第26話 絶望を希望に変える嘘
だが、ジュダイヤからの援軍は来なかった。
1日経ち、2日経ち、次第に兵士たちは、水さえ飲んでいれば死ぬことだけはないと互いに頷き合うようになっていた。
いや、頷くことぐらいしかできなくなったというほうが正しいかもしれない。
歩く者は壁に手を付かねばならず、壁に手をつくこともできないものは背中でもたれるしかなく、立つ力もない者はめったに雨の降らない空の青に虚ろな目を向けているより他はなかった。
もっとも、立って歩いているのは、庶民の兵士の中で空腹に慣れている者かと思いきや、案外そうでもない。
むしろ、空腹など知らない貴族の子弟たちのほうが、地べたに横たわる庶民の兵士たちを見下ろしては口元を歪めて通り過ぎていく。
その冷ややかな眼差しが向けられるのは、ナレイも例外ではなかった。
やはり仰向けになったままで、ぼんやりと目を見開いていると、もの言いたげな顔がいくつも、あからさまに目を背けていった。
空を見上げたままの新兵のひとりが、呻き声を上げた。
「見ろよ……あいつら、ホントは声も出ねえんだぜ」
そのときだった。
弱々しくはあったが、確かに集合を告げる角笛の音が響き渡った。
別のところで横になった新兵が、微かな声で笑った。
「何をやらそうっていうんだか……今さら」
ナレイはそれを止めようとするかのように、微かに口を開く。
だが、息が漏れるばかりで言葉にならなかった。
それは、疲れと空腹のためでもあっただろう。
だが、それはまるで、ジュダイヤの軍勢を前に大見得を切ったことを悔いているかのようでもあった。
もっとも、誰ひとりとして、それを責める者はない。
当てにしていたと思われたくないからであろう。
だが、何事にも例外はある。
ナレイの耳元に立った男が、若い貴族たちの声を代弁した。
「幸運の妖精は、いつ応えてくれるんでしょうか?」
ヨファだった。
ナレイは、腹の底から絞り出すような声で返事をする。
「応えないってことは……まだ、望みはあるってことですよ」
乾いた笑いと共に、ヨファはあちこちに横たわった庶民の新兵たちを見渡した。
それでも空腹はごまかせないのか、かすれた声で告げる。
「食糧の配給があるようですよ」
希望に満ちたナレイの言葉よりも、はるかに人を動かす力があった。
たちまちのうちに、庶民の兵士たちが跳ね起きる。
ナレイも、悔し気に目を伏せながら立ち上がった。
ナレイがゆっくりと、しかし胸を張って歩くのを横目に見ながら、ヨファは皮肉交じりにつぶやいた。
「そんな元気が残っていたんですね」
「驚かれましたか?」
ナレイの口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
その後ろには、部下の新兵たちが互いに肩を支え合って、右に左によろめきながら歩いていた。
やがてたどりついた広場には、同じように飢えた兵士たちの群れがあった。
だが、そこには干した肉も魚も、スープを煮たてた鍋もなかった。
ただ、並んだ騎兵たちの前に、すっかりやせ細った馬が何頭もつながれているばかりだった。
その真ん中には、ヨファの白馬が見える。
鼻と口から力なく息をついて、主人を見つめる。
目が潤んでいるのを見つめながら、ヨファがナレイに囁いた。
「できない約束はしないでほしいものです」
そう言うなり、腰の剣に手をかけた。
渾身の力を振り絞るようにして、自らの愛馬に大股で歩み寄る。
騎兵たちも、一斉に剣を引き抜いた。
何が起ころうとしているのか、ジュダイヤの兵士たちは察したらしい。
わっと歓声が上がった。
中には、安心から、あるいは騎兵たちに同情して泣きだす者もいる。
だが、ナレイは叫んだ。
「やめてください!」
きょとんとした顔の白馬めがけて剣を振り上げた、ヨファの腰にしがみつく。
今にも愛馬を斬り殺そうとした、その手がゆっくりと下ろされた。
「離れなさい……仲間たちが飢えてもいいんですが?」
たちまちのうちに、ナレイへの轟轟たる非難が沸き起こった。
「引っ込め!」
「食うものがねえんだよ!」
「助けなんか来ねえじゃねえか!」
それでも、ナレイは怯まなかった。
白馬を背にして、両手を大きく広げる。
「それなら、僕を殺してください……。お気持ち、よく分かります。僕もずっと、街の中や遠くの国から来た馬を牽いてきましたから。とっても、大事にされてました。だから、どの馬も、きれいな眼で……。この馬、殺されかかっても、そんな眼をしていました。信じてるんです、飼ってる人や乗っている人を。だから……」
ヨファの後ろから、すすり泣きが聞こえてきた。
やがて、さっきとは真逆の声が上がりはじめる。
「可哀想じゃねえか!」
「助けてやれ!」
「もうちょっと待ってやろうぜ、妖精さんをよお!」
掌を返した兵士たちに、ヨファは振り向きもしない。
苦笑して肩をすくめると、騎兵たちに向けて顎をしゃくった。
剣は収められ、命拾いした痩せ馬たちは厩へと引かれていく。
空きっ腹を抱えた兵士たちは、ぞろぞろとその場を去っていった。
その場に残されたのは、ナレイとヨファと白馬だけである。
ヨファが近づくと、白馬はその鼻を摺り寄せた。
そのたてがみを撫でながら、ヨファは面白くもなさそうにつぶやいた。
「では、呼んできてもらいましょうか。その妖精さんを」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます