第13話 地獄耳の処刑人、説教と謎解き

 ナレイが使用人小屋に帰されたときには、もう日が暮れかかっていた。 

 確か、馬を牽いて城に帰ってきたのが昼頃である。

 つまり、地下牢と、城の中のどこかにある部屋で過ごした時間は、思いのほか長かったのだ。

 小屋の扉を閉めた途端、ナレイが泥人形のように崩れ落ちたのも、無理のないことだった。

 だが、その眠りも長くは続かなかった。

 何者かかが、小屋の戸をけたたましく叩いたのだ。

 こんな真似をする使用人は、ひとりしかいない。

 足下をふらつかせながら起き上がったナレイは、相手を確かめもせずに声をかけた。

「ハマさん……」

 扉を開けたところで、ナレイは絶句した。

 夕暮れのぼんやりした光を背に、四角い顔と身体をした馬丁が立っていた。

 その顔を見た途端、ナレイは、毛布のかかった反対側の壁まで跳びすさる。

 裸同然の姿ではあったが、理由はそればかりではない。

 深い眠りから目を覚ましたばかりでそんなことをさせるくらい、ハマの顔は無残に形を変えていた。

「無罪とはいかねえが……放免されたぞ、なんとか」

 それは、ナレイの制止も聞かず、ハマが暴れ回ったことを意味していた。

「何で……何で?」

 ナレイとしては、無茶をした理由が聞きたかったのだろう。 

 だが、ハマは見当違いの話をした。

「城へ入ろうとしてひと暴れしたんだが、衛兵に捕まっちまってな。あんな連中、昔なら何でもなかったんだが……」

「まず、座ってください」

 話を皆まで聞かずに、ナレイはランプに火を灯す。

 部屋が明るくなったところで、その口からは、改めて呻き声が漏れた。

 ハマは、自嘲気味につぶやく。

「こんな身体になっちまってはな」

 その身体には、胸から腹から手足から、醜い無数の傷跡が走っていた。

 ナレイは、ようやくのことで言葉を絞り出した。

「いったい、何が……」 

 膨れ上がった顔で、ハマは苦笑した。

「今日のことか? 昔のことか?」

 その返答はない。

 ハマは以前のように扉を背にして座り込んだ。

「昔のことは聞かねえでくれ。今日はと言えば、衛兵どもの詰め所に閉じ込められて、このザマよ。分かんねえのは、よく無事でいられたなってことぐれえだ」

「……すみません」

 目で止めたとはいえ、命がけで救いだしにかかったハマの前で、ナレイは膝を折った。

 だが、返ってきたのは不機嫌な怒声だった。

「謝るんじゃねえ! お前は間違っちゃいねえんだ!」

 殴られたせいで瞼が膨れ上がって入るが、その目は真剣である。

 それでも、ナレイは首を横に振った。

「やっぱり、僕には無理だったんです」

 軟弱なひと言に、ハマは再び身体を強張らせた。

 再びナレイを一喝するかとも見えたが、四角い男は、妙に畏まって平伏した。

「謝るのは俺の方だ」

「ハマさんが悪いんじゃありません」

 じたばたと、ナレイはその前に這い寄った。

 その目の前で、ハマはむっくらと身体を起こす。

「それがいけねえんだ」

 元通りの不機嫌さだった。

 ナレイはそこで、更にすくみ上る。 

「僕が、あんなことをしなければ」

「それをどう思ってんだ、姫様は」

 ハマが問い詰めにかかる。

 しどろもどろに、ナレイは答えた。

「それは、シャハロにしか」

「じゃあ、お前はどう思ってんだ」

 更に強い口調で、ハマは責め立てる。

 ナレイはますます小さくなって、口ごもった。

「僕は……使用人だから」

 すっかり怖気づいてしまったナレイに、ハマはため息交じりに尋ねた。

「それを何て言うか知ってるか」

「知りません」

 そこだけは、きっぱりした答えが帰ってきた。

 ハマは、溜めに溜めた怒りを爆発させる。

「奴隷根性ってんだ! そういうのを!」

 そのときだった。

 目を伏せて縮こまっていたナレイは、凄まじい目つきでハマを見据えた。

「僕は……」

 その後は、言葉にならない。

 だが、身体は小刻みに震えていた。

 ハマも声を荒らげる。

「だったら、すなおに悔しがれ! 怒れ! 俺を殴れ!」

 そこでナレイは、再びうつむいた。

 さっきまで怒りで満たされていたかのようだった身体も、静まり返っている。

「できません」

 腫れのせいで歪んだ顔をほころばせて、ハマは苦笑した。

 暗い天井を仰いでつぶやく。

「しくじったんだよ、俺は。あのヨファってヤツのほうが一枚上手だったんだ」

 そこでナレイは、怪訝そうにハマを見つめた。

「でも、ヨファは僕たちを」

 その言葉は、鼻で笑って遮られた。

「全部、計算ずくだったのよ」

「計算……」

 ナレイはますます首を傾げる。

 そこでハマは、順を追ってヨファの策略を語りはじめた。


「まず、俺はお前たちに馬で街道を走らせた。何故だかわかるか?」

 馬の轡を取ってきたナレイは、すぐに答えた。

「そうでないと、逃げきれません」 

 ハマは頷いた。

「だから、あの若様は、部下を国境まで走らせておいたんだ……予め」

「僕たちを探すためですね?」

 単純な返事に、ハマは苦笑いした。

「お前らがどこかに隠れることなんざ、とっくにお見通しだったろうよ」

「でも、馬が国境のほうから戻ってきた後、角笛の音が聞こえました」

 ナレイは夜明け前の出来事を、ありのままに語る。

 だが、ハマは吐き捨てるように言った。

「お前らをいぶり出すためだ。諦めるか、国境へ走るしかねえだろう」

「あ……」

 呆然とするナレイの目の前で、ハマは床を叩いてみせた。

「ところが、だ。戻ってきた部下が、若様の思いもしなかったことを報告した」

「それが、隣の国の……」

 ナレイがはたと気付いたところで、口を挟んだハマは、延々と語りはじめる。

「ところが、若様は困らねえ。そうなったら、お前たちは先には進めねえからだ。姫様の身分が明かされねえ限り、追いつくだけの時は充分にある。敵にたいした人数はいねえと分かってるから、その間にお城へ使いを出して援軍を頼めば、充分に蹴散らせるって寸法だ」

 そこで、ナレイは再び首を垂れた。

「やっぱり、僕がいけないんです……」

 猿芝居とはいえ、シャハロが身分を明かしたことから国境への脱出までの経緯が語られると、ハマは愉快そうに大声を立てて笑った。

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