と積まれた食糧の山、そして、満腹で高いびきをかいている庶民の新兵たちである。

 階級と身分の低い兵士たちの口からは、歓声と罵声がいっぺんに上がる。

「やった! 」

「食い物だ!」 

「てめえら先にどんだけ食いやがった!」

「ありがとう、ナレイ!」

 その声は次第に、ナレイ、ナレイの大合唱に変わっていく。

 若い貴族が食料に手を伸ばそうとすると、シャハロの前にひざまずいたまま、ヨファが凄まじい目つきで睨みつける。

 庶民の兵士たちがてんでに欲しいものを持ち去っていく中、いつの間にかナレイも連れ去られていた。

 残った貴族たちは、婚約者の前で見栄を張るヨファを恨めしげに見つめている。

 それを察したのか、シャハロは微笑みと共に言い渡した。

「貴族の屋敷でも庶民の家でも、赤ん坊はお腹が空けば、母親のお乳を欲しがって泣くものです」 


 その晩、満腹と疲れで、ナレイは仲間たちと、要塞の中に与えられた小屋でぐっすりと眠った。

 だが、月明かりの差し込む窓から落ちる影に、ふと目を覚ます。

 見下ろしているのは、昼間に会った、シャハロの使いだった。

「お呼びです。ご案内いたします」

 外に出ると、建物の角を曲がる影が、ちらりと見えた。

 それを追っていくと、何本もの太い木が植えられた、見たこともない庭があった。

 月の光の下には、男装の華奢な影が立っている。

 シャハロだ。

「ナレイ!」

 音もなく駆け寄ったシャハロは、その薄い胸を押し付けながらしがみついてくる。

「シャハロ、人が……」

 うろたえるナレイの耳元で、シャハロは囁いた。

「来ない場所を探したの。大丈夫」

 ふたりは木の陰に隠れる。

 そこでようやく、ナレイは昼間に聞けなかったことを尋ねることができた。

「どうして、こんなところまで?」

「助けに来たの……っていうのは、嘘。ナレイたちがこんなことになってるなんて、ジュダイヤでは誰も知らないわ」

「まさか……」

「そのくらい、徹底した包囲なのよ」

「じゃあ、何のために?」

「逃げてきたの……お父様から」

 父親の名を、シャハロは憎々しげに口にした。

「そんな……王様のことを」

「城の中で、噂が立ってるの。私が王家の血を引いていないって」

 シャハロがケイファドキャの兵士の前で口にしたことは、あながち、デタラメでもなかったのだ。

「兄弟も姉妹も、みんな知ってる。口には出さないけど、ひどいもんよ。私と会うたびに知らん顔したり、侍女たちまでけしかけて、廊下ですれ違うたびに含み笑いをさせたりするの……城の中を庶民の小娘が歩き回ってるって」

 ナレイは、怪訝そうに尋ねる。

「王様は、何にも言わないの? あんなにシャハロのこと……」

 シャハロは、しがみつく指に力をこめた。

「お父様……じゃない、あの男も、それ、真に受けてるみたいなの。あの目、娘を見る目つきじゃないわ、もう」

 恥ずかしさと怒りに震える声に、ナレイは話を変えた。

「どうやって、お城を出てきたの?」

「兄弟姉妹やエライ人たちを玉座の前に集めて、言ってやったの。戦場にいる婚約者を見舞いたいって」

 誇らしげに言うシャハロに、ナレイは相槌を打つ。

「よく許してくれたね」

「ダメとは言えないわよ。ヨファは押し付けたのはあの男なんだから」

 得意満面のシャハロは、話を続ける。

「不思議なことがあってね……城を出るとき乗った馬を出してくれたおじさんが、草の葉の包みをくれたの。河を渡れなかったら、これを流せって。その通りにしたら、あの人たちが向こう岸に現れて、河を渡してくれたの。そこで教えてもらったの。ナレイたちが要塞に閉じ込められてるって。そこで、要塞の兵隊に毒を盛る話を思いついたってわけ」

 その勢いに、ナレイはハマについて触れる機会を失ったようだった。

 代わりに、ふと尋ねる。

「あのお使いの人は?」

 シャハロは、急に声を低めた。

「気を付けて。あれは手先よ。たぶん、もう要塞にはいないわ。ジュダイヤに、助けを呼びに行ったのよ。私が、王のもとに帰れないから。生きては帰れるでしょうけど……もう、ナレイとのことは筒抜けね」

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