第34話 帰還と共に迫る命の危機

 ジュダイヤへの帰還は早かった。

 あの激流を渡るのにも、河の民の手を借りることはなかった。

 援軍を送るために国王が造らせた船が、そのまま待っていたのだ。

 川を渡り切ったところで、シャハロは河の民を労った。

「活きて帰れるのも、あなた方のおかげです。望みがあれば、出来る限り叶えましょう」

 シャハロを守ってきた無口な河の民のひとりが、ぼそりと答えた。

「我らにこの川をお任せください」

 欲のない、しかし切実な願いに、ジュダイヤの末の姫は微笑と共に答えた。

「誰に断ることもない。ここはあなた方の川です」


 ケイファドキャから帰還した遠征軍は、歓呼の声で迎えられた。

 城の正門へと続く、街の目抜き通りを凱旋する。

「やったぞ!」

「ジュダイヤ万歳!」

「姫様が要塞を奪い取ったってよ!」

「いや、婚約者のヨフアハン様が、敵の囲みを破って……」

 人々の噂に上る姫君と婿殿は、凱旋する隊列の先頭にいた。

 白馬の背中で、シャハロは手綱を握るヨファに後ろから抱えられている。

 道端に立ち並ぶ人々に手を振って応えはするが、その目は笑っていなかった。

 その傍らを固めているのは、ナレイが率いる庶民の新兵たちである。

「帰ったぞ!」

「見てるか、母ちゃん!」

 はしゃぐ部下たちに、ナレイは目もくれなかった。

 ただ、まっすぐ顔を上げる。

 その先には、白馬にまたがって斜めに見下ろすヨファがいた。


 城の門をくぐると、凱旋した遠征軍は、国王の住まう宮殿の前に通された。

 バルコニーの前に、兵士たちが整列する。

 やがて、国王がその王子と王女たちをあまた引き連れて現れた。

 よく晴れた空に高々と手を差し上げて、遠征軍の生還を称える。

「艱難辛苦を乗り越えて、よくぞ凱旋した! 我が兵よ! ヘイリオルデは国王として深くこれを嘉し……」

 そこから先は、兵士たちの歓声にかき消された。

 身分はどうあれ、十分すぎるほどの褒賞が約束されたのである。

 その場の興奮が冷めやらぬ中、ヨファとシャハロを側に招く。

 ヨファが、すました顔をしたシャハロの手を取って、バルコニーへと上がった。

 国王は、シャハロが傍らに控えたのを確かめると、ひざまずくヨファに歩み寄った。

「駆け付けた援軍の前に、敵の囲みを破って現れたそうだな」

「決死の中央突破でございました。生きて帰れたのが不思議なくらいでございます」

 ヨファに顔を上げさせると、その活躍を国王は満足げに賞賛した。

「余も、そうしてきたのだ。姫を与えるにふさわしい働きであった」

 その後ろから、シャハロが口を挟んだ。

「約束をお忘れではありませんか?」

 そちらへ振り向きながら、国王は言葉を続けた。

「忘れてはおらん。ヨフアハン、我が娘、シャハローミとの結婚を許すぞ」

 ヨファは感極まったという様子で頭を下げる。

「あり難き幸せにございます」

 だが、シャハロがバルコニーから身を乗り出して、声を上げた。

「ナレイ! ナレイバウス! 前へ出なさい!」

 すぐさま、ナレイは並み居る兵士たちの前へ出た。

 バルコニーの前にひざまずく。

 国王は手すりの辺りへ歩み出ることもしなかった。

 素っ気なく、ひと息でシャハロに告げる。

「生きて帰った以上、お前を連れ出したナレイバウスの罪は問わぬ」


 そこで、シャハロは国王の前に膝を折った。

「私の伴侶への寛大なお言葉に感謝いたします」

 国王の眉が不審げに曇った。

「伴侶? 寛大? ヨフアハンが何をしたというのだ?」

 シャハロはややこしい口上を、とうとうと述べたてる。

「後の問いへのお答えを先にさせていただくなら、名誉あっての騎士でございますゆえ、それは申しますまい。後になって先の問いに答えさせていただくなら……」

 顔を上げて、国王を真っ向から見据える。

「取るべき命をお与えくださったナレイバウスのために、私は王女の身分を捨てとう存じます」

 そう言うなり、バネが弾けたときのような勢いで、バルコニーから駆け降りた。

 残された国王の後ろで、大勢の兄や姉が高らかに笑う。

「所詮は、下賤の女の娘ね」

「王家の血を引いていないというのは本当かもしれんな」

「好きなようにしろ、止めはせん」


 バルコニーの下も、大騒ぎになった。

 たくさんの褒美で舞い上がったところに意外な出来事が起こって、兵士たちが一気に盛り上がったのだ。

「玉の輿じゃねえか、ナレイ!」

「いや、王様が許さねえだろう」

「連れて逃げちまえ!」

 だが、国王はただ、立ち尽くすばかりだった。

 先に、ヨファのほうが我に返る。

 まるで自分が国王になったかのように、バルコニーの上から騎士たちへの命令を下した。

「兵たちを鎮めよ!」

 だが、騎士たちの数は遥かに少なく、騒ぐ兵士たちをなだめることなどできるはずもなかった。

 ヨファは、苛立たしげに叫んだ。

「何をしているか!」

 バルコニーの手すりを掴んで、ひらりと飛び降りる。

 たまたまその場にいた兵士に向かって、剣をつきつけた。

「黙れ」

 他の騎士たちも、それに倣う。

 鞘から引き抜かれた刃が、ずらりと並ぶ。

 たちまち、兵士たちが喚きだした。

「おい、味方に剣を向けるのか?」

「面白い、斬ってみろコラ!」

 そう言いながらも、兵士たちは背中合わせに密集する。

 騎士たちは、一列に並んで前進した。

 剣の切っ先が、ひと突きで身体を貫く間合いまで近づく。

 それでも、兵士たちは、まだ鎮まらない。

「何だよ、生きて帰れたと思ったらコレか?」

「殺せるもんなら殺してみろ!」

 それぞれが、それぞれの武器を構えて騎士たちと向き合う。

 騎士たちの剣もまた、高々と振り上げられた。

 立ち上がったナレイが、貴族たちと庶民の兵士たちの間に飛び出す。

 その場の一同を眺め渡して、叫んだ。

「おやめください!」

 騎士たちも、兵士たちも、全員が電光に打たれたように立ち止まる。

 だが、ヨファの剣は止まらなかった。

 その刃が、兵士の首を刎ねにかかる。

「どいて!」

 ナレイは飛び込むように、兵士の身代わりに立つ。

 高く昇った太陽の光を、閃く刃が照り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る