第7話 恋人を守るための路地裏のお約束の死闘
早くこの路地を抜け出すことを最優先するなら、方法はひとつしかなかった。
「今、シャハロだけなんだよ。この馬、走らせられるの」
乗り手さえ決めてしまえば、ナレイでもその後ろに這い上がるくらいはできる。
だが、シャハロはそれをどこまでも嫌がった。
「イヤ! 絶対に!」
男装の薄い胸を抱えて、露骨にそっぽを向く。
ナレイはおろおろしながら、さっきまでの余裕はどこへやら、姫君の顔色をうかがう。
「どうしてさ?」
シャハロは、横目で厳しく睨みつける。
さらに、厳しい口調で問い返した。
「ナレイが私を助け出してくれるんでしょう?」
「……そうだけど」
怪訝そうに答えるナレイを、シャハロは更に責め立てる。
「私が馬に乗って、ナレイが後ろからしがみついたら……変でしょ」
そこで突然、ナレイが声を上げた。
「早く馬に!」
だが、ここでシャハロはつまらない意地を張った。
「何よ! ちょっとうまく行ってるからって、私に指図?」
そういうわけではなかった。
少し傾いた月を背に、新たに現れた男の大きな影があったのだった。
「おや、お若いの、こんな夜中に喧嘩かい?」
声をかけたのはひとりだったが、それを合図に向かい合って路地に集まった男は、何人もいる。
ナレイはシャハロに向かって、相手にするなと首を振る。
だが、男装の姫君は振り向きもしないで答えた。
「ご心配なく、収まりましたから」
だが、男たちはシャハロに向かって手を伸ばす。
「いや、おれたちが治まんないんだな……お嬢ちゃん」
暗がりの中にいる華奢な影が少女のものだと知って、男たちの鼻息はいささか荒くなっていた。
ナレイあ、馬をつないだ縄をほどきにかかる。
「逃げろ! これに乗って!」
「もう無理ね。挟まれてる」
そう言うなり、迫る男をシャハロがしなやかな脚で蹴り上げた。
顎を抑えてのけぞる男が持っていた長い棒を、夜目にも白い手が掴む。
このアマ、と叫んで襲いかかったのが、身体を真っぷたつに折って倒れた。
さらに後ろから掴みかかった男の顔面は、棒を支えに宙を舞ったシャハロのサンダルを真っ向から食らう。
だが、それが限界だった。
大きく伸びた足を横から掴まれて、シャハロは地面に背中から落ちた。
「離して!」
悲鳴に近い声が路地に響き渡る。
それが余計に男たちを刺激したようだった。
もう片方の足を掴まれ、股を大きく開かれる。
屈辱にも声を立てまいとしたのか、唇が固く結ばれた。
「やめろ!」
叫んで駆け寄ろうとしたナレイにも、男たちが迫った。
暗がりの中、いくつもの手が伸びる。
こちらのほうは、悲鳴が上がった。
「ひええっ!」
自分で自分の脚に蹴つまずいて、ナレイは地面に転がった。
その後ろで、何人もが倒れる音がする。
捕まえようとしたナレイに鼻先で逃げられた男たちが、勝手に鉢合わせて転んだのだ。
だが、そんなことには構わず、ナレイは立ち上がろうと手をじたばたさせる。
そこで手に触れたのは、シャハロが落とした棒だった。
「ナレイ!」
とうとう助けを求める声が聞こえて、ナレイは棒を杖に立ち上がった。
もがくシャハロを押さえ込むのに気を取られて、男ふたりがそれに気づく様子もない。
ナレイが目をつむって続けざまに振り下ろした棒が、その脳天を過たず捉えた。
男たちは、呻き声を立てて地面に転がると、そのまま動かなくなった。
シャハロもまた、手足を伸ばして倒れている。
「大丈夫……?」
しゃがみ込んで助け起こそうとしたナレイだったが、その上に大きな影が覆いかぶさった。
最初に声をかけてきた男だった。
「ナメた真似してくれるじゃねえか」
ナレイは立ち上がるなり、棒を叩きつける。
だが、それは簡単にもぎ取られたばかりか、あっさりとへし折られてしまった。
さらに男の脚が蹴り上げられると、ナレイは毬のように宙を舞う。
よほどの勢いだったのだろう、高々と吹き飛んだ身体はなかなか落ちてこなかった。
最後に残った男は、ぐったりと横たわったまま動かないシャハロの上にのしかかる。
やがて、路地には人というより獣に近い、甲高い声が響き渡った。
それからしばらく後のことである。
路地裏に倒れた何人もの男を、1頭の馬が見下ろしていた。
どうやら、さっきのごたごたで縄がつないでいた縄がほどけたらしい。
いや、最初に身体を起こしたのは、男装の少女である。
「ここは……」
しばし茫然としていたが、自分に何が起こったのかすぐに思い出したらしく、身体を抱えて震えだした。
やがて膝でにじり寄っていったのは、馬のそばに倒れている少年である。
「ナレイ……」
囁きと共に揺すり起こされた少年は、すぐに跳ね起きた。
「あいつらは……?」
シャハロは答えもしないで、ナレイにすがりつくとむせび泣いた。
ナレイはその背中を抱きしめそうになったが、手を引っ込めるとすぐ、シャハロを促した。
「頼みます、馬を……」
だが、返ってきたのは泣きじゃくる声だけだった。
「ダメ……私、乗れない」
「そんなこと言われたって……じゃあ、帰る? お城へ」
シャハロは涙で濡れた顔をナレイの胸にすりつけて拒んだ。
その頭の上で、馬がぶるると唸る。
ナレイは意を決したように言った。
「乗るよ……僕が。僕が馬に乗る!」
そうは言っても、いわゆる裸馬である。鞍も鐙も付けていない。
しかも、ナレイは馬にまたがったことなどないのだった。
ただ茫然と立ち尽くしていると、馬が再びぶるると息を吐いて頭を下げた。
シャハロが涙声で告げる。
「首から……首から乗るの、ナレイ」
おそるおそる馬のたてがみに手をかけて、言われるままによじ登ろうとする。
すると、馬が頭を起こして、ナレイの身体は、馬の背中に乗っかっていた。
「これでいい?」
頷くシャハロに手を差し伸べる。
差し出された手を掴んだシャハロは、それを支えに自分でナレイの後ろに乗った。
その時だった。
遠くから、角笛の音が高らかに響いてきた。
城の方角だった。
ナレイが怪訝そうにつぶやく。
「あれは……」
シャハロがいつもの厳しい口調で囁いた。
「急いで! 父上の親衛隊よ。気づかれたんだわ、私が抜け出したの!」
だが、馬にまたがるのがやっとだったナレイが、それを思い通りに操れるわけがない。
あたふたしていると、シャハロは両足の踵で馬の腹を打った。
馬は路地をとことこ歩き出す。
シャハロはイライラと叫んだ。
「走らせてよ、ナレイ」
「そんな無茶な」
手綱を持ったまま、おろおろと答える。
とりあえず引っぱると、馬は止まった。
「そうじゃなくて!」
金切り声でシャハロが焦る。
ナレイも慌てふためくしかない。
「だから知らないって!」
乗り手が叫ぶが早いか、馬は急に走りだした。
だが、シャハロはそれでも納得しない。
「知ってるの? どっちへ行くか」
「知ってるけど!」
どうやって馬を進めればよいかなど、ナレイが知るはずもない。
馬はと言えば、あっというまに路地を飛び出し、広い通りを一散に駆けていく。
「ナレイ! こっちでいいの!」
「ハマさんの話では!」
それ以上、ふたりが言葉を交わすことはなかった。
馬が速すぎて、舌を噛む恐れがあったからだろう。
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