第8話 騎士団をやり過ごせ……虚々実々

 どのくらい走ったかは分からない。

 ナレイたちを載せた馬はもう街を抜け出して、家もまばらな道を駆けていた。

「ここで休もう」

「どうして!」

 ナレイの身体を抱える手に、ぐっと力がこもった。

 薄い胸を背中に押し付けられて、ナレイは言葉に詰まる。

 だが、理由を告げないままに手綱は引かれ、馬は荒い息をついて止まった。

 道端には、古い神の祠が建てられている。

 シャハロは不満げな顔で、馬上からひらりと舞い降りた。

その後から、ナレイはのこのこと馬を降りる。

「ハマさんに言われたんだ、城下を抜けて月が目の前に見えるまで走ったら、馬を休ませろって」

 城を出る時は高く昇っていた月は、いつの間にか大きく傾いている。

 祠といっても石造りの大きなもの奥行きもあり、その裏に回れば充分に人目を避けることはできた。

 その陰に、馬を引いて隠れる。

 シャハロは草の上に腰を下ろして、足を投げ出した。

「馬が倒れて国境までたどりつけなくなる……そういうことね」

 深いため息をついて、夜空を仰いだ。

 ナレイも、その隣に腰を下ろす。

「こっちの街道をハマさんが選んだのは、国境の向こうの国と戦をしていないから。関所もないから、すぐに通り抜けられる。でも、あの路地で足止めを食った……その分、急がないと」

 追手の親衛隊が迫っているというのに、その声に焦りはない。

 むしろ、夢見心地だった。

 シャハロもまた、俯いて何か考え込んでいるようだった。

 ナレイはそれをちらちらと気にしながらも、声を掛けようとはしない。

 何人もの男たちに襲われて、気を失うほど恐ろしい目に遭ったのだ。

 そっとしておこうという気持ちが働いたのだろう。

 だが、しばしの沈黙の後、口を開いたのはシャハロのほうだった。

「ねえ、何があったの? あの後」

 どこまで覚えていて、どこから記憶がないのか、それは本人にしか分からるまい。

 だが、気丈にも、知らない間のことを敢えて聞こうとする。

 その姫君に、ナレイは目を見張った。

 もっとも、聞かれても答えられはしない。

 男に蹴り上げられて宙を舞ってからは、シャハロと同じく、すっかり気を失っていたのだった。

 それでも、何とか答えようとはする。

「馬が……暴れたんじゃないかな」

「……そう」

 シャハロは、再び深い息をついた。

 ふたたび口を固くつぐむ。

 ナレイは慌てて、話を続けた。

「それで、つないであった縄がほどけて、最後のあの男を蹴っ飛ばしたんだよ、たぶん」

 そこで初めて、シャハロはナレイを見て笑った。

「……ありがとう」

 全く脈絡のないことを言うと、馬って気が小さいからね、と付け加えた。

 だが、その顔つきは急に変わった。

 すらりとした姿で立ち上がったシャハロは、微かな声で告げた。

「聞こえない? ……蹄の音」

 ナレイは首を傾げて、耳を澄ます。

「そういえば……」

 シャハロはその傍らに屈みこんで尋ねた。

「どうするの? 逃げないと、追いつかれちゃうわ」

 だが、ナレイはすぐに答えた。

「隠れていよう、このまま。馬の息づかいをよく聞け、って、ハマさんが」

 シャハロは立ち上がると、馬に寄り添った。

 たてがみを優しく撫でる。

「そうね……まだ、汗もかいてる。国境までは走れないわね」

 シャハロが手綱を取ると、馬は大人しく草の上にしゃがみ込んだ。

 そこで今度は、ナレイが低い声で告げる。

「来た!」

 人馬の影が何騎か、祠の前を駆け過ぎていった。

 息を殺して、身体をすくめる。

 しばらく待つと、蹄の音は次第に遠ざかって聞こえなくなった。

 シャハロが囁いた。

「行っちゃったみたいね」

 だが、ナレイは首を横に振った。

「でも、このまま出たら、あの後を追いかけることになるよ」

「じゃあ、戻ってくるのを待てばいいわ」

 シャハロはいつもの調子で、さらりと答えた。

 ナレイはというと、話がよく呑み込めていない様子である。

「どうして、戻ってくるって分かるの?」

 心配そうに尋ねると、城の内部事情をよく知るシャハロは、自慢げに答えた。

「聞いたでしょう? あの角笛。あれは、王族に何かあったのを見つけた、って知らせ。だから、私たちを探しに来たの。見つけたら、その場で角笛を吹くわ。でも、見つからなかったら、その報告をしなくちゃいけない。だから、もと来た道を戻ってくるはずよ」

 そう言っている間に、人馬の去った方向から、再び蹄の音が聞こえてきた。

 ナレイが感心する。

「……本当だ」

 間もなく、戻ってきた親衛隊の馬が、祠の前を通り過ぎていった。

 その蹄の音が消えるのを待って、シャハロは馬を立たせた。

「じゃあ、今度は私が……ナレイじゃ頼りないから」

 そう言うなり街道に馬を引き出すと、ひらりとまたがる。

「乗って!」

 差し出された手を、今度はナレイが取った。

 シャハロの後ろにまたがると、その腰に手を回したり、引っ込めたりする。

 苛立ちの声が、それを叱り飛ばした。

「つかまるんなら、早く! 言っとくけど、おかしなことしたら振り落とすからね!」

 その時だった。

 親衛隊が駆け戻った方から、角笛の音が遠く響いてきた。

 ナレイが、茫然とつぶやいた。

「見つかってた……?」

 シャハロが低く呻く。

「ごめん……あっちが一枚上手だった。たぶん、ヨファの仕業よ」

 忌々し気に婚約者の名を口にすると、ハッと叫んで馬の首を手綱で叩いた。


 月は、次第に低く傾いていく。

 だが、どれだけ走っても、親衛隊が追いすがってくる気配はなかった。

 シャハロが囁く。

「変ね……」

「何が?」

「たぶん、人数を集めてくると思うんだけど」

「それに手間取ってるんじゃないの?」

「それにしたって、さっき来たのが、また追いかけてきてもよさそうなもんじゃない」

 そうこうしているうちに、国境が近いことを告げる標識が見えてきた。

 ナレイが尋ねる。

「……本当に、いいんだね?」

「くどい」

「国境を越えたら、もう、お姫様じゃないんだよ」

「親が勝手に決めた相手と結婚させられるよりマシよ」

 そう言い切って、シャハロは馬を駆る。

 ナレイはそれ以上、何も言わなかった。

 馬上のふたりが言葉を交わさないまま、時が過ぎる。

 やがて、ジュダイヤの国の果てを示す大きな標識が見えてきた。

 手綱を取るシャハロが安堵の息をつくかと思いきや、聞こえてきたのは不審げな呟きだった。

「何だろ、あれ」

 地平線すれすれまで、大きな月が落ちていた。

 そこから街道沿いにやってきたかのような人の群れが、こちらに向かってくる。

 人数といい、手にした剣や刀、槍などといい、どう見ても、普通の旅人たちではない。

 シャハロのため息が聞こえた。

「どうしよう……」

 それ以上、馬は進まなかった。

 シャハロが手綱を引いたのだ。

「ここで諦めるっていうんなら、それでもいいけど」

 ナレイは、さっきと同じことを言う。

 進むも退くも、シャハロが決めることだった。

 だが、何の返事もない。

 ナレイは再び尋ねた。

「もう、お城に帰る?」

 返事はなかった。

 連れ出してくれと言いだした本人が首を縦に振れば、ナレイは何事もなかったように帰るだけだ。

 城に帰れば、シャハロは国王の決めた勇敢で優秀な美男子と結婚することになる。

 ハマは、根性なしと怒鳴って張り倒すかもしれない。

 だが、使用人風情がどうこう言うことではない。

 ナレイも、それは分かっていた。

 頭では。

 口のほうはというと、勝手にこう言っていた。 

「このまま行くしかない」

 間違ってはいない。

 シャハロが頷かないということは、城に帰る気はないということだ。

 もっとも、手綱を握られているので、馬はまだ動かなかった。 

 こういうときは、僕の出番だ。

 馬の背中から下りて、轡を取る。

 通用門を出入りする馬車を引き入れるとき、いつもやっていることだった。

 思いのほか、馬は素直に歩きだす。

「ナレイ! ちょっと!」

 シャハロは声を上げはしたが、どうしようという様子もない。

 轡を取られた馬は、そのまま道を進んでいく。

 やがて、武器を手にした行列の先頭が、目の前に見えてきた。

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