第36話 最後の挑戦
城内に、噂はすぐ広まった。
国王が溺愛していた姫君が庶民の若者と恋に落ち、衆人環視の中で裸身を晒して、父親に結婚の許しを迫ったこと。
父親がそれを止められず、娘を袋に詰めてその場から引きずりだし、宮殿内の一室に閉じ込めたこと。
王国ひとつを統べる立場にある者として、またひとりの娘の父親として、ヘイリオルデの苦悩は深く、私室からめったに出ることがなくなったらしい。
国王についての噂は以上の通りであるが、
ナレイはナレイで、肩身の狭い思いをすることになった。
どこへ行っても注目を浴びる。
口さがないのは使用人たちに限らない。
兵士たちもまた、ナレイを見るとひそひそと陰口を叩く。
「あれだろ? ケイファドキャ帰りの……」
「サイレアの勇者とか名乗ってたらしいぜ」
「うまいことやりやがったな……」
そんな目に遭うのは、無理もないことだった。
もともと兵士でも何でもないのだから、戦が終われば元の使用人である。
だが、ナレイはそれを気に病む様子もない。
むしろ、その目はどこか、遠くを見るようになっていた。
いつものとおり雑用をこなし、通用門から入ってくる馬の口を引く。
それでもふと城の外へ、さらにはジュダイヤの国境の彼方へと、まなざしが向けられるのだった。
本当は、自分の生まれた場所がそこにあるかのように。
そんな時に限って、ナレイの崇拝者が声をかけてくるのだった。
「隊長!」
「ナレイ隊長!」
かつての部下たちは、もともと槍担ぎに雇われていたに過ぎない。
戦が終わって褒美を貰えば、もとの庶民の生活に戻る者がほとんどだった。
だが、中には勘違いをして、兵士の身分にとどまる者もいた。
「僕はもう隊長じゃない」
そう言っても、ナレイを慕ってくる兵士たちは聞かなかった。
「いや、ナレイさんは俺たちの隊長だ」
「そうだよ、何があっても、いつまでも」
そういうとき、ナレイはいつも素っ気ない態度を取る。
遠くを見ていたのをごまかすかのように。
「じゃあ、好きなようにすればいい」
もっとも、元の部下たちは気にしない。
遠征のときよりも、さらに馴れ馴れしく絡んでくる。
「お姫様にも言ってるんですか? そんなこと」
「そういう冷たいのが利くわけですね、ああいう高貴なお方には」
ここ数日は、そんな他愛もないやりとりが続いていた。
だが、この日ばかりは違う。
見るに見かねたように、太い声が横から口を挟んだ。
「からかうのはやめろ、いい加減に」
兵士たちも、それが誰の言葉かはもう、顔を見ずとも分かるようになっていたらしい。
何か言いかけていた口を押さえて、その場から足早に逃げ去る。
「じゃ、ナレイさん、俺らはこれで」
入れ替わりにやってきたのは、ハマ……「地獄耳の処刑人」ナハマンだった。
ナレイは足を揃えて立つと、頭を下げる。
「あのときは、ありがとうございました……ハマさん」
のっそりと現れたハマは、のっそりと答えた。
「仕方がねえ。あれは、もともと姫様が、自分で何とかすることだ。お前がどうこうしてやることじゃあねえ」
柄にもなく周りの目を気にして、いつになく回りくどい物言いをする。
もちろん、あれとかそれとかいうのは、シャハロが国王に向かって口にしたことだ。
ナレイとの結婚である。
ところが、その当の相手は、事の大きさに少しばかり気負い過ぎているらしい。
かえって、口ごもりながら尋ねた。
「でも、シャハロは今、謹慎とか何とか……」
「お前が何とかするのは、そいつだな」
言いたいときに言いたいことだけを言って、ハマはその場を立ち去ろうとする。
だが、何かを思い出したように、立ち止まって振り向いた。
「そうそう、勝ち戦の祝いの宴に呼ばれてるぞ、お前」
本当の用件は、それだったらしい。
最初に言わなければならないことを最後に告げると、ハマはのっそりと去って行った。
戦勝の宴は、国王の宮殿の前で行われた。
凱旋の日に、遠征軍が集められたのと同じ場所である。
盛大な祝宴だった。
10人や20人はいっぺんに座れるテーブルが見渡す限り並べられ、ジュダイヤが征服した国々から集められた珍味や名酒が、尽きることなく次々と振る舞われる。
楽人たちが笛や竪琴で奏でる旋律は、同じものが一度として繰り返されることがない。
道化や手品師が芸を披露する中、きらびやかな衣装をまとって歓談する貴族たちが、あまた行き来する。
ほとんどいつもの通りの格好で出てきた、どこから見ても庶民でしかないナレイは、どう見ても場違いだった。
「シャハロ……」
招待者の名をつぶやく。
王女から正式に招かれたのであれば、ナレイがここにいても不思議はなかった。
だが、この宴のどこにも、シャハロの姿はない。
その代わり、目の前に現れた者があった。
「どなたをお探しかね、ナレイ君」
酒杯を手に見下ろしているのは、ヨファだった。
ナレイがその場を離れようとすると、背中から声をかけてくる。
「シャハロが来る来ないは、私次第だ」
だが、ナレイはきっぱりと言い切った。
「あなたの許しがなくても、シャハロはきっと来ます」
すると、ヨファは余裕たっぷりに笑った。
「では、賭けましょうか」
「何を?」
怪訝そうな顔をするナレイは、最初から何も持っていはしない。
一方、地位も家柄も、美貌も武勇も兼ね備えたヨファは、声も高らかに挑戦した。
「シャハローミ様が来るかどうか……姫君ご自身を賭けて」
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