第33話 救国の姫君

 ナレイにとっては、困ったことになった。

 庶民の新兵が横たわる部屋で、考え込む。

 もともとは、ジュダイヤ側が毒入りの食糧で倒れ、疲れ切って動けないふりをする手はずだったのだ。

「サイレアの勇者か……」

 ナレイが自分で言ったこととはいえ、要塞には強い味方がついたことになってしまった。

 ケイファドキャの兵士たちに警戒されては、元も子もない。

「言い張るしかないよな、そんなのいないって……」

 そのためには、降伏の使いが、見るからに弱りきっている必要がある。

 つまり、ナレイだ。

 他の兵士たちは、何とか火を使わない食事で凌ぐことができる。

 だが、ナレイだけは水を飲んで過ごす羽目になった。

 生きている気配をなくすため、朝から晩まで寝て過ごさなければならないにしても、これはやはりつらかった。

 シャハロに会うこともできない。

 もともと、できない相談だった。

 実際のところはどうであれ、表向きはヨファという婚約者がいるのだ。

 シャハロがこの要塞に来たときは、人目にかからないよう、間を取り持ってくれた使いがいた。

 だが、それは王様が放った、お目付け役だったらしい。

 その男も、要塞が包囲されたのをジュダイヤへ伝えるために帰ってしまっている。

 無理なものは無理だと、自分に言い聞かせるより他はなかった。

「ただでさえ、難しい立場なんだ」

 シャハロには、王様の実の子ではないという噂が立っている。

 城の中では、数多の兄弟の間で肩身の狭い思いをしてきたのだ。

 ましてや、敵に包囲された要塞の中で、余計な混乱を引き起こすべきではなかった。


 小屋の中で横になりながらナレイがぶつくさ言っているうちに、作戦の日の朝がやってきた。

 空腹を抱えてふらふら立ち上がると、小屋の中で仲間たちが励ましてくれた。

「頼んだぜ」

「大丈夫、大丈夫!」

「生きて帰って来いよ!」

 そう言いながら、そこらに落ちているような棒きれを渡してくる。

 だが、これは杖にすると、思いのほか役に立った。

 これにしがみつくと、なんとか、要塞の鉄扉まで足を引きずっていくことができた。

 そこで待っていたのは、要塞のあちこちから集まった兵士たちだった。

 誰もが、熱い目でナレイを見ている。

 戸惑いながらも、ナレイは笑ってみせた。

 立ち並ぶ兵士たちの向こうで、シャハロが微笑んでいたからである。

 唇の微かな動きは、微かにこう言っている。

「行ってらっしゃい」

 もっとも、そのすぐ隣には、当然のようにヨファが立っていた。

 その眼差しは、冷たい。

 でも、そう感じているのをヨファに悟られまいとでもするかのように、ナレイは門の前へ小走りに駆け寄ると、近くにいる兵士に囁く。

「開けてください」

 鉄の扉が動き始めると、危ないからなのだろう、兵士たちはすぐにその場を離れていった。

 ヨファが連れていこうとしたシャハロは、その手をふりほどいてナレイを見送ろうとしたが、すぐに引き戻された。

 ナレイが追いかけようとしたところで、シャハロは振り向いて首を振った。

「行きなさい、ナレイバウス」

 いつものシャハロとは違う姫君の声に、ナレイは引き締まった面持ちで、背の高さほどに開いた扉から要塞の外へ出た。

 丘を麓で取り囲む、ケイファドキャの陣地が黒々と見える。

 斜面を降りていくと、ナレイの身体は芝居抜きに右へ左へよろけた。

 その姿が見えたのか、麓からは微かに歓声が聞こえはじめる。

 ケイファドキャの陣地についたときは、耳を聾せんばかりの大騒ぎが始まっていた。

「やった!」

「ひとり出てきたぞ!」

「こっち来い!」

 勝利に酔いしれた兵士たちが、上官のもとへナレイを引きずっていく。

 その前に膝から崩れ落ちると、ナレイは全身から声を絞りだした。

 腹が減っているのに任せて、力ない声で、勝手に嘘八百を並べたてる。

「もう、いけません。運ばれてきた食い物に毒が仕込まれていて、生き残ったものは抵抗もできずに、腕っぷしの強い男たちに捕まっています。全員殺すつもりはないようで、死体の始末をさせる分だけは残しておいて、降伏を勧めています。私らにも意地がありますから、援軍を待っておりましたが、もう、参りました」

 やがて、ナレイを先頭に立てて、ケイファドキャの部隊がひとつ、動きだした。

 人数がそれほど多くないのは、精鋭たちだからであろう。

 戦える要塞の兵士の数を見誤っているのは明らかだったが、それを要塞のジュダイヤ軍が見逃すはずがない。

 ケイファドキャの部隊が丘の中腹に差し掛かった頃、要塞から、角笛の音が高らかに鳴り響いた。

「何だ?」

「死んだんじゃなかったのか? あの連中」

「開いたぞ! 要塞の扉!」

 兵士たちがうろたえ騒ぐ。

 そこへ、ジュダイヤの軍勢が押し寄せてきた。

 白馬にまたがった銀の鎧の騎士……ヨフアハンが、先頭で剣を高々とかざして、他の騎士たちに呼びかける。

「時は来た! 今こそ、我々の力を示せ! 死を恐れるな! 囚われの身となったことを恥じよ!」

 その恥をすすぐのは今しかないという勢いで、騎士たちの乗った馬は丘の斜面を駆け降りてくる。

 ケイファドキャの急襲部隊は、総崩れとなった。

「逃げるぞ!」

 口々に叫んで、転がるようにして丘を駆け降りる。

 後に残されたナレイは、すぐそばをすり抜けていく騎士たちに振り向いて叫んだ。

「待ってください!」

 ジュダイヤの軍勢も、いったん退却することになっていたはずだった。

 丘を登って反撃してくるケイファドキャの兵士たちの背中は、ジュダイヤ本国の軍勢の前に晒されることになる。

 それが本来の狙いだったのだが、ナレイの声が騎士たちに届くことはなかった。

 ヨファが、部下たちをけしかけていたからだ。

「私に続け!」

 馬に乗った斬り込み部隊は、ケイファドキャの陣地深く斬り込んでいく。

 ナレイの話など、誰も聞いてはいなかった。

「戻ってください! 逃げられなくなります!」

 斬り込まれた陣地は、あっという間に総崩れになる。

 だが、それを埋め合わせようとするかのように、ケイファドキャの兵士たちの群れがなだれ込んできた。

 でも、その上にまだ、悪いことが重なった。

 ナレイがつぶやく。

「間が悪すぎる」

 麓の陣形が、変わっていく。

 何かの命令に従って、ケイファドキャの兵士たちが動いているのだ。

 やがて、その兵士たちは揃って、ジュダイヤの方角を向いた。

 その先では、やってくる人馬の群れが土煙を立てている。

 ジュダイヤの援軍だった。

 だが、ケイファドキャ側もまた、大軍勢である。正面からぶつかれば、勝てないかもしれない。

「いけない……これじゃ」 

 つぶやくナレイの後ろで、鋭く叫ぶ声があった。

「敵の背後を突きなさい!」 

 それは、姫君としての、シャハロの命令だった。

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