第27話 希望への抜け道

 ヨファが去った後、ナレイはふと、つぶやいた。

「何で、馬を……?」

 しばらく考えてから、壁伝いを要塞の中をうろつきはじめる。

 広場を出て、力尽きて上る者もなくなった高い物見塔の下を通ると、当直らしい兵士が横たわっている。

 久しぶりの肉にありつけず、すっかり光の失せた虚ろな眼から顔をそらして、要塞の奥へと入り込んでいく。

 本当なら、庶民出身の、しかも新兵などは追い出されて然るべき場所だ。

 だが、今は誰もが飢えて、立ち上がることもおぼつかない。

 ナレイを咎める気力はおろか、その場に立っていられる者がいるのかどうかさえ怪しいものだった。

「まずは、厩だ……」

 要塞に閉じ込められてからというもの、ナレイたちは持ち場から動いたことがない。

 ケイファドキャの軍勢がいつ攻め込んでくるか分からなかったからだ。

 そこさえ守っていれば、要塞の全体を知ろうとするなど、時間のムダでしかなかった。

 ふらつく足でたどりついた厩には、さっき食われかかったことも知らずに、馬が首を連ねてつながれていた。

 飼い葉おけを覗き込んでみると、空である。

 潤んだ眼で見つめる馬の顔を撫でたナレイは、微かな声を漏らした。

「待てよ……もしかすると」 

 厩の壁にもたれかかって眠っている兵士を起こして尋ねてみる。

「大丈夫ですか?」

「ああ、ナレイだな、お前は……たいしたもんだよ、まだ、立ってられるんだな」

 庶民出身の兵士だった。

 ナレイはゆっくりと頷く。

「呼んでこないといけませんから……幸運の妖精を」

 兵士は苦しげに、しかし精一杯、笑ってみせた。

「期待なんざしてねえ……だがな、信じてるぜ」

 ナレイは、大真面目な顔で尋ねた。

「どこですか、騎兵たちは?」

「さあな……てめえたちの馬、ほっぽらかして姿をくらましてたかと思ったら……」 

 気を失いそうになりながら、鼻で笑ってみせる。

 ナレイは、みなまで聞かずに立ち上がった。

「ありがとうございます」

 兵士は、安らかな寝息を立てはじめる。

 

「つまり、見つからなかったってことだ、すると……」

 ナレイは倒れそうになりながら、要塞の内側へと歩いていく。

 探すものは、ひとつだけだった。

 井戸だ。

 見つけるそばから、つるべを引きはじめる。

 もちろん、どの井戸も水だけは尽きることがない。

 だが、その中に、たったひとつだけ、あった。

 水の出ない井戸が。

「やってみるか……一か八か」

 小剣を抜いて、井戸のつるべを切る。

 側の木に括りつけた。

「これで落ちたりなんかした日には……」

 自分の身体にも、つるべを巻き付ける。

 井戸の内側に、足を突っ張って降りていった。

 だが、そんな荒業にナレイが慣れているはずなどない。

「あ……!」

 確かに、人の身体を支えられるほどに、つるべの紐は丈夫だった。

 だが、自分の身体の重さを支えられるほどの固さで、紐は木に括られてはいなかったらしい。

 ナレイの身体は、ふわりと宙に浮いたかと思うと、真っ逆さまに闇の中へと落ちていく。

「死んで……たまるか……」

 青い空が、次第に小さくなって遠ざかっていく。

「シャハロ!」

 ナレイの叫び声が、古井戸の中に響き渡る。

 だが、井戸はそれほど深くなかった。

「痛い……」

 暗闇の中で呻き声が聞こえるまで、そんなに時間はかからなかった。

 やがて、それは地の底を這うがさごそという音に変わる。

 何か、乾いた柔らかいものが敷き詰められていたらしい。

 しばらく経って、闇の中の音は静かな歩みに変わった。

「助かった……」

 壁に手を当てながら、ナレイが慎重に足を進めているのだ。

「やっぱり、これを探していたんだな……」

 そのうちに、闇の中の足音は、はたと止んだ。

「どっちだ……?」

 どうやら、地の底の通路は、枝分かれしているらしい。

 だが、ナレイの足は、まっすぐ前に向かったようだった。

「引っかかるかよ、そんな手に……」

 その読みは、正しかった。

 暗い抜け穴に、眩い光が差し込む。

 手が突き当たった先にある扉を、ナレイが押し開けたのだ。 

 目の前の石壁には、木のハシゴが打ち付けてある。

「……よっぽど急いでたんだな」

 蓋のない古井戸のてっぺんへと、ナレイは這い上がっていく。

 その縁までたどり着くと、恐る恐る顔を出してみた。

「ここは……」

 どこまでも、乾いた大地と青い空が広がっている。

 丘も要塞も、人影も見えはしない。

「ということは……」

 首を捻って横目で見た先に、それらはあった。

 丘の上の要塞を包囲したケイファドキャ軍が、厚い陣を敷いている。

 ナレイは、安堵とも落胆ともつかない溜息を洩らした。

「絶対に見つけられるわけないってことか……僕たちには」 

 そろそろと外へ出ると、井戸の中へ装甲と小剣を投げ捨てる。

 甲高い音に、身体をすくめてしゃがみ込んだ。

 ケイファドキャの兵士も、それに気づかないほど愚かではなかったらしい。

「何者だ?」

「へえ、旅の者で……水を分けていただきてえと」

「そこにはないぞ……おい!」

 顎をしゃくった先にいたベつの兵士が、水瓶を持ってきた。

 差し出された柄杓にむしゃぶりついて、何も入っていない腹を満たす。

 卑屈なまでに何度も頭を下げると、不愛想な声で告げられた。

「ジュダイヤの連中は袋の鼠だが、戦場は避けて通れ」

 指示された方向へと、ナレイは歩きだす。

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