第38話 特訓、再び
ハマは、戸口に立てかけておいたらしい杖をつきながら、小屋の裏に回る。
壁の大きな穴が、内側から懸けられた絨毯で塞がれていた。
使用人たちの小屋に窓がないという理由で、ハマが開けた大穴だった。
住まいについてぼやいた使用人たちは、その経緯をよく知っている。
その現場に誰ひとりとして近寄らないのは、そういうわけだった。
だから、ナレイとハマがここで何をしようと、気にする者は誰もいなかった。
「ありがとうございました……何だか、短い夢だったみたいな気もしますけど」
叩いてくれと言わんばかりに、ナレイの頭は深々と下げられる。
それを目の前に見据えて、杖にもたれたハマは低く唸った。
「お前、本気でそう思ってるのか」
答えるナレイは、真剣そのものだった。
媚びもへつらいも、嘘もごまかしもない。
「他の人の目で、ものを見ることを覚えたんです……ハマさんのおかげで」
杖を掴んで身体を起こしたハマの目が、ぎらりと光った。
ナレイが息を呑むと、くぐもった声が、間を置かずにたしなめた。
「俺が教えたのは、他の誰かになりすます技だ。最初から諦めることじゃない」
その言葉には、聞く者を圧する響きがある。
だが、ナレイは顔を上げると、いつになく食ってかかった。
「諦めたわけじゃありません。ただ、先のことが見えるようになったんです」
そこには、戦いの中を生き抜いたことで培われた自信と情熱があった。
だが、ハマは冷淡に話を受け流す。
「お前が見なくちゃいけないのは、生き延びた自分の姿だ」
腰を折られたのは、話だけではなかった。
ナレイは実際に、腰を折ったままで泣き言を口にした。
「でも、決闘じゃあ…… 僕には、ハッタリしかないんですよ!」
言い終わるか言い終わらないかのうちに、ハマの鉄拳が横殴りに風を切った。
歯を剥いた口から、荒い息が漏れる。
もんどりうって倒れたナレイは、青痣のできた頬を押さえながら、膝を突いて身体を起こした。
「僕は明日、ヨファと戦って必ず負けます。でも、諦める姿をシャハロに見せたくない。だから、死ぬまで戦います」
呻きながらも、その決意は確かな言葉で述べられた。
震える声で、ハマは尋ねた。
「じゃあ、シャハロの身になってみろ。どうしたいんだ、姫様は」
「それは……」
ナレイの言葉が途切れた。
温かい言葉が、不愛想に投げかけられる。
「それなら、死ぬんじゃない。絶対に」
それはまるで、謎かけのようでもあった。
ナレイは、すっかり混乱していた。
「じゃあ、逃げろって言うんですか? 最初から諦めるなって言ったじゃありませんか」
返ってきた答えは、単純だった。
「戦って、勝て」
「どうやって?」
戸惑うナレイに、ハマは皮肉たっぷりに聞き返した。
「お前にはハッタリしかないんじゃないのか?」
雷にでも打たれたかのように、ナレイの身体は動きを止めた。
やがて、両足を踏みしめて立ち上がる。
「教えてください、もう一度」
「いっぺんしか教えんから、よく見てろ」
ハマは、腰を落として身構える。
ナレイをじっと見据えたかと思うと、身体を大きく揺さぶりながら、杖を頭上へ振り上げた。
そのまま、足を踏み出す。
ナレイは片手をかざして身体をすくめたが、杖は頭上に降ってはこなかった。
きょとんとして手を下ろしたところで、足を払われて仰向けに倒れる。
それを見下ろしながら、ハマは尋ねた。
「何で、頭をかばった?」
「……そっちに来ると思ったから」
呆然としたまま、ナレイはぽつりと答えた。
ハマは大きく頷く。
「そういうことだ。杖と身体の勢いを見て、お前は勝手にそう思いこんだ」
「すると、ヨファも?」
そこで差し出された杖を、ナレイはハマとそっくりの動きで振り上げた。
ひと息だけ置いてから、足を払おうとする。
だが、それはハマに止められた。
「お前の腕じゃ、ヨファにはかすり傷もつけられんだろうよ」
「攻めなければ、勝てません」
困り果てるナレイに、ハマはさらりと言ってのけた。
「向こうもそう思うだろうよ」
「僕じゃ、かわせません」
「最初から、当たらない位置にいればいい」
「間を詰められるんじゃあ……」
「当たると思わせるには、お前がどうしたらいい?」
「僕がそう思ってるように思わせる……」
ナレイは杖を振り上げたまま、顔と身体をのけぞらせた。
満足げに、ハマはさらなる知恵をつける。
「動かなくてもいい。最後の一撃に備えて、力を溜めておけ」
「最後の……」
そこで考え込んでしまったナレイに、ハマは言った。
「難しく考えても仕方がない。サイレアの王族ならともかく、お前は自分にできることをしろ。相手が疲れ切っていれば、充分に勝てる。お前は疲れないように、ゆっくり動けばいい」
「サイレアの……王族?」
振り上げた杖を持つ手が、ぱたりと落ちる。
ハマはなぜか、そこで大真面目な顔をしてみせた。
「武勇も知略も、共に優れた人物が生まれる家でな。そういったことはたいてい、生まれつき身についていたらしい。特に、高く跳んで相手を脳天から唐竹割りにするなんていうのは、サイレアの勇者にもできない芸当だったというな」
それだけ言うと、ナレイから杖を受け取って帰っていった。
さっさと寝ろ、とだけ言い残して。
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